忠清北道
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| 忠清北道 | |
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| 位置 | |
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| 地図 | |
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| 各種表記 | |
| ハングル: | 충청북도 |
| 韓国における漢字: | 忠淸北道 |
| 平仮名: (日本語読み仮名): |
{{{平仮名}}} |
| 片仮名: (現地語読み仮名): |
チュンチョンブク=ド |
| 略称: | 충북;忠北;Chungbuk;チュンブク |
| ローマ字転写: | Chungcheongbuk-do |
| 英語名: | |
| 面積・人口(2004年) | |
| 面積: | 7,431.71km² |
| 総人口: | 1,500,558人 |
| 男子人口: | 755,712人 |
| 女子人口: | 744,846人 |
| 人口密度: | 201.9人/km² |
| 世帯数: | 522,501世帯 |
| 情報 | |
| 国: | |
| 下位行政区画: | 4市9郡 |
| ISO 3166-2: | KR-43 |
| 行政区域分類コード: | 33 |
| 忠清北道の木: | ケヤキ |
| 忠清北道の花: | ハクモクレン |
| 忠清北道の鳥: | カササギ |
| 自治体公式サイト: | 忠清北道 |
忠清北道(チュンチョンプクド、ちゅうせいほくどう)は大韓民国中部(朝鮮半島中部よりやや南)に位置する行政区である。1896年、勅令第36号で朝鮮八道における忠清道の東半分を「忠清北道」と定めた。1945年以降は大韓民国の行政区となり、現在に至る。道庁所在地は清州市。通常は忠北と略される。
目次 |
[編集] 概要
- 面積 7,431.50平方キロ
- 人口 1,527,339人 (2007)
北を京畿道と江原道、西を忠清南道、東を慶尚北道、南を全羅北道と接する。従って大韓民国唯一の内陸道(周りを海と接していない道)となる。ほとんどが山地であり、蘆嶺山脈と小白山脈が道の多くの面積を占める。小白山脈は国定公園に指定されており、観光地の一つである。
農業が発達し、コメ、大麦、大豆、サツマイモ、ブドウ、スモモなどを生産している。高麗人参とタバコの葉の生産においては韓国有数である。また、絹織物の生産は道の重要産業の一つである。
タバコ栽培は1912年にアメリカ合衆国から導入され、バージニアから移植された。金、鉄、石炭、蛍石、モリブデンなど地下資源を埋蔵し、大理石や石灰石も採掘される。
1992年に日本の山梨県と姉妹道県提携をしている。海に面していない内陸地域である点、ブドウやスモモの果樹栽培が盛んな点、また首都ソウルから道庁所在地の清州市までの距離が、日本の首都東京から山梨県の県庁所在地の甲府市までの距離とほぼ同じ(約130km)であるといった共通点を持つ。1997年(平成9年)には提携5周年記念事業として、山梨県立考古博物館において特別展「韓国・忠清北道の古代文化展」が開催された。なお、清州市と甲府市も2002年に姉妹都市提携をしている。
[編集] 歴史
- 古代の馬韓の地であり、三国時代前期には百済、高句麗、新羅の交界地となり、後に百済領となった。
- 統一新羅時代に中原と西原の小京を設置、高麗時代の995年に中原道が設置され、1106年に忠清道となった。
- 1896年忠清北道と南道に分割され、忠清北道観察使が忠州に駐在、1908年清州に移転して現在の忠清北道庁になっている。
- 1914年3月1日行政区域の統廃合が行われ10の郡に統合される。
- 1931年4月1日 行政制度改正に伴い清州面、忠州面が邑に昇格。
- 1940年11月1日永同面、堤川面が邑に昇格。
- 1946年6月1日清州面が清州府に昇格。
- 1995年3市8郡に統合。
- 2003年槐山郡から曾坪邑と道安面を分離して曾坪郡を新設
[編集] 行政
| 合計 | ハンナラ党 | 民主党 | 自由 先進党 |
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|---|---|---|---|---|
| 合計 | 31 | 28 | 2 | 1 |
| 地域区 | 28 | 26 | 1 | 1 |
| 比例代表 | 3 | 2 | 1 | 0 |
- 出典:忠清北道議会の의회구성:의원(議会構成:議員)を参照。
[編集] 忠清北道の自治体
忠清北道には3市9郡が設けられている。
[編集] 都市
[編集] 郡部
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年6月9日 (火) 04:41 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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