徳光和夫

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本来の表記は「德光和夫」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。
とくみつ かずお
徳光 和夫
プロフィール
本名 徳光 和夫
愛称 徳さん
出身地 日本 東京都目黒区
生年月日 1941年3月10日(68歳)
血液型 B型
最終学歴 立教大学社会学部
所属事務所 オフィス ラ・メール
職歴 日本テレビ放送網|NTVアナウンサー
活動期間 1963年 -
ジャンル 報道・情報・バラエティなど
家族 徳光正行(次男)
公式サイト 公式ホームページ
出演番組・活動
現在 THE・サンデー NEXT
おもいッきりDON!
(月曜・木曜コメンテーター)
過去 ズームイン!!朝!
アメリカ横断ウルトラクイズ
NNNニュースプラス1
THE・サンデー
世界ウルルン滞在記
など
その他 24時間テレビ』総合司会
  

徳光 和夫とくみつ かずお1941年3月10日〈戸籍上、実際は3月3日〉 - )は、東京市(現・東京都特別区目黒区出身のフリーアナウンサータレント司会者日本ドッジボール協会顧問。SMAエンタテインメントと業務提携しているオフィス ラ・メール所属。株式会社ソニー・ミュージックアーティスツ顧問。元日本テレビ放送網|日本テレビ(日テレ)アナウンサー。現在は神奈川県茅ヶ崎市在住。血液型B型。海城高校立教大学社会学部卒業。夫人は徳光早苗さん。

目次

[編集] 来歴・人物

実際の表記は德光 和夫(徳が旧字体、初期の『ズームイン!!朝!』のテロップでもこの表記)。愛称は徳さんプロ野球読売ジャイアンツの熱烈なファンで、「ジャイアンツおやじ」とも称される。テレビでは感涙することが多く(特に『24時間テレビ』)、「かなり涙もろい」キャラクターで知られる。

父・寿雄は日テレ(一部の記事を除き、以下日テレと略す)の役員を務め、1967年には当時赤字経営に苦しんでいた東京12チャンネル(現:テレビ東京)を立て直すべく設立された「科学テレビ協力委員会」の委員となった人物[1]。徳光の戸籍上の生年月日が実際の生年月日と異なるのは、厳格な父が「男児が3月3日、桃の節句の生まれでは格好が悪い」と1週間後で陸軍記念日の10日生まれにしたためだという[2]。徳光自身もフリーに転向後『にっぽんの歌』などテレビ東京の番組に出演し、次男のタレント・徳光正行も『レディス4』の司会に起用され、親子3代に渡ってテレビ東京に関与することとなった。

戦時中は福島県田村郡三春町の大蔵寺に疎開。もともとは落語家志望であった。

趣味は野球観戦と駅伝観戦と音楽鑑賞と落語鑑賞など。中学時代まではプロ野球は西鉄ライオンズ、特に大下弘のファンだった[3]が、私立海城高等学校在学中に、長嶋茂雄東京六大学野球新記録(当時)となる本塁打を放ち、嬉しさから小躍りしながら仲間と一緒にベースを回る姿を見て感化され[4]人生のすべてを長嶋茂雄にささげよう」と決意。長嶋がいた立教大学の全学部を受験し、辛うじて社会学部に補欠合格した。大学では放送研究会に所属。大学の同期に青尾幸加賀美幸子村田幸子土居まさる、後輩に関口宏古舘伊知郎久保田光彦、放送研究会の後輩にみのもんたがいる。

1963年に日テレ入社。同期入社に青尾幸、小林完吾がいる[5]。著書「企業内自由人のすすめ」によれば、日テレを受験した際、最終選考に残った2人が学生運動に関与していたことが判明し[6]、選考を辞退した影響で徳光が採用されたという。巨人の熱狂的なファンであったためプロ野球中継の担当にはなれず、プロレス中継[7]を中心に受け持った。ドラマ青春とはなんだ』にラグビー中継のアナウンサー役で出演したり、アニメルパン三世』に自動車レースを中継するアナウンサー役で声優として出演したこともあった。1969年10月からの『NTV紅白歌のベストテン』の総合司会で人気を得る。1974年10月からの『新・底ぬけ脱線ゲーム』の司会を務め、1979年3月からの『ズームイン!!朝!』では総合司会を9年間担当、1988年4月からの『NNNニュースプラス1』のメインキャスターを務めた後、1989年に日テレを退職し、フリーとなる。

