愛甲猛

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愛甲 猛
基本情報
国籍 日本
出身地 神奈川県逗子市
生年月日 1962年8月15日(47歳)
身長
体重
181cm
87kg
選手情報
投球・打席 左投左打
守備位置 一塁手外野手投手
プロ入り 1980年 ドラフト1位
初出場 1981年4月6日
最終出場 2000年
経歴(括弧内は在籍年)

愛甲 猛(あいこう たけし、1962年8月15日 - )は、日本神奈川県逗子市出身の元プロ野球選手投手内野手外野手)、俳優実業家

選手時代はロッテ中日に在籍。ロッテでは勝負強さを武器に主軸を打ち、中日では代打の切り札として活躍した。現在、野球指導者。

目次

[編集] 来歴

横浜高校では左腕エースで3番打者を務め、3年時の1980年夏の甲子園の決勝では早稲田実業荒木大輔に投げ勝ち優勝。

同年ドラフト1位でロッテに指名され入団。本人は地元である大洋ホエールズ西武ライオンズへの入団を希望していたが、当時は不人気球団だったロッテが交渉権を得たため、露骨に嫌な表情を浮かべた。しかし、入団後は背番号1を与えられるなど優遇され、甲子園のアイドルだった愛甲を目当てに、多くの女性ファンがキャンプや試合に訪れた。

プロでは投手としてスタートするが、1勝もできず伸び悩む。4年目の1984年からは野手に転向。チームの先輩落合博満に弟子入りして打撃技術向上に取り組み、野手転向3年目の1986年から一塁手としてレギュラーに定着。強肩を買われ外野を守ることもあった。

1988年にはチームの主軸として初の二桁本塁打を記録。10.19のダブルヘッダー第1試合では初回に小野和義から先制2ランを放った。1989年には打率3割を記録し、ゴールデングラブ賞も獲得。 1988年6月25日から1992年7月11日にかけて記録した535試合連続フルイニング出場は、パ・リーグ記録となっている。

1995年、不調に陥りチーム構想を外れ、シーズンオフに中日へ無償トレードされる。中日では準レギュラーとして活躍。1999年には代打起用ながら打率.387と勝負強さを見せ、リーグ優勝に貢献。(マジック1で迎えた神宮球場のヤクルト戦で、彼が代打で打席に立っている時に2位巨人が敗れて優勝が決まり、スタンドが大きくどよめいた。)2000年に現役を引退。

その後、飲食店経営やサラリーマンなど職を転々とする。タレント時代には映画(Vシネマ)に端役として出演。一時期はマスターズリーグにも参加した。

2002年には失踪騒動が起こり世間を騒がせる。様々な憶測を呼んだが、愛甲本人は「3日ほど温泉に行っていただけ」と語っており、タレントとして契約していた芸能プロダクションとのトラブルにより、失踪という報道が出てしまったのが原因であった。

2006年からは独立して東京都錦糸町化粧品サプリメントの企画会社を経営、現在に至る。

2008年からは雑誌スコラで、野球コラムを連載している。

[編集] 人物

  • 中学~高校時代は悪童としても有名で、高校卒業間際に暴行事件が発覚。愛甲は土下座して謝ったが、横浜高校はこの一件が原因で対外試合禁止処分を受け、春の大会に出場できなかった。甲子園優勝投手の暴行事件として反響を呼んだ。
  • 中学3年生からすでにタバコ、麻雀、シンナー、女性との初体験などを経験していたと自著で述べている。
  • 高校時代には渡辺元智監督の自宅に下宿していたが、監督の自宅にある電話で毎晩夜遅くまで電話をかけていた。そのため渡辺家の電話代が何倍にもなってしまったが、当の渡辺監督は黙認していた。
  • 入団時の記者会見で「野球をやめたら吊るしの洋服屋がやりたい」というコメントを残す。
  • 指名された瞬間とは違い、入団後はとくに不満を漏らすことはなかった。とくに、名実とも「ロッテの顔」となった打者転向後はファンサービスにも熱心であった。
  • 1990年のドラフトで小池秀郎がロッテの指名を拒否し、「ロッテにだけは行きたくない」と発言したのを聞くと「あんな風に公に批判をするもんじゃない。もし、僕が彼の先輩だったらぶん殴ってやりますよ」と憤った。
  • 1989年は一時期、打率.330を超え首位打者争いをするなど絶好調だったが、シーズン終盤に調子が急落。3割すら切りそうなほどのスランプにあえいだが、ある試合で松永浩美に「サードに転がせばヒットにしてやるよ」と言われたことをきっかけに内野安打で出塁。調子を取り戻し、3割を達成した。
  • 現夫人とはロッテ時代にJR横須賀線の車内で出会った。酔っ払いに絡まれた夫人が、偶然愛甲の隣に逃げてきて座ったのがきっかけで電話番号を書いた紙を渡して別れたが、後日本当に連絡があり交際が始まった。
  • アーチェリーの第一人者で日本体育大学助教授の山本博は高校の同級生である。
  • ロッテ時代、千葉移転後のピンク色を基調としたユニフォームでは、背番号の書体が一人だけ違うものを着けていた(数字の「1」の下のところに土台がついたものを着けていた)。同様のケースは、西武・ダイエーの秋山幸二、ダイエーの柴原洋にも存在した。
  • 打者転向の際に落合に受けた自主トレはスパルタなもので、余りの厳しさに愛甲が「自分も甲子園優勝投手ですよ」というと、落合に「そんなに甲子園がいいなら甲子園に帰ればいい」と叱られ、プライドを捨てる事ができたという。
  • 2009年8月、娘が千葉マリンスタジアムで売り子のアルバイトをしていることが報じられた。

