悟真寺 (長崎市)
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| 悟真寺 | |
|---|---|
| 所在地 | 長崎県長崎市曙町6-14 |
| 位置 | 北緯32度45分09秒 東経129度51分43秒 |
| 山号 | 終南山 |
| 宗派 | 浄土宗 |
| 本尊 | 阿弥陀三尊像 |
| 創建年 | 1598年(慶長3年) |
| 開山 | 聖誉玄故 |
| 開基 | 欧陽華宇・張吉泉 |
| 正式名 | 終南山光明院悟真寺 |
| 文化財 | 唐人墓地祭場石壇・淵村庄屋志賀家の墓(長崎市史跡) |
悟真寺(ごしんじ)は長崎県長崎市にある浄土宗の寺院。終南山光明院。本尊は明国由来と伝えられる阿弥陀三尊像。
目次 |
[編集] 歴史
戦国時代、長崎はキリシタン大名の大村純忠によってイエズス会に寄進され、寺社仏閣はほとんど打ち壊されていた。
1587年(天正15年)に豊臣秀吉が伴天連追放令を出し、翌年にはイエズス会から長崎を接収し直轄地としたがなお当地ではキリシタンの勢いが強かった。筑後国久留米の善導寺の聖誉玄故が長崎における布教の拠点としての寺院建立を図り、1598年(慶長3年)に本寺が創建された。
創建後まもなく、当時長崎で貿易を行っていた明国商人の欧陽華宇と張吉泉が帰依した。また、1602年(慶長7年)には本寺境内に100間四方の朱印地を与えられ、唐人墓地が設けられた。以後、寺請制度の整備により華僑独自の菩提寺(興福寺・福済寺・崇福寺)が建てられるまで、本寺が長崎における華僑の菩提所となった。
当初唐人墓地として華僑のみが葬られていたが、長崎に出入りする各国の客死者の埋葬が順次行われるようになり、現在の稲佐国際墓地になった。
1945年(昭和20年)8月9日の原爆投下では本堂が倒壊。1959年(昭和34年)に現在の本堂が再建された。
[編集] 稲佐悟真寺国際墓地
1602年に唐人墓地として開設。1654年(承応3年)にそれまで水葬とされていた在留オランダ人の死没者の埋葬が許されるようになった。
幕末になり、開港場となった長崎港に出入りする国が増えるとそれらの国の死没者も葬られるようになった。ロシア人墓地・アメリカ人墓地が設けられている。
現在も悟真寺住職により管理されており、仏教寺院境内に仏教・道教・キリスト教・イスラム教の異なる宗教の墓地が併存する珍しい形態となっている。
[編集] 文化財
- 長崎市指定史跡
- 唐人墓地祭場石壇
- 淵村庄屋志賀家の墓
[編集] アクセス
[編集] 周辺
- 稲佐警察署
- 長崎市立朝日小学校
- 長崎市立丸尾中学校
- 旭大橋
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年9月26日 (土) 05:32 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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