1990年以降は『クイズダービー』、『徳光のTVコロンブス徳光和夫の情報スピリッツ』、『THE・サンデーTHE・サンデー NEXT』、『夜も一生けんめい。→夜もヒッパレ一生けんめい』、『ウェディングベル』、『世界ウルルン滞在記世界ウルルン滞在記2008』、『速報!歌の大辞テン』、『幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜』、『徳光和夫の感動再会"逢いたい"』など多くの番組で司会を歴任し、結婚式の司会でも活躍する。

毎年夏に放送される『24時間テレビ』で長年総合司会を務めている。わかっている限りで1978年の第1回から皆勤している唯一の人物といえる[要出典]。ただし、1990年から1994年にかけては裏番組に生放送のレギュラー番組があり(『徳光のTVコロンブス』)、その時間帯は抜けていた。

2008年秋の番組改編で、『THE・サンデー』、『オジサンズ11』、『世界ウルルン滞在記2008』が打ち切られた。スポーツ新聞の報道では、本人の高額なギャラと制作費の削減が原因とされている。

さらに、翌2009年春の番組改編では、『徳光和夫の感動再会"逢いたい"』も終了に至り、徳光のゴールデンタイムでのレギュラー番組が消滅した。また、地上波での徳光が司会のレギュラー番組も『THE・サンデー NEXT』のみとなった。

[編集] エピソード

  • 2001年、タフィ・ローズ王貞治のシーズンホームラン記録55本の記録を塗り替えようとしている時、日本テレビ系『THE・サンデー』生放送中に「肌の色が違って、血液型もよくわからないような奴に王さんの記録を抜いて欲しくない」と発言した。
  • 『徳光のTVコロンブス』では、CMに入る前に「ここで、トイレタイムです」との決め台詞を用いた。これ以来、CMを風刺する語として「トイレタイム」が使われる。
  • 愛車は日産・シーマ(F50型)。しかし、本人は運転免許を持っていない。自動車教習所を通っていたが、指導員と喧嘩をしていて運転免許を取得を止めていたらしい。
  • 大の箱根駅伝好きで、毎年沿道で応援をしている。大会前に独自に入手した選手のデータを手に実況を行うほどの熱の入れようで、今では復路8区の茅ヶ崎の名物になっている。この模様は自身が司会を務める『ザ・サンデー』の新年1回目の放送で毎年必ず放送されていた。なお、本人は「あくまでプライベートで応援しているものであり、撮影クルーは勝手に収録している」と語っている。
  • 徳光が、結婚式で司会を務めた芸能人カップルは、何故か7割がのちに離婚するため、一時期話題になった。
  • 年金記録問題において、社会保険庁に支払い確認を行ったところ、「死亡扱い」を受けていたことが判明。「なぜ僕が殺されなければならなかったんだ?」と、職員に抗議したという。2007年6月14日発行のスポーツ新聞では、「徳光和夫 社会保険庁に殺される!」とのトップ記事が並んだ。
  • 冠婚葬祭の司会の仕事を沢山やっているが、最後にやりたい仕事は「自分の葬式の司会」。既に録音をしており、弔辞は島田紳助と決めている。
  • フジテレビジョン|フジテレビ露木茂とは、アナウンサー同期かつ大学時代からの友人。また、元TBS鈴木史朗とは、局アナ時代からの友人であり、最近では『オジサンズ11』で共演した。
  • 担当している番組が終了の際「番組をお休みします」と言う(決して「終わり」「終了」とは言わない)。
  • 日テレの後輩アナウンサーの結婚(大神いずみ魚住りえ柴田倫世小野寺麻衣阿部哲子)については祝福のコメントを寄せることがあるが、訃報(米森麻美の死去など)、不祥事(船越雅史のセクハラ事件や炭谷宗佑の盗撮事件など)については、残念なコメントをすることもある。
  • 2008年7月18日に、フジテレビで放映された『一攫千金!日本ルー列島〜真夏のお台場番組祭り3時間スペシャル!〜新ドラマ&人気芸人が紳助にガチで挑戦するぞSP!!』において、司会の島田紳助が『徳光和夫の感動再会"逢いたい"』での感涙シーン直後に、負けたギャンブルの一報に接し豹変したエピソードを語り、「涙は仕事です」と発言し、周囲を慌てさせる。
  • 若手時代からプロレス中継を担当していた時期が長く、プロレス関係者との交友も深い。特にジャイアント馬場との友誼関係は深かった。上田馬之助とは上田の若手時代から親しく、徳光は上田のことを「馬さん」と呼んでいる。スポーツ中継で、「全国一千万人の○○ファンの皆様、こんばんは」の名文句があるが、これを言ったのは徳光による「全国一千万人のプロレスファンの皆様こんばんは」が元祖だった。言ったことについては、「ファンはこれぐらい言っておかないと失礼にあたる」といった趣旨から。
  • 好物は、メロンパン
  • 木下優樹菜のファンである。

