ユウ婁
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| 本来の表記は「挹婁」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。 |
挹婁(ゆうろう)は、後漢から五胡十六国時代にかけて、外満州付近にあったと思われる部族。
元々、粛慎(しゅくしん、みしはせ)と呼ばれていた氏族の末裔とされ、ツングース系に属するとされる。前漢代以降は扶余に従属していたが、扶余が重税を課したため、黄初年間に独立し、扶余と争った。また、船が巧みでしばしば近隣諸国を荒らしまわったことから、東アジアで最古の海賊とされる。その後は勿吉、靺鞨と名称を変え、高句麗もしくは渤海に吸収されていった。
目次 |
[編集] 民族系統
挹婁の民族系統には諸説ある。白鳥庫吉は、挹婁(ip-lu)をツングース語の一方言において馴鹿をいうoro,iruの対音であり、挹婁人が馴鹿を飼養する所から出た名称であろうとされ、挹婁を純ツングース族であるとした。それに対し、三上次男は、挹婁人の毒矢使用、人尿使用、地下式住居の習俗面から、ツングース系ではなく、ギリヤーク人などの古アジア族であるとした。ちなみに『三国志』では、容貌は扶余に似ているが、言葉は扶余や高句麗(扶余と高句麗はツングース系とされている)とは異なっていたとある。
[編集] 場所
『三国志』には、扶余の東北千余里のところにおり、大海に面し、南は北沃沮と境を接し、北はどこまで及ぶのかわからない。その土地は険しい山地が多い。気候は寒冷で、扶余よりもきびしい。とあり、おそらく外満州(特にロシア連邦沿海地方)と思われる。
[編集] 習俗
挹婁の生活スタイルは、その東夷諸国のなかでは極めて特異である。まず、挹婁人は地上に家を建てず、地下に縦穴(竪穴)を掘り生活する。竪穴は深く(梯子の段数が多く)かつ大きいほど尊ばれたという。さらに、部屋の中央に置いた尿を溜めた容器を囲んで暮らし、その人尿で手や顔を洗ったという。これについて『三国志』や『後漢書』では「その人々不潔」、「その人々臭穢不潔」とあらわしている。また、挹婁人は養豚が盛んで、豚を主食とし、豚の皮を着物にした。夏にはほぼ全裸でわずかな布だけで前後を隠したが、冬には豚の膏(あぶら)を身体に数センチもの厚さに塗って風や寒さを防いだという。食事をするときに、他の東夷諸国では食器(爼豆、高杯形土器)を常用していたのに対し、挹婁人は食器を使う習慣がなく、『三国志』では「東夷のなかで最も無規律な者たち」とあらわしている。挹婁人は、弓矢に長けており、必ず人の目を射当てる。矢には毒が塗られており、人に当たれば死に至る。挹婁には統一的な指導者は存在せず、邑落ごとに大人(だいじん 酋長)がいた。
[編集] 産業
[編集] 参考資料
- 陳寿『三国志』(筑摩書房 1992年)
- 三上次男『古代東北アジア史研究』(吉川弘文館 1977年)

