把瑠都凱斗

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把瑠都 凱斗
四股名 把瑠都 凱斗
本名 カイド・ホーヴェルソン
愛称 カイド
生年月日 1984年11月5日(25歳)
出身 エストニア共和国ラクヴェレ県エバベレ村
身長 198 cm
体重 177 kg
BMI 45.14
所属部屋 三保ヶ関部屋 - 尾上部屋
得意技 左四つ、寄り、投げ
成績
現在の番付 関脇
最高位 関脇
生涯戦歴 220勝109敗57休(31場所)
幕内戦歴 119勝93敗43休(17場所)
優勝 十両優勝3回
幕下優勝1回
序二段優勝1回
序ノ口優勝1回
敢闘賞3回
データ
初土俵 2004年5月場所
入幕 2006年5月場所
趣味 コイン集め、釣り
備考
2009年3月30日現在
  

把瑠都 凱斗(ばると かいと、1984年11月5日 - )は、エストニア共和国レーネ=ヴィル県ラクヴェレ出身で尾上部屋(入門時は三保ヶ関部屋)所属の現役大相撲力士。本名はカイド・ホーヴェルソン(Kaido Höövelson)。スウェーデン系エストニア人である。身長198cm、体重177kg、血液型A型。最高位は東関脇(2009年1月場所)。得意技は左四つ、寄り、投げ。

目次

[編集] 人物

四股名は母国エストニアが面するバルト海から。凱斗の名は本名Kaido(カイト)の音に、日本で素晴らしいものをつかみ母国に凱旋してほしいという願いを込めた漢字をあてて、三保ヶ関親方が名づけた。外見から一部マスコミでは角界ディカプリオと呼ばれている。

塩撒きパフォーマンスを行う北桜との対戦では、そのお株を奪うような大量の塩撒きを披露して館内を湧かせたり、出身地を「奄美大島」と答えたりと、極めて陽気で茶目っ気のある性格であり、部屋での人間関係も良好である。

[編集] 取り口

巨躯強力を活かした豪快な相撲が魅力で、懐の深さと腕の長さにより普通の力士では届かない遠い位置からでも上手を掴んで攻めることができる。膝を負傷する前は優れたスピードとバランス感覚も持ち合わせ、土俵際の際どい場面からでも逆転できたが、荒削りゆえの強引な相撲を指摘されることもあった。膝の負傷後は身体能力に任せるのではなく、正統派の四つ身の相撲を身につけてきている。

[編集] 来歴

2008年9月

柔道経験者で、本人曰く「出場選手4人」とのことだが、柔道エストニアジュニア王者の実績も持つ。来日前は酒場の警備員も務めた。また語学に堪能で、エストニア語以外にドイツ語ロシア語英語仏語を入門時点で話すことができた。髪が細く、伸びも遅いブロンドヘアのコーカソイドであり、どのように大銀杏を結うのか注目されていた。初土俵から3年後の2007年5月場所で初めて大銀杏を結ったが、これはかつての兄弟子である三保ヶ関部屋の三浦の毛髪を使った付け毛であった。史上初のエストニア出身力士・関取

2004年5月場所初土俵。序ノ口・序二段と2場所連続で優勝するなどスピード出世で、2005年7月場所では西幕下6枚目で5勝2敗という成績で同部屋の白石(現・白乃波)と同時に十両昇進を果たした[1]。初土俵から所要8場所での新十両昇進は小錦と並ぶ史上3位タイ(当時)のスピード出世であった。

9月場所には優勝した豊ノ島に唯一の黒星を付け12勝3敗。翌場所は十両西4枚目に躍進し、史上最速の前相撲からの所要10場所での新入幕を十分狙える位置にあったが、場所初日に急性虫垂炎を発症し全休、幕下に陥落した。幕下では地力の違いを見せ、6番相撲を終えた時点で全勝が1人となる幸運も重なり、虫垂炎の手術時に施された全身麻酔の後遺症から思うように身体が動かない中、7人による優勝決定戦を制して幕下優勝、1場所で十両に復帰した。3月場所では北の富士以来43年ぶり4人目(本場所が15日制になってから)となる十両全勝優勝を果たし、史上2位タイとなる所要12場所での新入幕を決めた。この場所千秋楽の全勝優勝インタビューにて北の富士から(将来の目標を)「横綱、横綱」と言われるなど早くも横綱昇進を期待する声が上がった[2]

