徳川光貞

徳川光貞の最新ニュースをまとめて検索!

徳川光貞
時代 江戸時代
生誕 寛永3年12月11日1627年1月18日
死没 宝永2年8月8日(ユリウス暦1705年9月14日
別名 長福丸(幼名)
戒名 清渓院殿二品前亜相源泉尊義對山大居士
墓所 長保寺
官位 従四位下常陸介、従三位参議右近衛権中将、
正三位権中納言、従二位権大納言、贈従一位
紀伊国紀州藩
氏族 紀州徳川家
父母 父:徳川頼宣、母:瑤林院(生母側室中川氏・理真院)
兄弟 徳川光貞、因幡姫(池田光仲室)、
松平頼純、松姫(松平信平室)
正室:伏見宮貞清親王の娘・安宮照子
側室:山田氏、宮崎氏、浄円院
徳川綱教(長男)、次郎吉、徳川頼職(三男)、
徳川吉宗(四男)、栄姫(上杉綱憲正室)、
光姫(一条冬経室)、育姫(佐竹義苗正室)

徳川 光貞(とくがわ みつさだ)は、江戸時代大名で、紀州藩第2代藩主である。

8代将軍吉宗の父。初代藩主徳川頼宣の長男。初代将軍・徳川家康は祖父に当たる。正室は伏見宮貞清親王の娘、ほか側室。子に綱教頼職・吉宗、上杉綱憲の室となった娘らなどがいる。幼名は長福丸。極位極官:従二位権大納言。贈従一位。水戸黄門3代将軍家光は従兄弟。

目次

[編集] 生涯

※日付=旧暦

寛永3年(1626年)12月11日、紀伊国和歌山城和歌山県和歌山市)に生まれる。

寛文7年(1667年)に父・頼宣から家督を継ぎ、元禄11年(1698年)まで31年間に渡り紀州藩の藩政を行う。法令27箇条を制定するなどの善政により、領民から慕われた。嫡男である綱教と5代将軍・徳川綱吉の娘である鶴姫を娶わせる。綱吉を屋敷へ招くなど将軍家と縁を深めるが、鶴姫の死で6代将軍は徳川家宣となる。宝永2年(1705年)には綱教が死去し、綱教の後を追うように薨去。享年80(満78歳没)。南紀徳川家の菩提寺である、長保寺(和歌山県海南市下津町)に葬られる。

文武両道の方針を貫いており、明律学を学んで刑法の基礎を作ったり、狩野興益や狩野探幽に師事して水墨画を描くなどした。

[編集] 官職位階履歴

  • 1631年寛永8年)5月3日、従五位上に叙位。
  • 1633年(寛永10年)9月5日、将軍徳川家光の一字を賜り、光貞を名乗る。従四位下常陸介に昇叙任官。
  • 1640年(寛永17年)3月4日、従三位参議右近衛権中将に昇叙転任。
  • 1653年承応2年)8月12日、正三位権中納言に昇叙転任。
  • 1667年寛文7年)紀伊国紀州藩主相続。
  • 1690年元禄3年)
    • 5月4日、権大納言に転任。
    • 5月12日、従二位昇叙。
  • 1698年(元禄11年)4月22日、隠居。
  • 1702年(元禄15年)5月28日、出家。對山を号す。
  • 1705年(宝永2年)8月8日、薨去。
  • 1832年天保3年)3月5日、贈従一位。法号「清渓院殿二品前亜相源泉尊義對山大居士」

[編集] 演じた俳優

[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月26日 (木) 10:12 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【徳川光貞】変更履歴

ご利用上の注意

もっと調べる!