中等教育

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中等教育(ちゅうとうきょういく)とは、学校教育を主に人の発達段階(年齢)に応じた3段階に分ける考え方での第2段階のことである。すなわち、初等教育と高等教育のつなぎの年代を指す。現在の日本においては具体的には中学校高等学校高校)を指す。

中学校では「義務教育として行われる普通教育」が施され、高等学校では「高度な普通教育」と「専門教育」が行われる。中学校の段階を前期中等教育、高等学校の段階を後期中等教育という。

目次

[編集] 前期中等教育を行う学校

[編集] 後期中等教育を行う学校、教育施設

[編集] 日本の中等教育の歴史

学制改革前に存在した中等教育学校については旧制中等教育学校を参照

自由民権運動が盛んな頃、各地の民権結社が中等教育機関を設立した。土佐の立志学舎、福島の石陽館、京都の天橋義塾などが有名で、それらでは高水準の政治学経済学歴史学などが教授された。有為の青年の多くは中学校や民権派の中等学校で学び、活動家になったり、地方的リーダーになったりした[1]

当時の中学校は地方の文化的なセンターとして機能し、ほとんどが民権活動家であった地方名望層が掌握していた。こうした民権派の動向に対抗するための政府の中等教育の方針は統制の強化、伝統的道徳による国民意識の統一、そして実業教育の充実であった[1]

初代文部大臣に就任した森有礼は中等教育の改革に着手した。それまで、中等教育は中等程度の教育、高等教育は高等程度の教育という漠然とした規定に留まっていたのを、中等教育は国民の中堅をつくることであり、かつ、社会上流の人士をつくる高等教育への中間教育の役割と位置付け、学校体系を階層秩序と対応させるという画期的な意味を持っていた[1]

森の教育改革によって、学校は国家の人材配分機関として位置付けられ、勤労及び、中堅・上流という階層的秩序に対応して初、中、高等の教育機関が配置されることになったのである[1]

1899年2月には中学校令が改正され、森の中学校令以来の進学準備教育と職業教育の二本立てという中学校の体制は普通教育に一本化された。また、各府県で中学校を1校以上設立することが義務付けられ、更に私立、町立、組合立中学校の設立も認められるようになった。日清戦争後の日本社会の近代化によって中産層の活動範囲が広がり、中等教育の需要は高まっていった。中学校令改正に伴って実業学校令も公布された[1]

1910年代になると、農村部でも中・高等教育機関進学が価値ある進路、村の誇りとして評価されるようになった。例えば、「村政一班」(役場文書)などを見ても、村の小学校から中等教育機関、そして高等教育機関へ何名進学したかが誇らしげに記述されているのを見ることができる[1]

太平洋戦争が勃発し、1943年1月には中等学校令で中学校・高等女学校・実業学校は全て4年制「中等学校」に統一されることになった。戦時体制下にあってもなお国民の間から湧き上がる中・高等教育への需要増と、戦時体制下の効率的で合理的な学校教育への要望に応えるという二重の課題への対応策であった[1]

[編集] 脚注

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  1. ^ 尾崎ムゲン 『日本の教育改革--産業化社会を育てた130年』 中央公論新社中公新書〉(原著1999年8月)、初版、pp. 27-28、43、45、72-73、105-107、150-151。ISBN 9784121014887。2008-12-07閲覧。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月15日 (日) 03:03 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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