新入幕の5月場所は序盤で2敗を喫するも、そこから素質の高さを見せて勝ち進み13日目終了まで2敗をキープする。残り2日では、この場所優勝を争った関脇雅山大関白鵬に連敗を喫したが、11勝4敗で優勝次点の成績をおさめ、敢闘賞を受賞した。前相撲から13場所目での三賞受賞は栃東、琴欧州(現・琴欧洲)と並び史上最速である。またこの場所の千秋楽で三役揃踏を行ったが、新入幕でこれをつとめたのは1973年9月場所の大錦以来33年ぶり、史上2人目のことであった。また、前相撲から13場所目でのこれより三役出場も琴欧州を抜いて史上最短の記録である。このとき、あまりの出世の早さ(および独特の髪質)が影響して大銀杏が結えなかったため、ちょん髷姿で揃い踏みを行った。

2006年9月場所は東前頭筆頭まで進み三役昇進を期待されたが、上位陣に対して苦戦し、10日目(9月19日)の雅山との取組で左ひざを痛め、翌日から休場した。上位に対して攻め手が通じず、そこで安易な引き技を多用し、その際に鍛錬不足による下半身の弱さから無理な力が脚にかかり、負傷の原因となった。翌11月場所は稽古不十分ながら10勝を上げたものの、下半身の不安定さからたたらを踏む場面が多く、複数のテレビ・ラジオ解説者を嘆かせた。さらに2007年1月場所の琴奨菊との取組で左膝前十字靱帯を損傷し長期休場を余儀なくされ、5月場所では十両に陥落した。この場所で2度目の十両優勝を果たし、わずか1場所で幕内復帰を果たしたが、7月場所初日の土佐ノ海戦でまたも左膝を痛め2日目より休場。しかし、再度の十両陥落となった9月場所で他を寄せ付けず、3度目の十両優勝を果たす。11月場所は2度目の帰り入幕ながら前半戦から好成績をあげて優勝争いに加わり、敢闘賞受賞。しかし翌2008年1月場所では初の15日間皆勤での負け越しを経験した。

しかし同年の7月場所では、西前頭5枚目の番付で10勝5敗と二桁勝利をあげ、上位陣に負け越し力士が多い事もあって、9月場所で初の三役となる小結昇進を果たした。この場所は9日目を終えて2勝7敗と非常に危なかったが終盤奮起したか強さを発揮、残り6日間を全部勝って8勝7敗と見事勝ち越し、11月場所では関脇昇進を果たした。その場所も勝ち越して翌2009年1月場所は東関脇に昇進。5月場所は大関以上に全敗し、自身最低の4勝11敗という成績で4場所連続で在位した関脇からの陥落が確定的となった。また千秋楽の千代大海戦での明らかなダイビングが無気力相撲であったとして師匠を通じて注意処分を受けた[3]。西3枚目に下がった7月場所では序盤から好調で11勝4敗で三賞受賞はならなかったが来場所の三役復帰を決定的にした。

2009年9月場所では、5大関全員に勝つという偉業を成し遂げる。これは昭和61年の保志(後の横綱北勝海)以来の事である。

[編集] エピソード

  • 前述の通り脚の負傷が多いが、呼出の支えを借りて土俵を降りるような重症を負っても、退場前に必ず一旦呼出に手を離させ自力で振り向き土俵に一礼してから退場する、負けても深々ときちんと一礼をする等、土俵態度への評価は高い。
  • 趣味はコイン集めと釣り[4]
  • NHKの新十両紹介のインタビューでもっとも対戦したい力士に琴欧洲を挙げた。理由は自分より背が高い力士であるためである。2006年7月場所9日目(7月17日)に初顔の取組が組まれ、がっぷり四つからの投げの打ち合いを制して初勝利を挙げた。2009年1月場所では敗れてこの場所初黒星を喫した。その後の3月場所、5月場所でも敗れここまでの琴欧洲との対戦成績は3勝5敗(不戦敗1)になっている。
  • 2009年2月にロシア出身の2歳年上の女性と結婚した。
  • 白鵬との取組は力の入る長い相撲になる事が多い。
  • 力士の大型化が進んだ平成以降では珍しい、吊り出しをよく見せる力士である。

