形而上学

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形而上学(けいじじょうがく、: μεταφυσικά: Metaphysica: Metaphysics: Metaphysik)とは、物理的または概念的な対象が存在する理由や根拠についての問い、およびそれをめぐる議論のこと。

目次

[編集] 訳語

形而上とは元来『易経』繋辞上伝にある「形而上者謂之道 形而下者謂之器」という記述の用語であったが、明治時代に井上哲次郎がmetaphysicsの訳語として使用し広まった。中国ではもとmetaphysicsの訳語に「玄学」を当てることが主流であったが、日本から逆輸入される形で「形而上学」が用いられるようになった[1]。メタフィジカについてはメタも参照。

[編集] 概説

個々の事象にたいしてその背景をつらぬく法理、共通性を求めるための考究である。

物理学は個々の事象をとりあつめ法則性をもとめる点で形而上の要素をもつ。また物理学そのものが「対象の振る舞いの法則」について考えるものだとするなら、その形而上には「法則が存在する理由」を問う視点があり、「りんごが落下するときにどのような落下の仕方をするか」は物理学で説明出来るが「なぜそのような法則が存在するのか」は物理学で説明出来ない。このような問いかけの連鎖を形而上的であると表現する。

形而上学は哲学の一部門であり、物理学心理学生物学といった自然諸科学に、あるいは神秘主義宗教や精神的主題に関係付けられる。 存在実在、普遍、属性関係因果性空間時間、出来事、その他諸々の諸概念が、まさにそれに基づくところの現実性の基礎的本性に関する、最も根本的な概念や信念の研究として概略的に定義される。

[編集] メタフィジカ、形而上学の語源

古代ギリシアの哲学者アリストテレスは大量の書き物を残し、それが西暦30年頃アンドロニコスにより整理されたが、その際『ta physikaタ・フィジカ(自然について)』の巻の後に、自然の探求の基礎・根本に関わる著作群が置かれた。その著作群は明確な名を持たなかったので、初期アリストテレス学派は、この著作を"τὰ μετὰ τὰ φυσικά、タ・メタ・タ・フィジカ(自然についての後の書)" と呼んだ。これが短縮され、: μεταφυσικά: metaphysica(メタフィジカ)、として定着、後の時代の各印欧語の語源となり、例えば英語ではmetaphysics(メタフィジックス)という語となった。

上記のごとく、書物の配置に着目した仮の名称「meta physika(自然・後)」が語源なのだが、偶然にも、その書物のテーマは"自然の後ろ"の探求、すなわち自然の背後や基礎を探るものであり、仮の名前が意味的にもぴったりであったので、尚更その名のまま変更されずに定着した。

印欧諸語のmetaphysics、Metaphysikなどの訳語として、日本語では「形而上学」を当てており、これは『易経』繋辞上伝の“形而上者謂之道、形而下者謂之器”(形よりして上なる者これを道と謂い、形よりして下なる者これを器と謂う)という表現にちなんだ造語である。印欧語のmetaには、「~の背後に」のほかにも「~を超えた」という意味があり、自然を規定する超越者の学という意味では(語源を表現しきれていないことを除いては)学の内容をよくあらわしている。

[編集] アリストテレスのタ・メタ・タ・フィジカ

アリストテレスの著作物の『タ・メタ・タ・フィジカ(形而上学)』は、(1) 存在論 (2) 神学 (3) 普遍学と呼ばれ西洋形而上学の伝統的部門と現在みなされている三つの部分に分けられた。また、いくつかのより小さな部分、おそらくは伝統的な問題、すなわち哲学的語彙集、哲学一般を定義する試みがあり、そして『自然学』からのいくつかの抜粋がそのまま繰り返されている。

  • 存在論存在についての研究である。それは伝統的に「存在としての (qua) 存在の学」と定義される。
  • 神学はここではあるいは神々そして神的なものについての問いの研究を意味する。
  • 普遍学は、全ての他の探求の基礎となるいわゆるアリストテレスの第一原理の研究と考えられる。そのような原理の一つの例は矛盾律「あるものが、同時にそして同じ点で、存在しかつ存在しないことはありえない」である。特殊なリンゴは同時に存在し、かつ存在しないことはありえない。普遍学あるいは第一哲学は、「存在としての (qua) 存在」を扱う―それは、誰かが何かある学問の個別的な詳細を付け加える前に全ての学問への基礎となるものである。これは、因果性実体元素といった問題を含む。

[編集] メタフィジカの展開

形而上学を定義することの困難の一部は、何世紀も前にアリストテレスの編者に根源的に形而上学的と考えられなかった問題が、次々に形而上学に加えられてきたことにある。また何世紀にも渡って形而上学的と考えられていた問題が、概して現在、宗教哲学心の哲学、知覚の哲学、言語哲学科学哲学といった、その独特の分離した副次的主題へと追いやられている点にある。

東洋哲学は、西洋の哲学的伝統におけるそれよりも、より困難な形而上学的な問いを持つ。例えば道教。そして実際多くの東洋哲学はアリストテレス形而上学の最も基礎的なドグマ(教義[2])のいくつかを、完全に拒んでいる。現代の西洋哲学はほとんど完全に古典的な形而上学上の問いを内面化し、それらが疑いの対象になることはほとんどない。ヘーゲル論理学のように、アリストテレス形而上学に対する反対者は西洋にも多く現れた。


[編集] 形而上学への批判

20世紀前半に活躍したウィーン学団論理実証主義を奉じ、その立場から形而上学を攻撃した。その代表的論客カルナップは意味の検証理論に則り、形而上学の命題は経験的にも論理的にも検証ができないがゆえに無意味であると主張した。彼によれば、経験的に形而上学で出てくる「存在」や「形相」のような語が用いられている命題の正しさを検証できないし、そのような命題は論理的にも検証できない(彼は分析命題と総合命題の区別に則っており、ここで論理的に検証できるのは分析命題である)。このように形而上学の命題は検証ができず、それは間違っているのではなく、単純に無意味なのである。

[編集] 文献

[編集] 脚注

  1. ^ 中国語・日本語の漢字をめぐって 牧田英ニ(講座日本語教育 早稲田大学語学教育研究所 1-Jul-1971 )[1]
  2. ^ 「ある宗教で公に認められた真理。また、それを命題化したもの」goo辞書[2]

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月28日 (土) 13:29 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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