後藤田正純
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| 生年月日 | 1969年8月5日(40歳) |
|---|---|
| 出身地 | 出生地:東京都 本籍地:徳島県吉野川市 |
| 出身校 | 慶應義塾大学 |
| 学位・資格 | 商学士 |
| 前職 | 衆議院議員秘書(後藤田正晴) 三菱商事 |
| 所属委員会 |
衆: 内閣委員会 委員 |
| 世襲 | 二世 大叔父・後藤田正晴 (父のいとこ・井上普方) |
| 選出選挙区 | 徳島県第3区 |
| 当選回数 | 4回 |
| 所属党派 | 自由民主党(無派閥) |
| 党役職 | 青年局次長 |
| 会館部屋番号 | 衆・第一議員会館315号室 |
後藤田 正純(ごとうだ まさずみ、1969年8月5日 - )は、日本の政治家。衆議院議員。
大叔父は、警察庁長官・内閣官房長官・副総理を務めた後藤田正晴。
目次 |
[編集] 年譜
- 1969年:東京都に医師の後藤田圭博と晃子の次男として生まれる(本籍地は徳島県吉野川市)。大叔父の後藤田正晴や社会党の衆議院議員であった井上普方などが親戚にいたため、幼時から政治に関心を持つ。
- 1988年:筑波大学附属駒場高等学校を卒業して、一浪し慶應義塾大学商学部入学。将来、政治家になることを考え、後藤田正晴秘書として選挙を手伝う。
- 1993年:慶應義塾大学卒業後、三菱商事に入社。これは、「政治家は社会経験をしてからなるべきだ」という後藤田正晴の信条による
- 1998年:退職。
- 2000年:第42回衆議院議員選挙に徳島3区から自由民主党公認で立候補し、初当選。
- 2003年:第43回衆議院議員総選挙で再選。
- 2004年:3月女優の水野真紀と結婚し話題となる。
- 2005年:第3次小泉改造内閣において内閣府大臣政務官(金融、経済財政政策担当)に就任。
- 2006年:内閣府大臣政務官を辞任。辞任の理由は、貸金業規制法の改正案が直前になって業界寄りに修正された事への抗議である。このときの内閣府特命担当大臣(金融、経済財政政策担当)は、与謝野馨。
- 2007年:9月の自由民主党総裁選挙では、福田康夫を支持した。
- 2009年:週刊女性6月23日号で、田園調布の実家で長男と暮らす水野と、議員宿舎で暮らす後藤田正純との別居が報道された。
[編集] 主な所属議員連盟等
[編集] 人物
- 自民党遊技業振興議員連盟(自民党パチンコ議連)所属
- パチンコ・チェーンストア協会政治アドバイザーであり、パチンコ業界と強い繋がりを持つとされる[1]。
[編集] 政治姿勢
- 落選中の山崎拓前副総裁が2005年4月の衆議院福岡2区補欠選挙の候補者となったことについて、反発、批判をしている。
- 多重債務者が増加を続ける中で、「利息制限法は必要ない」と発言し、最高裁で否定されていた出資法に一本化しようとして物議をかもしていたが、その後は貸金業規制の先頭に立った。その後、9年に及ぶ「グレーゾーン金利」の温存案を提出した金融庁案に抗議し政務官を辞職。
- 消費者金融の利用者が、借り入れや返済時に支払うATM利用料を最大630円とする同案規定に批判的な意見。
- 利息制限法の金利区分の引き上げに伴い、一部で実質的に上限金利が上がる貸付金額帯が生じる点を問題視、上限金利の引き下げに例外を認める特例措置を疑問視し超党派で政府、自民党案を修正していくと表明した。
- 週刊新潮によると、郵政民営化にはギリギリまで反対だったものの、非公認では選挙は戦えないことから最終的に執行部の説得に応じる。同記事では、直前で同じように意見を翻した政治家で井上信治や御法川信英の名を挙げている。
- 小泉純一郎に批判的であり、その後継者の安倍政権に対しても参院選に惨敗すると「美しい国であるなら美しい責任の取り方があるのではないか?」と批判的立場をとった。
- 安倍路線の対抗馬としては谷垣禎一を推しており、8月16日のテレビ放送で、町村派の福田康夫が後継者候補として取り上げられたときも「後継者は谷垣さんしかいない。福田さんが出たら自殺行為」と一笑したが、2007年自由民主党総裁選挙で、谷垣の不出馬と福田の出馬が決まると麻生包囲網に参加し、「国民主義の福田さんと国家主義の麻生さん」とテレビなどで盛んに喧伝することに努めた
- 2007年自民党総裁選挙で麻生太郎が予想外の善戦をしたことは認めたが、その原因は「麻生太郎のパフォーマンス」であると分析をし、党員の意見を聞いてから麻生支持に変更した議員に対しては「議院内閣制を理解していない」と発言し、総裁選当日に麻生太郎の応援をするため自民党本部前に集まった支持者に対しては「オタク系が騒いでいた」「小泉・安倍に対して熱狂して失敗をしたのに、(麻生太郎に)また熱狂をするのはいかがなものか」と評した上で「麻生人気はメッキがすぐに剥がれるだろう」と結論付けた。また、麻生支持をした一年生議員を「政策理念や政治責任論というものを全く考えていない」と批判した上で、自らについては「福田さんに投票した私は、政治玄人である」と自賛した[2]。
- 2007年9月28日、初当選以来所属していた平成研究会(津島派)に突如退会届を提出、無派閥となった。上記のように谷垣の熱烈な支持者であることを公言するなど、派内では異端の存在であったが、今後は既存派閥への再入会はせず、純粋無派閥として活動するとしている。
- 北朝鮮への経済制裁に反対している自由民主党の数少ない国会議員の1人。ただし、救う会が郵政選挙の際に行ったアンケートでは反対とは明言せず、遠まわしの反対主張をしている。
- 勝谷誠彦氏が韓国大使館からの執拗な抗議でテレビ朝日の番組を次々に降板させられた事件に関して、韓国大使館の背後で後藤田正純がテレビ朝日に政治的圧力をかけていたことを「たかじんのそこまで言って委員会」(ytv)で告白した(OA上はP音で伏せられていた)。
- 2008年自民党総裁選では、与謝野馨を総裁候補として擁立。対立候補であるクールビズで名を売った小池百合子とアニメや漫画に詳しい麻生太郎を「クールビズとかアニメとかいう世界じゃなくて、覚悟を持った政治を訴えないと支持は得られない」と評した。
- 週刊文春によると、統一教会の下部団体であるUPF主催の文顕進の昼食会に、国会議員が数十人出席したとされているが、後藤田も出席したことを認めている[3]。
[編集] 著作
- 「特集1 Interview プライス(金利)とクォンティティ(貸付総量)、これが大きな論点」『クレジットエイジ』27(4)(通号 316)、2006年4月。
- 「なにがあろうとも軸足がブレない生き方、逃げない生き方を学びました」『 国会ニュース』64(4)(通号 2860)2004年5月。
- 「超多忙でもストレスなし(全公開 国会議員の24時間)」『 論座』(通号89)、2002年10月。
[編集] 家族親族
- 妻 由紀(女優)
- 長男
[編集] 関連
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年10月26日 (月) 01:24 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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