[編集] 略歴

  • 2002年 - 柔道エストニアジュニア選手権で準優勝
  • 2003年 - 同選手権で優勝
  • 2004年 - 日大相撲部の倉園一真(現・薩摩力、尾上部屋所属)の父親の仲介で、同郷の北欧司(入間川部屋、同年9月引退)と共に来日。日大相撲部で日本や相撲に馴化する。
  • 2004年5月場所 - 初土俵
  • 2004年7月場所 - 序ノ口優勝
  • 2004年9月場所 - 同部屋の里山との優勝決定戦を制し序二段優勝
  • 2005年9月場所 - 新十両。前相撲からの所要8場所は小錦と並び歴代3位タイ。初日から13連勝の豊ノ島に土を付け全勝を阻み、12勝3敗で優勝次点と活躍する。
  • 2005年11月場所 - 最速記録の所要10場所での入幕も見える西十両四枚目に昇進したが、場所の初日に急性虫垂炎を発症し初日から休場(1不戦敗14休)。
  • 2005年12月 - 入門以来初めて故郷エストニアに一時帰国する。
  • 2006年1月場所 - 11月場所の休場で、西幕下3枚目に陥落するも7人による優勝決定戦を制し、幕下優勝(6勝1敗)。十両復帰を果たす。
  • 2006年3月場所 - 再十両のこの場所、東11枚目で初日から連勝、13日目にして十両初優勝を決め、更には1963年11月場所の北の富士以来42年4カ月ぶり、史上4人目、外国人力士としては初となる十両での15戦全勝優勝を達成し『北の富士賞』を受賞。
  • 2006年5月場所 - 新入幕。前相撲からの所要12場所は11場所の琴欧州に次ぎ、板井小錦栃東朝青龍時天空嘉風と並んで史上2位タイの速さ。11勝4敗で優勝次点、敢闘賞受賞。
  • 2006年8月 - 尾上部屋の分家独立に伴い、白石・里山らとともに移籍。
  • 2007年1月場所 - 3日目の琴奨菊戦で浴びせ倒された際に左膝を負傷。翌日から途中休場。(2勝2敗11休)
  • 2007年3月場所 - 怪我の回復が遅れて全休。 
  • 2007年5月場所 - 西十両11枚目に陥落するも、14勝1敗の圧倒的な成績を挙げて復活。2度目の十両優勝。
  • 2007年7月場所 - 再入幕。初日の土佐ノ海戦で浴びせ倒された際に左膝を負傷。翌日から途中休場。
  • 2007年9月場所 - 西十両9枚目に陥落したが、圧倒的な強さで3度目の十両優勝。
  • 2007年11月場所 - 2度目の再入幕。13日目まで2敗で優勝争いに加わり、11勝4敗。2度目の敢闘賞受賞。
  • 2008年1月場所 - 初の15日間皆勤での負け越し。(7勝8敗)
  • 2008年3月場所 - 先場所の負け越しで番付を後退させたが、優勝次点の12勝3敗の好成績を挙げ、3度目の敢闘賞。
  • 2008年5月場所 - 2006年9月場所以来10場所ぶりに前頭筆頭まで番付を上げたが、上位の壁に跳ね返され負け越し。また、初めての二桁負け越し(5勝10敗)
  • 2008年7月場所 - 西前頭5枚目の番付で10勝5敗。
  • 2008年9月場所 - 自身初の三役昇進。東小結で8勝7敗。
  • 2008年11月場所 - 新関脇。西関脇で9勝6敗。