[編集] 巨人ファンとして

熱狂的な長嶋茂雄ファンかつ巨人ファンであり、芸能人野球ファンのはしりである。1980年に、長嶋が巨人監督を解任された際に『ズームイン!!朝!』で球団や川上哲治への抗議を行ったことは特に知られている。その言動の中には、相当な負けず嫌いな様子が伺え、1986年に、巨人が広島との壮絶なペナント争いに敗れると、思わず「広島の選手が乗った飛行機が落ちるかもしれないでしょ?」と、口走ってしまった。福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)の投手だった藤井将雄が巨人との日本シリーズを控えた時期に肺ガンで死去した際、この訃報に対して「これで巨人軍は日本一確実だ」と言い放った。徳光が、時に見せる度を越した発言は、多くの野球ファンから批判の標的となってきた。そのため多くの巨人ファンは徳光をファンとは認めていないという。

王貞治の現役時代最後の本塁打となった868号のバットを所有しており、テレビ東京の『開運!なんでも鑑定団』に出品したことがある。 かつて、広島を破り巨人が優勝した際、広島ファンの久米宏を『ニュースプラス1』に生出演させた事がある。この時、久米宏は半ば強制的に「巨人軍優勝、ばんざい!」と言わされた。

[編集] 日本テレビアナウンサー時代

  • 1964年から1975年までは、プロレス中継の実況アナウンサー、リポーターとして活躍していた。
  • プロレス中継と並行して、1970年代に入ってからはバラエティ・情報畑で活躍するようになった。
  • 1980年にスタートした『NNSアナウンス大賞』の第1回最優秀賞受賞者である。
  • 1983年2月から1985年6月まで、日テレのキャッチフレーズ「おもしろまじめに4チャンネル」のイメージキャラクターを、小林完吾と共に務めた(徳光が「おもしろ」、小林が「まじめ」として)。このコンビで『笑っていいとも』の「テレフォンショッキング」に出演したこともある(1983年4月5日)。
  • 日テレ時代の後輩である福留功男とは、40年来の親友関係にあるが、『アメリカ横断ウルトラクイズ』での役回りから一時期テレビで「犬猿の仲」を演じていたことがあった。仕事以外では、福留が『ズームイン!!朝!』の司会に就任する際のインタビューで、徳光を「各局のリポートをきちんと受け止める名キャッチャーだった」と高く評価し、1991年に、福留がフリーになった理由のひとつが「先輩であり親友でもある徳光さんが退社してフリーになったこと」であったほど、徳光とは仲がよい。徳光も「トメはアナデューサーだ」と福留の放送人としての才能を評価している[8]2007年10月15日から放送されていた『オジサンズ11』で、フリー転向後初めて福留とのレギュラー共演を果たしており、この番組では「犬猿の仲」は演じていない。
  • 『ズームイン!!朝!』から『NNNニュースプラス1』に担当番組が代わった頃から「俺はバラエティ番組・情報番組に慣れていたからニュースキャスターは合わない」と思うようになった[9](ニュース番組担当はいそがしく時間を割かなければいけなかったため他の仕事ができなくなり、ニュース漬けになってしまったことが負担になっていた[4])。加えてアナウンス部長昇進のオファーがあった[9]が、徳光は数字の管理が苦手で、出張費を請求する時に出す関係書類を書くのも一苦労だったため結局自費で払い、その穴埋めにアルバイトをしていたことも多々あったほどで「自分の管理も満足にできない人が、上に立って他人の管理をすることは不可能だし周りが不幸になる」と思ったことなどが日テレ退社・フリーへのきっかけとなった[4]。古舘伊知郎が司会をしていた『オシャレ30・30』に生島ヒロシがゲスト出演した際、徳光がサプライズゲストとして出演し「管理職になるのがいやだったから」と自身が日テレ退社・フリーになった理由を語った。古館と生島も「徳光さんがフリーになったとは驚きましたよ!」と語っている。
  • 新人時代、都市対抗野球で「鞠が転々と転がりました」と実況したことが上層部の逆鱗に触れ、プロレス中継の担当に回された。

