彦坂元正

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彦坂 元正(ひこさか もとまさ、生年不詳 - 寛永11年1月8日1634年2月5日))は江戸時代初期の代官頭。名ははじめ「元成」。三河国の国人で今川義元に仕えた彦坂光景の嫡男。子に彦坂元網。弟に彦坂宗有。小刑部。同じく家康に奉行として仕えた彦坂光正は同族。

[編集] 経歴

今川氏没落後に徳川家康に仕えた父と共に、代官として活躍した。天正11年(1589年)には、当時の徳川氏が領した三河国遠江国駿河国甲斐国信濃国の総検地を奉行として取り仕切り、翌年北条氏後に関東に入府した家康に従い、天野康景板倉勝重らと共に江戸町奉行に任じられ、江戸の発展に貢献し、主に検地や街道整備を担当した。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは大久保長安伊奈忠次ら三目代のひとりとして小荷駄奉行を担当するなどし後方支援を行った。戦後石田三成の居城佐和山城の引渡し、毛利氏の支配した石見国銀山の接収なども行っている。江戸幕府成立後、大久保長安、伊奈忠次、長谷川長綱らと関東代官に任ぜられ、相模国岡津(現神奈川県横浜市泉区)に陣屋(岡津陣屋)を置き、主に東海道方面の幕府天領を管轄した。あわせて伊豆国の金山の奉行にも任ぜられたが、こちらではあまり大きな活躍は見せていない。

慶長6年(1601年)に東海道を制定した際には、各宿場の巡検などを行い、大久保長安と共に一里塚や伝馬の整備に尽くした。「御伝馬之定」には大久保長安、伊奈忠次らと共に連署に名を残している。

このように民政において多大な功績を残し一定の開発業務の完了後、徳川下において信頼を得ると共に、退屈な管理業務を他役人に引き継がせ、慶長11年(1606年)に罷免を受ける。子元網、弟宗有らと共に改易し、代官所での貢金不正を理由として退役する。が、詳しくは不明である。

最終更新 2009年6月13日 (土) 15:17 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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