戦死

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おびただしい戦死者の霊を慰めるモニュメント(
コルヴィル米軍戦没者墓地/オマハ・ビーチノルマンディー上陸作戦の激戦地となった)

戦死(せんし・:Killed in action, KIA)とは、軍や市民防衛隊あるいはゲリラなどの構成員が作戦戦闘に参加し、その行動中に死亡することを言う。

類義語に「戦没」がある。こちらは戦争で死亡することをさし、戦闘に巻き込まれた一般市民の犠牲者や出征中の直接の戦闘に関わらない病死戦病死)も含まれる。

目次

[編集] 概要

戦死は、戦時中に戦闘に参加し、死亡すること全般を指す。概ね作戦終了後に行われる「戦場掃除」によって生死を確認、遺体の回収などが行われる。しかし状況が切迫している場合は遺体が回収されないこともあり、最悪の場合には回収すべき遺体そのものが原形を留めていなかったり、あるいは回収すべき対象すら残らない場合もある。

一般的に戦死者の数が多くなると、国民の間に厭戦(えんせん:戦争継続に拒否的反応を示すこと)気分が広がりやすい。特に情報統制をしない国家において顕著であり、民主制国家においては政策決定に影響する。20世紀に入ってからの近代の戦闘では、遺族の心情に配慮し可能な限り遺体を回収するなどの努力が払われてきたが、古くは行軍の妨げにもなったことから山野に放置されることも多く、「一将功成りて万骨枯る」(原文:一将功成万骨枯・意訳:一人の武将が功績を上げた陰で、多くの将兵が戦場に骸を晒している:曹松(晩唐)『己亥歳詩』より)や「The success of one is built on the sacrifice of many.」(ほぼ同義)といったような凄惨な話も存在する。しかしこれは古代中国の話だけではなく、第二次大戦当時の日本軍将兵の遺骨は、今なお相当数が東南アジアで放置されたままであるし、真珠湾攻撃で沈められた米海軍戦艦のアリゾナには、今なお乗組員の遺骨が眠ったままハワイの海底に横たわる。現代では兵站の発達や戦争形態の変化(後述)などにもより、戦闘地域から回収した遺体を本国に持ち帰ることが可能になったものの、回収の余力がなく現地で埋葬したり遺棄せざるを得ないこともある。一部の国及び遺族会では、戦後の平和治安国交が回復して後に、現地に埋葬ないし遺棄された遺骨の回収事業を行っている。

米国式のドッグタグ

戦場では遺体回収が確実に行われなかったり、あるいは、あまりに混乱した状況では本人確認が困難となる傾向もある。このためドッグタグのような本人確認のための手段も存在する。かつては全身の遺体回収が困難な場合、所持していた私物や遺髪・指などを切り取って持ち帰ったり、戦地の砂や土とされるものが遺族に渡される例もあった。

戦争中に、戦闘に参加した兵士の生死そのものが確認できなくなるケース(任務中行方不明:MIA, Missing in action)や、捕虜となりその後の消息がつかめなくなるケース、あるいは所属部隊が激戦地に配属され「ほぼ全滅」となった場合に、誤って家族に戦死の報が届く場合もある。日本では第二次世界大戦中、所属部隊が全滅とされ関係者が遺体の無いまま戦死したとみなし、戦後になって当人が抑留生活などから帰還して、自分の墓と対面するなどといった椿事もしばしば発生したことなどが伝えられている。

[編集] 戦死の形態

戦場で行える措置には限りがあるために負傷が悪化して死亡する戦傷病死がしばしば発生する。この場合は死亡の主要因が戦闘に拠るなどの事情もあって戦病死ではなく戦死扱いになることが多い。野戦医療の不足による戦死者増加は、戦力や士気の低下だけでなく、前出の戦死者増加に伴う国民支持の低下にもつながるため、民主主義国家ほど戦死回避のために注力される傾向がある。

現代の兵士が直接戦闘で死傷する原因のトップは砲爆撃である。砲弾や爆弾は炸裂すると広い範囲に破片が飛び散り、その破片に当たった多くの兵士が死傷するからである。現代の兵士がヘルメットボディアーマー(防弾服)を身につけているのはこのためで、これは銃弾などの直撃から身を守ることよりも、破片による死傷を防ぐ意味合いが強い。こと軍用ヘルメットは、戦場で歩兵の主装備となっている小銃アサルトライフルの弾丸が易々と貫通するが、それとて破片などの衝突には有効な防御力をもちうるため、第一次世界大戦よりの歩兵装備として有効性が認められて発達し、現代的な装備としても標準的な地位を得ている。

厳密には戦死と異なるが、軍事活動下での死傷者を出す事故はさほど珍しくない。暴発など武器の事故は言うに及ばず、空母で艦載機事故による火災が原因で亡くなるケースや、移動中の航空機や自動車の事故(一種の交通事故)といったケースも少なからず見られる。これは戦時に限らず平時にもあることであり、戦闘を経験していない自衛隊でも警察予備隊創設から2008年現在までに約1800名の殉職者を出している。

やはり厳密には戦死と異なるが、戦場では戦病死も無視できない要素である。戦病死は時代をさかのぼるほど多く、近代までは主要な死因であった。現代における非対称戦争の多勢側では、兵站や輸送が充実しているため治療が受けやすいが、その限りではない状況下で疾病はしばしば致命的となりがちである。一般に衛生状態がよくない戦場において兵站が十分でないと栄養不足や医薬品不足から命を落とす兵士が後を絶たず、伝染病風土病が流行して死者が大量にでることも珍しくない。戦闘ストレス反応(シェルショックなど・歩兵の項を参照)による自殺といったケースのほか、マラリアなど風土病による病死や野営中に野生動物に襲われたケースなど、戦場という劣悪な環境下では様々な死が存在する。その一方で寒冷地での行軍は低体温症を招き、凍死者を発生させる。こういった劣悪な環境による負傷や戦病は、むしろ直接的な戦闘より多くの死傷者・要救護者を発生させうる。