[編集] 場所別成績

把瑠都凱斗[5]

一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2004年
(平成16年)
x x (番付外) 東 序ノ口 #40
7–0
 
東 序二段 #30
7–0
 
西 三段目 #33
5–2
 
2005年
(平成17年)
東 三段目 #6
6–1
 
西 幕下 #32
5–2
 
東 幕下 #22
6–1
 
西 幕下 #6
5–2
 
西 十両 #14
12–3
 
西 十両 #4
0–1–14
 
2006年
(平成18年)
西 幕下 #3
6–1
 
東 十両 #11
15–0
 
西 前頭 #11
11–4
西 前頭 #4
9–6
 
東 前頭 #1
4–7–4
 
西 前頭 #6
10–5
 
2007年
(平成19年)
西 前頭 #3
2–2–11
 
休場 西 十両 #11
14–1
 
東 前頭 #14
0–2–13
 
西 十両 #9
13–2
 
東 前頭 #16
11–4
2008年
(平成20年)
西 前頭 #6
7–8
 
東 前頭 #7
12–3
西 前頭 #1
5–10
 
西 前頭 #5
10–5
 
東 小結
8–7
 
西 関脇
9–6
 
2009年
(平成21年)
東 関脇
9–6
 
東 関脇
8–7
 
東 関脇
4–11
 
西 前頭 #3
11–4
 
東 小結
12–3
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下

三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口

幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

[編集] 十両における場所別成績

場所 地位 勝数 敗数 休場 備考
平成17年(2005年)9月 東十両11枚目 12 3 0 新十両・優勝次点
平成17年(2005年)11月 西十両4枚目 0 1 14 途中休場
平成18年(2006年)3月 東十両11枚目 15 0 0 十両全勝優勝(十両初優勝)
平成19年(2007年)5月 西十両11枚目 14 1 0 十両優勝(2度目)
平成19年(2007年)9月 西十両9枚目 13 2 0 十両優勝(3度目)
通算 54 7 14 十両優勝3回

[編集] 主な成績

2009年5月場所終了現在

  • 通算成績:220勝109敗57休(31場所)
  • 十両成績:54勝7敗14休(5場所)
  • 幕内成績:119勝93敗43休
  • 幕内在位:17場所

[編集] 各段優勝

  • 十両優勝:3回
  • 幕下優勝:1回
  • 序二段優勝:1回
  • 序ノ口優勝:1回

[編集] 三賞・金星

  • 敢闘賞:3回(2006年5月場所、2007年11月場所、2008年3月場所)

[編集] TV出演

[編集] CM出演

[編集] 脚注

  1. ^ ただし、千秋楽の「入れ替え戦」とも言える取組では燁司に敗れ、さらに同年5月場所において白石は同地位、同成績、比較対象となった須磨ノ富士(東12枚目で5勝10敗)は把瑠都の比較対象となった和歌乃山(西6枚目で3勝12敗)を単純計算で下回る地位・成績であったにもかかわらず十両昇進を見送られており、この昇進に関して疑問の声も多数上がった(同地位同成績での十両昇進は1991年11月場所の寺木(蒼樹山)以来14年ぶり、幕下が七番制になってからの45年間で9例目)。新十両の翌9月場所は優勝次点である12勝3敗の成績だったことから、結果的には正しい昇進だったと言えるものの、番付編成の基準の一貫性のなさが改めて問題となった。
  2. ^ 過去に十両で15戦全勝優勝を達成した力士は3人。北の富士が横綱、栃光豊山大関まで昇進している。
  3. ^ 「大相撲夏場所:千秋楽、千大海と把瑠都「無気力」 監察委が「注意」」毎日新聞2009年5月30日 東京朝刊
  4. ^ 「NHK大相撲中継」平成20年名古屋場所展望号収録のインタビューより
  5. ^ "Rikishi in Juryo and Makunouchi" (English). szumo.hu. 2007-07-03 閲覧。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月23日 (月) 06:41 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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