[編集] ギャンブル

大のギャンブルファンである。

  • 特に競艇が大好きであり、選手の心理状況や家族構成まで調べるくらいに熱中している。日テレ時代に『ズームイン!!朝!』を担当していた時は、番組が終わると毎日のように平和島競艇場に直行していたと言われる。また、アナウンサーを引退したら競艇場予想屋をやりたいとも語っている。
  • 競馬ではウインズ後楽園に出没する。1997年2月17日には、船橋競馬場で当時の南関東公営競馬史上最高配当記録となる馬複(馬連)20万馬券を的中し、約800万円の払い戻しを受け、大々的に報じられた(この時はウインズ新橋の場外発売で馬券を購入)。その際、徳光の馬券予想コーナーを掲載していたスポーツ報知では「徳さん万馬券的中」と1面で報じたが、別のスポーツ新聞は徳光であることに気がつかず、「初老の男性が換金に来た」と報じた。
  • 競輪では自宅のある茅ヶ崎に程近い平塚競輪場を訪れる。2007年日本選手権競輪など、当地でのテレビ中継のゲストに呼ばれたこともある。
  • 公営競技以外にも麻雀も打つ(過去にはストレス解消法として、深夜まで及ぶことがあった)[10]
  • 2008年4月26日に、酔っ払いウインズ銀座で騒ぎを起こしたと、同年5月3日付の東京スポーツで報道された。馬券を買おうと自動発券機にマークシートと紙幣を投入したが、機械のトラブルで発券されず、出走5分前だったためか激昂し、係員を呼び付け「どうなってんの!」と大声で怒鳴り散らし、係員が「破れた紙幣が(機械に)詰まっています」と状況を説明すると、「破れたお金なんか入れてないよ!」と、詰め寄ったという。徳光は翌4日放送の『ザ・サンデー』で「100%事実です」と謝罪した。
  • 2009年4月に映画『グラン・トリノ』の特別試写会に招かれた際には、自らの理想の死に方として「『これを孫娘に渡してくれ……!』と言って万馬券を持って死ぬ、とかですね、あまりにも高価な万馬券ゆえにショック死をしてしまうとか。」と語っている[11]

[編集] 入院生活

2001年6月に、急性心筋梗塞を患い緊急入院したが、同月末に現場復帰。息子の著書によれば、年齢不相応の不摂生が原因であるという。「健康に気を遣うということが、既に不健康である」というのが自身のモットーであったが、後にこの認識は改めざるを得なかった、とレギュラー番組で語っている。この経験により、2008年からはアステラス製薬が展開する、コレステロール適正管理キャンペーンに起用され、CMなどで日常での健康管理の重要性を呼びかけた。

なお、2001年の『24時間テレビ24』の司会は、最初と最後を除き、みのもんたが代行をした。

発病直前の生活について[10]

  • 週6本のレギュラー番組があり、休みがほとんどなかった。
  • ヘビースモーカーで、タバコを1日4箱(80本)吸っていた[12][13]
  • 魚の肝や魚卵、天ぷらなど脂っこいものが好き。

