徳田毅
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| 生年月日 | 1971年5月30日(38歳) |
|---|---|
| 出生地 | 鹿児島県名瀬市(現:奄美市) |
| 出身校 | 帝京大学(中退) |
| 学位・資格 | - |
| 前職 | 医療法人役員 衆議院議員秘書 |
| 所属委員会 |
衆・予算委員会委員 |
| 世襲 | 2世 父:徳田虎雄(元衆議院議員) |
| 選出選挙区 | 鹿児島県第2区 |
| 当選回数 | 2回 |
| 所属党派 | 自由民主党(古賀派) |
| 党役職 | - |
| 会館部屋番号 | 衆・第1議員会館340号室 |
| ウェブサイト | 情熱・挑戦・真っすぐに! |
徳田 毅(とくだ たけし、1971年5月30日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(通算2期)。医療法人徳洲会理事。父は徳田虎雄(政治家、元衆議院議員)。
目次 |
[編集] 経歴
鹿児島県名瀬市(現奄美市)出身。本籍地は鹿児島県大島郡徳之島町。1990年3月に鹿児島高等学校を卒業(同級生に稲森いずみ)し、帝京大学に入学、法学部に籍を置くも中退。1995年から父の個人事務所に勤務。2001年UCLA留学。2002年ハーバード大学サマースクール留学。2005年4月、帝京大学法学部に再入学するも後にまた中退。
2003年に結婚。その際媒酌人は亀井静香が務めた。2005年の第44回衆議院議員総選挙に、父の引退を受け、無所属で民主党の推薦を受け立候補し、87,737票を得て初当選。9月15日、自由連合代表となる。再提出された郵政民営化法案に賛成票を投じた。総理大臣指名選では2005年9月は自身に、2006年9月は自由民主党総裁就任間もない安倍晋三に投票した。
2006年10月、自由連合を離党する意向を表明し翌11月に鹿児島県庁で自由連合離党を発表。当面は無所属で活動。自由連合には国会議員が1人もいなくなり、政党助成法上の政党要件を失った。党の今後については、父で前代表の虎雄に一任を表明。
11月19日投開票された沖縄県知事選では、自由連合は野党系の糸数慶子を推薦したが、毅は告示日の11月2日に離党し、与党系の仲井眞弘多を支援した。結果は仲井眞が当選した。徳洲会の組織票は、実質的には仲井眞に流れたという(検証・仲井真知事誕生 新県政の課題と展望(1)『沖縄タイムス』11月21日号)。自民入党の交換条件として、知事選に協力したともいわれている。
11月29日、正式に自民党への「入党願」を出した。徳田は記者団に、「政策を実現するには与党でなければ限界がある」と説明した(『読売新聞』2006年12月3日号)。また、『毎日新聞』12月4日号によると、自民党の宮路和明鹿児島県連会長は同紙に、毅は同年4月の衆議院千葉7区補欠選挙、沖縄市長選でも与党に協力したと明かした。毅の入党を容認する狙いと見られている。2006年12月20日入党届けを提出し入党を果たす。これにより、鹿児島県の衆議院小選挙区は、自由民主党が独占することとなった。
2007年の第21回参院選では、従来保守地盤の強い鹿児島でも自民・民主の候補が接戦となったが、自民の加治屋義人が2664票差で逃げ切った。加治屋は全県では票を減らしたが、毅の地盤である奄美市・大島郡などで票を伸ばしたことが逃げ切れた要因の一つといわれる。
2009年8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙に自由民主党から出馬し当選。公明党の推薦も受ける[1]。
[編集] 脚注
- ^ 比例貢献が基準?公明が自民92候補を推薦(2009年7月30日20時25分 読売新聞)
[編集] 関連団体
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 衆議院議員 徳田毅‐情熱・挑戦・真っすぐに!(公式サイト)
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