[編集] 薬物騒動

週刊誌などで自らの薬物使用を何度も告白している(週刊現代」2001年4月発売号、Spa」2008年発売号、週刊新潮2009年7月23日号)。それらによると、中日時代の1990年代末に体力の衰えをカバーするため、ホルモン剤の「アンドロステンジオン」を服用したという。

  • 薬を使ったトレーニングの効果として、すべての力、体力、持久力、精力が異常に強くなった。副作用に関しては「引退(2000年)の2年前から、激しい動悸が起きるようになったため量を減らした」「引退から3カ月ほど経ったころ、足が異様にむくんだりして、病院で『静脈血栓』と診断され、即入院を言い渡された」など、薬物の危険性を語っている。
  • 結果的に薬物の使用による副作用で故障がちとなり、選手寿命を縮めることになったが、著書では「後悔はしていない」とも述べている。

[編集] 年度別成績

[編集] 打撃成績

  • 表中の太字はリーグ最多数字
















































O
P
S
1981 ロッテ 1 13 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 - - - -
1982 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 - - - -
1983 48 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 - - - -
1984 2 6 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 - - - -
1985 40 59 10 18 6 0 2 30 8 0 2 0 1 3 0 9 1 .305 - .508 .339 .847
1986 108 268 35 71 9 2 7 105 26 4 5 8 4 12 2 55 3 .265 - .392 .301 .693
1987 105 292 39 76 20 2 8 124 31 2 5 3 2 18 1 44 8 .260 - .425 .305 .730
1988 130 493 61 141 30 0 17 222 63 7 2 2 3 34 6 72 11 .286 13 .450 .340 .790
1989 130 528 66 160 34 2 13 237 65 8 3 0 0 46 2 111 15 .303 8 .449 .361 .810
1990 130 523 75 127 27 0 21 217 72 15 4 6 3 48 0 112 5 .243 30 .415 .306 .721
1991 130 495 46 134 30 2 8 192 59 7 3 11 4 55 0 92 8 .271 15 .388 .344 .732
1992 130 464 42 127 26 2 8 181 53 4 5 15 6 42 7 83 8 .274 20 .390 .343 .733
1993 125 398 42 100 27 2 8 155 33 3 2 10 5 41 2 58 9 .251 22 .389 .324 .713
1994 111 327 41 95 20 2 5 134 41 1 2 3 0 31 2 49 1 .291 - .410 .356 .766
1995 46 105 6 19 4 0 2 29 7 1 0 3 0 12 1 27 4 .181 - .276 .271 .547
1996 中日 9 56 82 7 17 3 0 4 32 17 0 0 0 3 5 1 22 3 .207 - .390 .261 .651
1997 93 99 8 28 5 1 2 41 20 0 0 2 4 16 0 18 3 .283 - .414 .383 .797
1998 78 62 9 14 2 0 2 22 13 0 0 1 1 13 1 13 1 .226 - .355 .368 .723
1999 38 31 3 12 1 0 0 13 3 0 0 0 0 3 0 6 0 .387 - .419 .441 .860
2000 14 12 1 3 1 0 1 7 2 0 0 0 0 1 0 2 2 .250 - .583 .308 .891
通算成績 1532 4244 491 1142 245 15 108 1741 513 52 33 64 36 380 25 774 82 .269 - .410 .333 .743
  • 初打席:1984年9月25日、日本ハム戦(川崎) 6回木村広の前に左飛
  • 初安打:1985年5月26日、阪急戦(西宮) 4回山田から左前安打
  • 初打点:1985年9月30日、日本ハム戦(後楽園) 4回柴田から2点適時打
  • 初本塁打:1985年10月3日、日本ハム戦(後楽園) 8回柴田から右越ソロ

[編集] 投手成績

年度 登板 勝利 敗戦 打者 投回 安打 本打 四球 死球 三振 失点 自責 防御率
1981 8 0 2 83 17 21 2 12 4 7 19 19 10.06
1982 5 0 0 22 5 1/3 9 3 2 0 0 4 4 7.20
1983 48 0 0 126 24 2/3 23 4 28 2 16 16 12 4.38
通算 61 0 2 231 47 53 9 42 6 23 39 35 6.70
  • 初登板:1981年4月6日西武戦(川崎)3-10 8回から3番手登板、2回4失点

[編集] 表彰・記録

  • ゴールデングラブ賞(1989年)
  • 535試合連続全イニング出場(1988年6月25日〜1992年7月11日)
  • 6試合連続二塁打(1994年5月28日〜6月7日)
  • オールスターゲーム出場 2回(1989年、1991年)
  • 通算1000試合出場 1993年5月19日(309人目)

[編集] 著書

[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月27日 (金) 08:56 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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