なお、アステラス製薬のインターネットサイトのインタビューで、退院間近になり、徳光は担当医師に「これからタバコの数は減らします」と発言したが、担当医師が「このチーム(徳光の治療にあたっていた医師達)解散します」と発言したその時、徳光は「僕はそのチームによって助けられたんだな。この人達に対してもこれからタバコを吸ったら失礼だ」と思ったという。さらに医師からも、「今後タバコを1本でも吸ったら命の保障はありませんよ」と言われ、徳光は禁煙することになった。

[編集] 出演作品

[編集] テレビ番組

[編集] 現在

1995年4月から2008年9月までMBS・TBS系にて放送されていたウルルンシリーズの再放送および未公開名場面集を基本としたBS-iのオリジナル番組。

[編集] 過去

日本テレビ

ニュース・情報番組

その他

テレビ朝日
朝日放送
TBS
TBSの安住紳一郎アナと共に司会していた「徳光&安住の感動再会“逢いたい!”スペシャル」をレギュラー化。
毎日放送
テレビ東京
テレビ大阪
フジテレビジョン|フジテレビ
NHK
中京テレビ放送|中京テレビ
札幌テレビ

[編集] ラジオ番組

ニッポン放送

[編集] 広告

出没!アド街ック天国のランキング紹介と同じように1人ずつ紹介していく、ナレーションは、アド街ック天国でもナレーションをしている武田広。徳光はナビゲーター。

[編集] 音楽作品

[編集] 映画

[編集] 脚注

  1. ^ 父が日テレ役員、本人が日テレアナ、息子も日テレの番組に出演しているため、親子3代に渡って日テレにも関与している。
  2. ^ 当時は軍国主義が強く唱えられた時代で、徳光の生まれた1941年に太平洋戦争が勃発した。
  3. ^ 週刊ベースボールで告白している。
  4. ^ 伊集院光 日曜日の秘密基地』(TBSラジオ、2007年11月11日放送)「秘密基地VIPルーム」コーナーにゲスト出演した徳光本人の発言
  5. ^ 他局の同期入社はNHK加賀美幸子広瀬久美子村田幸子名取将森本毅郎吉川精一フジテレビジョン|フジテレビ岩佐徹露木茂能村庸一
  6. ^ 日テレは学生運動や左翼運動を批判する立場を取っていた。
  7. ^ 日テレはジャイアント馬場が率いる全日本プロレスの中継権を持ち、視聴率の高いゴールデンアワーで放映して、看板番組の一つとしていた。
  8. ^ 実際、1991年の『24時間テレビ14』、1993年の『ズームイン!!夜!』、近年では1998年の『ウルトラクイズ』復活版、1999年の『11PM』特番で徳光と共演している。
  9. ^ ytv『情報ライブ ミヤネ屋』VTRインタビューでの発言。
  10. ^ 最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学』 2008年3月11日放送分より。
  11. ^ 徳光和夫の理想の"最期"は「超高額万馬券を当ててショック死」 - マイコミジャーナル・2009年4月16日
  12. ^ 以前は「ぼくがタバコ80本吸うのは巨人のためなんですよ。巨人が80勝するように、1本1本に願いをこめて吸っているんです」とTV番組で発言していた。
  13. ^ 退院会見で、「タバコを中学生のころから吸っていた」と語っていた。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

先代:
-
トップテンシリーズ男性司会者
初代(1969年 - 1982年
次代:
小倉淳
先代:
-
歌のワイド90分!男性司会者
初代(1982年 - 1986年
次代:
きくち教児
先代:
小倉淳
トップテンシリーズ男性司会者
3代目(1986年 - 1987年)
次代:
島田紳助
先代:
大橋巨泉
クイズダービー司会者
2代目(1990年 - 1992年
次代:
(放送終了)
先代:
中村敦夫
THE・サンデーTHE・サンデー NEXT男性司会者
2代目(1992年 - )
次代:
-
先代:
逸見政孝
夜も一生けんめい。夜もヒッパレ一生けんめい。司会者
2代目
1993年 - 1995年
次代:
(放送終了)

最終更新 2009年11月14日 (土) 08:10 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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