後一条天皇

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後一条天皇
第68代天皇
在位 1016年3月24日 - 1036年5月15日
在位中の時代 平安時代
在位中の年号 長和
寛仁
治安
万寿
長元
在位中の首都 京都
敦成
出生 1008年10月12日
土御門殿
死去 1036年5月15日
清涼殿
陵墓 菩提樹院陵
先代 三条天皇
次代 後朱雀天皇
中宮 藤原威子
子女 章子内親王
馨子内親王
父親 一条天皇
母親 藤原彰子
  

後一条天皇(ごいちじょうてんのう、寛弘5年9月11日1008年10月12日) - 長元9年4月17日1036年5月15日))は、平安時代中期の第68代天皇(在位:長和5年2月7日1016年3月24日) - 長元9年4月17日(1036年5月15日))。敦成(あつひら)。

目次

[編集] 系図

 
(60)醍醐天皇
 
(61)朱雀天皇
 
 
広平親王
 
 
 
 
 
 
 
(62)村上天皇
 
 
(63)冷泉天皇
 
(65)花山天皇
 
 
 
 
 
 
 
兼明親王
 
 
致平親王
 
 
(67)三条天皇
 
敦明親王(小一条院)
 
 
 
 
 
 
 
(源)高明
 
 
為平親王
 
 
禎子内親王
(後三条母、陽明門院)
 
 
 
 
 
(64)円融天皇
 
(66)一条天皇
 
(68)後一条天皇
 
 
 
 
 
 
昭平親王
 
 
(69)後朱雀天皇
 
(70)後冷泉天皇
 
 
 
 
 
 
具平親王
 
(源)師房
村上源氏へ〕
 
 
(71)後三条天皇
 
 
 
 
 


[編集] 略歴

一条天皇の第二皇子。母は藤原道長中宮彰子。その誕生の様子は「紫式部日記」に詳しく、道長にとって待望久しい外孫皇子出生はその後の一族の栄華の初花となる。

長和5年2月7日1016年3月24日)、8歳で即位したため、道長が摂政となり権勢を振るった。道長の娘で叔母にあたる威子を中宮とし、この時代には珍しく他の妃を持たなかったが、皇子女は内親王二人のみで世継ぎの皇子にはついに恵まれぬまま、29歳の若さで崩御した。『栄花物語』によると飲水と痩身の症状の記載があり、糖尿病によるものと考えられている。遺詔により、喪を秘して敦良親王への譲位の儀を行ったとされている。

[編集] 后妃・皇子女

[編集] 在位中の元号

[編集] 陵墓

後一條天皇陵、第一皇女章子内親王陵

京都市左京区吉田神楽岡町。菩提樹院陵(ぼだいじゅいんのみささぎ)。


最終更新 2009年11月8日 (日) 08:02 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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