慕容宝
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| 恵愍帝 慕容宝 | ||
|---|---|---|
| 後燕 | ||
| 2代皇帝 | ||
| 王朝 | 後燕 | |
| 在位期間 | 396年 - 398年 | |
| 姓・諱 | 慕容宝 | |
| 字 | 道祐 | |
| 諡号 | 恵愍帝 | |
| 廟号 | 烈宗 | |
| 生年 | 355年 | |
| 没年 | 398年 | |
| 父 | 慕容垂(第4子) | |
| 母 | 段氏 | |
| ※幼名は形檔勾 | ||
慕容 宝(ぼよう ほう、拼音:Mùróng Bǎo)は五胡十六国時代の後燕の第2代皇帝。
目次 |
[編集] 生涯
後燕の初代皇帝慕容垂の第四子として生まれる。
建興10年(395年)11月、北魏の拓跋珪と戦い、黍穀にて大敗する。
建興11年(396年)3月、慕容垂は平城を攻略し陥落させる。4月、慕容垂が死ぬと慕容宝はそのあとを継いで即位し、永康と改元。
永康2年(397年)3月、慕容宝は薊にて北魏軍に敗れる。将軍の慕容詳は中山にて帝位を僭称、慕容宝は黄龍に逃れる。子の清河王会は、龍城を守っていたが、父の危機を聞いて駆けつけた。しかし、慕容宝は慕容会の兵を奪って弟の遼西王農らに分け与えてしまう。慕容会はこれに怒り、慕容宝らを攻撃。慕容宝は龍城まで逃げたが、慕容会に包囲された。侍禦郎の高雲が慕容会を破り、慕容会は中山に逃げた。これによって慕容宝は高雲を養子とし、夕陽公に封じた。のちに慕容会は慕容詳に殺された。9月、慕容宝の将軍の慕容麟は慕容詳を中山で斬り、自ら帝位についた。10月、慕容麟は北魏軍に敗れる。
永康3年(398年)5月、配下の蘭汗は慕容宝を殺し自ら大将軍・昌黎王と称す。7月、慕容宝の子の盛は蘭汗を斬り、長楽王を僭称、皇帝位を代行した。
[編集] 宗室
[編集] 関連項目
[編集] 参考資料
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