恭帝 (東晋)
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| 恭帝 司馬徳文 | ||
|---|---|---|
| 東晋 | ||
| 11代皇帝 | ||
| 王朝 | 東晋 | |
| 在位期間 | 418年 - 420年 | |
| 姓・諱 | 司馬徳文 | |
| 字 | 徳文 | |
| 諡号 | 恭皇帝 | |
| 廟号 | 無 | |
| 生年 | 386年 | |
| 没年 | 421年 | |
| 父 | 孝武帝(次子) | |
| 陵墓 | 沖平陵 | |
| 年号 | 元熙 : 419年 - 420年 | |
恭帝(きょうてい)は東晋の第11代(最後)の皇帝。第10代皇帝・安帝の同母弟に当たる。
[編集] 生涯
知的障害とされる兄・安帝と異なり、英明な資質があったと評される。劉裕が安帝を殺害して簒奪しようとしているのを察知し、常に安帝の傍にいたが、418年、彼が不在の際に安帝は殺害された。その後、劉裕により皇帝として擁立されたが、これはもはや禅譲の布石としての傀儡に過ぎなかった。そして結局、420年に劉裕に禅譲することを余儀なくされた。こうして東晋は滅亡し、新たに劉裕(高祖武帝)による宋王朝が成立したのである。
そして421年、劉裕より自殺することを命じられたが、自殺することを拒絶し、絞殺されたという。齢36。
[編集] 宗室
[編集] 子女
- 海塩公主
- 当陽公主
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最終更新 2009年5月17日 (日) 09:43 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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