戸塚道太郎

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戸塚道太郎

戸塚 道太郎(とづか みちたろう、1890年明治23年)4月21日 - 1966年昭和41年)3月6日)は、大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍中将東京都渋谷区出身。

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[編集] 略歴

旧制東京府立第4中学校より海軍兵学校第38期入校。入校時成績順位は150名中第12位、卒業時成績順位は149名名中第33位。

第1海軍聯合航空隊司令官在勤中に上海渡洋爆撃の提案実行者として著名。

航空畑に移籍前は艦船勤務が多い典型的な砲術畑の軍人だった。航空畑への移動は山本五十六海軍航空本部長の要請と知り一層奮起したそうである。

渡洋爆撃は前例も無く成功を危ぶむ声が高く事実護衛戦闘機を伴わない攻撃では3割を超える被害が続出し軍令部でも攻撃続行に疑念を示す者も少なくなかった。

終戦直前に横須賀鎮守府司令長官に就任し、終戦直後の厚木海軍航空隊叛乱事件では米内光政海軍大臣の命令を忠実に守り、海軍陸戦隊を出動させても討伐する意思を固めていたが、発動直前に首謀者の小園安名海軍大佐が半狂乱状態になり指揮系統が混乱した事から叛乱事件が収束した為に、日本海軍同士の相打ちと言う最悪の事態は避けられた。

戦後は海上自衛隊幹部学校の戦略担当の特別講師を勤める傍ら専修大学で講演を行う。特に海上自衛隊に於いて戸塚は教祖的立場に納まる。

[編集] 人物像

戸塚は軍令系統の人物ながら軍令部権限拡大には終始批判的見解を持ち、軍政部門の幹部達に対しては同情的なだけではなく、特に職を賭して反対した井上成美軍務局第1課長の妥協しない態度に大いに感銘を受けて、以後戸塚が死去するまで井上の事を兄の如く慕ったと言う。

加藤寛治海軍大将元帥昇格運動には終始反対し、或る宴席の際に戸塚は出席していた加藤から頭を叩かれた代わりに加藤に手にした杯の酒をブッかけ周囲を唖然とさせた。

また石川信吾を謀略好きの策士と蛇蝎の如く嫌悪していた。

三男は東京大学名誉教授・戸塚秀夫。

[編集] 年譜

[編集] 参考文献

  • 戸塚道太郎追憶(戸塚藤子編・私稿版)
  • 思い出の記 井上成美 私稿
  • 戦史叢書・第72巻 中国方面海軍作戦(1)防衛庁防衛研修所戦史部編・朝雲新聞社
  • 戦史叢書・第79巻 中国方面海軍作戦(2) (防衛庁防衛研修所戦史部編・朝雲新聞社)
  • 戦史叢書・第29巻 北東方面海軍作戦 (防衛庁防衛研修所戦史部編・朝雲新聞社)
  • 戦史叢書・第93巻 大本営海軍部・聯合艦隊(7) (防衛庁防衛研修所戦史部編・朝雲新聞社)
  • 戦史叢書・第95巻 海軍航空慨史 (防衛庁防衛研修所戦史部編・朝雲新聞社)
  • 高松宮日記(細川護貞阿川弘之大井 篤豊田隈雄編・中央公論新社ISBN 4-12-490040-6 C0320
  • 細川日記(中央公論新社) ISBN 4-12-000818-5 C0020
  • 高木惣吉日記と情報(みすず書房ISBN 4-622-03506-5 C3031
  • 日本陸海軍の制度・組織・人事(日本近代史料研究会編・東京大学出版会
  • 海軍兵学校沿革・第2巻(海軍兵学校刊)
  • 海軍兵学校出身者名簿(小野崎誠編・海軍兵学校出身者名簿作成委員会)

[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月19日 (木) 12:49 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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