建武式目

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建武式目(けんむしきもく、建武式目条々)とは1336年室町幕府の施政方針を示した式目のことである。御成敗式目と合わせて貞建の式条と呼ばれる。

[編集] 概要

鎌倉幕府滅亡後に開始された後醍醐天皇建武の新政から離反した足利尊氏は、南北朝時代1336年湊川の戦い新田義貞楠木正成らを破り京都へ入り、施政方針を定めた建武式目を制定する。尊氏は後醍醐から三種の神器を接収して光明天皇を即位させ、2年後の1338年征夷大将軍に任命されて正式に武家政権を成立させる。

鎌倉幕府の奉行人である二階堂道昭(是円)・二階堂恵兄弟、藤原藤範、玄恵ら8人の答申の形で制定された。武家の基本法である御成敗式目に対して建武式目は武家政権の施政方針を示すもので、拘束力がある法令ではないとも、御成敗式目の改廃を伴う法令ではない(御成敗式目を基本法とした)とも言われている。

尊氏は政務を弟の足利直義に任せており、式目の制定には直義の意思があったとも指摘されている。また、太子信仰の風習から、聖徳太子の制定した憲法十七条に影響されたとも考えられている。鎌倉幕府の「御成敗式目」と並び戦国大名分国法にも影響する。

構成は2項17条で、第1項で鎌倉幕府の得宗家専制以前の北条義時北条泰時の施政を理想とし、足利幕府(室町幕府)が正統な後継者である事を示す。第2項では17条の条文において具体的方針を提示し、地方行政官である守護職は戦功よりも能力を重んじて任命することや、徳政令に関わる法令が多くを占める。また、南北朝時代の社会的風潮であった「ばさら」を禁止している。

本法以降に出された追加の法令は「建武以来追加」と呼ばれるが、これは建武式目の追加という意味ではなく、建武年間以降に出された御成敗式目の追加という意味だとされている。

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最終更新 2009年5月13日 (水) 07:51 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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