得撫郡

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得撫郡(うるっぷぐん)は、北海道根室支庁に所属する

以下の3島を含む。

[編集] 歴史

江戸時代になると、得撫郡域は宝暦4年松前藩によって開かれたクナシリ場所に含まれた。北方探検が盛んに行われるようになると、天明6年と寛政3年には最上徳内が得撫島を探検、享和元年6月には富山元十郎と深山宇平太が得撫島に「天長地久大日本属島」の標柱を建てている。

江戸時代後期、得撫郡域は東蝦夷地に属していた。南下政策を強力に推し進めるロシアの脅威に備え、寛政11年得撫郡域は天領とされた。文政4年得撫郡域は松前藩領に復したが、安政元年日露和親条約(不平等条約のひとつ)により得撫島はロシア領とされた。1875年11月樺太・千島交換条約によって再び日本領となり得撫郡が置かれる。北海道千島国に属した。

大東亜戦争終戦までは養狐と海獣保護地域とされ定住者はなかった。「臘虎膃肭獣(ラッコオットセイ)猟獲取締法」の対象地域であったが、施行以前より漁期のみ択捉島の漁民が床丹に移住していたため定期航路も存在した。ただし、関係者以外の許可なき渡航と漁師の通年居住が禁止されていたため、越年者は昭和期の国勢調査によると郡全体で農林水産省関係者29名しかいなかった。

1945年8月ソビエト連邦軍により、占領される。ただし、現在も札幌国税局管内の根室税務署の管轄となっており、法制上得撫郡は存続している。

当該地域の領有権に関する詳細は千島列島の項目を見よ。

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月28日 (土) 13:59 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【得撫郡】変更履歴

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