こういった各々の死因は、直接看取った者が生存していなければ不明となってしまう場合も多い。

[編集] 戦死者数

兵員の損失率を「兵員10万人あたりの一日損失数(負傷者を含む)」で換算すると、第一次世界大戦では当時の装備・医療技術の関係から数千を超える場合もあったという。一度敵陣地への突撃が敢行されると機関銃や砲撃でおびただしい死傷者を生み出した。一方で苛酷な環境は戦病死者を増大させる傾向にあり、本格化した塹壕戦においては、劣悪な塹壕内の環境のせいで戦病死者は多く、特にスペイン風邪の大流行(パンデミック)が多くの死者を出し、戦局にすら影響を与えたとされる[1]

第二次世界大戦ともなると北アフリカ戦線のドイツ軍における6人(10万人あたりの死亡者や負傷者の損失数・平均)や同ドイツ軍のロシア戦線200人まで様々である。その一方、病気による兵員の損耗は深刻で、マラリアだけをとってみても1日で10万人辺り200人を越す発症者・病死者を生むという。

この他にも戦闘中の事故による損耗も問題で、車両事故や兵器に関する事故では20人(10万人あたりの1日損耗数)が負傷したり死亡したりしている。このほか、補給の途絶による飢餓も深刻な問題を起こすことがあるが、これは軍隊組織の状況によってもまちまちである(→レーション)。

なお直接戦闘による死亡者は過去の戦績から負傷者3名のうち1名は戦死するが、負傷者が多く出るか少なくて済むかは装備・訓練度・士気・指揮系統の能力や確実性によって大きく変化する。

ちなみに戦死自体は戦争時の人員的損失の21%で、負傷者は医療兵が治療に手を取られることを含め22%の損失、事故による死亡が戦死者とほぼ同等の21%、疾病などによる損失は負傷や疾病で戦争を生き長らえるものを含め医療関係者を含め52%の損失となっている(『新・戦争のテクノロジー』P486より)。なお戦闘時における兵員の疾病・負傷者・脱走などを含む損耗率は、平均して攻撃側が1日辺り全体の3%程度、防衛側が1日辺り1.5%である(同P491)。

[編集] その他の側面

なお第一次世界大戦では戦争の形態が総力戦となり、戦略戦術の面では相手の戦力を、ひいては相手側の国力を効率よく削ぐために兵器はより強力となり、「如何に効率よく兵員を殺傷するか」が研究されるようになった。

しかし第二次世界大戦以降の戦闘では、過去の戦闘に関する統計学的な情報もあって、この「如何に敵兵を効率よく殺傷するか」という方向性ではなく、「如何に効率よく負傷させ、戦闘不能な状態に陥らせるか」が重視されている。これは死亡者は兵の損失が1であるのに対し、負傷者は負傷者自身に加えて救護者が数名は必要で、更に効率よく敵兵力を削ぐことができるためである。このほか負傷者は他の健康な兵士の士気を下げ、さらに負傷者救護とこの治療のために医療措置の充実に出資も強いられるなどの社会的資源の投入が必要であり、敵国の国力を消耗させることができることによる。

この方向性で最も顕著な変化を遂げたのが地雷で、対人地雷ではこれを踏んだ兵員一人ないし車両一台を爆破するのではなく、足だけに甚大な損傷を与えて行動不能にすることを狙ったものも登場している。

[編集] 国家と戦死

殆どの国家は戦死は国家の為に命を捧げた行為として敬意を示す。その表れとして国立慰霊施設が設けられている国が多く、戦前より日本では靖国神社及び護国神社がその役割を果たしていた。軍や国家にとって戦死者は最も名誉な存在とされ、勲章を追贈(没後授与)される兵士も多い。死後昇進も広く行われており、近代から現代の日本の場合、原則二階級特進する。

戦争遺児や未亡人を救済するため、戦死者の残された家族(遺族)には国家や軍から補償が行われる場合が多い。民主政国家、特に先進国にこの傾向が強く、遺族年金を長年にわたって支給した場合、累積額は一般人生涯賃金に匹敵する事も珍しくない。このため国家は財政的負担の見地からも死傷者を抑制する姿勢を強めている。

戦争には戦死が不可分とはいえ、死者が増えるほど兵士の家族を中心に厭戦気分が高まるため、しばしば戦死の描写が報道規制の対象になる。戦争継続に更に必要になる人員募集において、減速材料にもなる部分にもちなむ。こういった戦死状況の開示制限は例えば第一次世界大戦において戦場に多くのカメラマンが同行したが、フランスでは「母親が見て涙する映像は撮影してはならない」(NHKスペシャル『映像の世紀』2回目『大量殺戮の完成』より)とされ、そのような映像を撮影した者は罰則を受けた。こういった事情もあり、第一次世界大戦・第二次世界大戦を通して報道が制限を受けることはままあった。ベトナム戦争中のアメリカでは民主主義的な観点から非常に開かれた報道がされたが、反戦運動の激化とベトナム撤退という結末を迎えてしまい以後再び報道規制が敷かれることになる。

[編集] 脚注

  1. ^ スペインかぜ・中外製薬ウェブサイト内コラム

[編集] 参考書籍

[編集] 関連項目

最終更新 2009年10月20日 (火) 07:12 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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