撫順市

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中華人民共和国 遼寧省 撫順市
遼寧省中の撫順市の位置
遼寧省中の撫順市の位置
中心座標 北緯41度52分0秒 東経123度54分0秒 / 北緯41.86667度 東経123.9度 / 41.86667; 123.9
簡体字 抚顺
繁体字 撫順
Fǔshùn
カタカナ転記 フーシュン
国家 中華人民共和国
遼寧
行政級別 地級市
面積
- 総面積 11,271 km²
- 市区 675 km²
人口
- 総人口(2004) 225 万人
経済
電話番号 0413
郵便番号 113008
ナンバープレート 辽D
行政区画代碼 210400
官方ウェブサイト http://www.fushun.com.cn/

撫順市(ぶじゅん-し)は、中華人民共和国遼寧省に位置する地級市

目次

[編集] 地理

撫順市は遼寧省北部に位置し、瀋陽市からの距離は約45kmと、省都の衛星都市として機能している。かつての炭鉱都市で、市内には渓谷のように巨大な露天掘り炭鉱跡が現在も残されている。

渾河に沿って伸びる市街地は南北と東を山に囲まれた平野にあり、市域の西側に偏っている。市域の東側は吉林省からつながる山地となっており森林が多い。大陸性気候であり年平均気温は6.6度。

人口の4分の3を漢民族占め、他に満族を中心に朝鮮族回族などの少数民族が居住する。

中国での位置

[編集] 歴史

ここはかつて女真族が多く住む地であり、高爾山には中国の歴代王朝が城を築いてきた。1384年、高爾山の南麓、渾河の北に撫順城がによって建てられた。1616年ヘトゥアラ(現在の撫順市新賓満族自治県)を本拠とするヌルハチ後金の建国を宣言。1619年、後金の征伐に派遣された明の大軍に対し、後金の軍は撫順近郊のサルフで対峙し、数で勝る明軍を破った(サルフの戦い)。ヌルハチは1622年に都を遼陽に遷し、ヘトゥアラは1636年に興京と改名された。

[編集] 巨大炭鉱開発

撫順の衛星画像。左右(東西)に貫く渾河両岸に市街地があり、その南に2つの楕円形の大きな露天坑が開いている

撫順炭鉱は、七百年ほど前に、高麗人によって採掘された。当時は陶器製造の燃料として使われていたものと伝えられる。その後、清朝は「風水に害あり」との理由から採掘禁止としていたが、1901年、清国政府の許可の下、清国民族資本により採掘が開始された。その後ロシア資本が進出、東清鉄道の南満州支線(ハルビン大連間)が建設された後に奉天(瀋陽)-撫順の支線も敷設され、撫順炭田には東清鉄道の「鉄道付属地」(中国の行政権・司法権などが及ばない治外法権地域)が設置された。

日露戦争後の1905年には鉄道及びその付属地は日本の手に渡り、1907年には南満州鉄道満鉄)の管理下に移った。炭鉱周辺は広大な鉄道付属地(満鉄附属地)となり、駅と炭鉱の周囲に新市街が建設され、満鉄による行政が行われた。露天掘りによる大規模な石炭採掘が行われるなど満鉄を支える重要な財源となり、撫順の付属地の人口は10万を超え満鉄附属地の中でも最大であった。また撫順の石炭と鞍山鉄鉱石を組み合わせて、鞍山製鉄所(後の昭和製鋼所)が稼動した。

[編集] 日本との関係

満州事変後、抗日ゲリラによる満鉄施設襲撃が激化していたが、満州国成立後の1932年9月15日、抗日ゲリラ多数が撫順炭鉱を襲い、炭鉱側には死者も出て操業が停止する事態になった。これに対し、翌9月16日、日本軍守備隊は炭鉱近くの平頂山という集落で中国人住民多数を虐殺する事件を起こした(平頂山事件)。

第二次世界大戦後、撫順の監獄には関東軍捕虜や満州国官僚、また満州国皇帝であった愛新覚羅溥儀と弟の溥傑など1000人以上が集められ撫順戦犯管理所となった。入所者は、共産主義の思想学習と戦争犯罪行為の自白などのプログラムを受けた (田辺敏雄著『検証旧日本軍の「悪行」歪められた歴史像を見直す』など、これらを洗脳とする主張もある) 。 1956年その多くが不起訴処分となり日本へ帰国し、残る有罪判決を受けた者も順次釈放され帰国した。帰国者たちは中国帰還者連絡会を結成し、日本軍による戦争犯罪や残虐行為を語り継いでいる。2008年には、撫順戦犯管理所についてNHKがドキュメンタリー「NHKスペシャル “認罪”~中国撫順戦犯管理所の6年」を放送した。

[編集] 中華人民共和国時代

中華人民共和国の建国後、撫順は遼東省遼西省などから独立した中央直轄市となったが、1954年8月に遼寧省に統合された。石炭の露天掘りは続けられ、その露天坑の深さは200mを超えた。1962年中国人民解放軍の模範兵士とされる雷鋒が撫順の輸送部隊に配属されていた頃、倒れたトラックを立て直す作業を指揮していた時に、支える棒が頭を直撃して殉職した。死後、彼は毛沢東により模範的な人物と称賛され、中国全土で『雷鋒に学べ』という大規模なプロパガンダが繰り広げられた。今日でも彼は英雄とされ、故郷の湖南省同様、撫順にも記念館や記念碑が建っている。

撫順の産業を支えてきた露天掘り炭鉱はほぼ掘りつくされ、現在は観光地となっている。石炭業の衰退に伴い産業転換を迫られ、現在の主産業は石油化学工業などとなっている。

[編集] 行政区画

4区、1県、2自治県を管轄している。

[編集] 名所

  • 永陵
  • 薩爾滸(サルフ)風景区
  • 元帥陵 1928年爆殺された張作霖のために1929年から作られた墓地。サルフ山山系の森林にあり、大伙房ダムの湖岸にある。
  • 撫順戦犯管理所 日本人捕虜や愛新覚羅溥儀らの資料が展示されている。
  • 平頂山事件跡地 事件の記念碑や、遺骨の埋められた地中をそのまま展示している「平頂山殉難同胞遺骨館」などがある。
  • 高爾山公園 市街に隣接した小高い丘。古来より城が築かれてきた。
  • 雷鋒記念館

[編集] スポーツ

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年8月12日 (水) 18:44 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【撫順市】変更履歴

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