改宗
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改宗(かいしゅう、 conversion)は、従来信仰してきた宗旨を捨てて、他の宗旨に改める事である。なお、改宗には大きく自発的に改宗する場合と政策などの理由などにより強制的に改宗させられる場合(強制改宗)とに分けることができる。
日本仏教における各宗旨間の改宗は、宗旨替えともいう。
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[編集] 改宗の背景
人が改宗する背景には様々な理由がある。信教の自由が認められている社会の場合、純粋に個人の宗教的な動機から改宗する場合もあるが、そうでない社会では、時の支配者や政府によって強制改宗させられる場合もある。江戸時代から明治初期の日本においては、人々は強制的に寺の檀家に組み入れられ、キリシタンなど禁制の宗教には激しい弾圧が加えられ、多くの人々が自分の宗教を捨て、仏教へと改宗させられていった。また、スペインの歴史においては、それまでのイスラム教徒からキリスト教徒による支配に代わった際に、同国内のイスラム教徒、ユダヤ教徒達に対し、強制的に改宗を迫るということがあった。
また、強制でなくとも、時の政策が改宗を後押しする(それが目的でなかったとしても)場合もある。イスラム教徒の支配地域では、歴史的にキリスト教徒やユダヤ教徒らに対し、ジズヤという税金を課した上で信教の自由を認めていることも多かったが、税金の負担を嫌い、イスラム教徒に改宗する者が後を絶たなかったという。
また、弾圧などを恐れて、改宗したように装いながら、実際はそれまでの信仰を継続しているという場合もある。
[編集] ユダヤ教への改宗者
詳細は「ユダヤ教への改宗者の一覧」を参照
[編集] キリスト教への改宗者
[編集] パウロ
新約聖書の『使徒行伝』によれば、初期キリスト教の重要な伝道者として有名なパウロは、もとテント職人でベンヤミン族に属するユダヤ人であったとされる。パウロはファリサイ派に属し、エルサレムで高名なラビガマリエル1世のもとで学んだとされ、そこでキリスト教徒と出会うが、熱心なユダヤ教徒として彼は当初はキリスト教徒たちを迫害する側についていた。ところが、ダマスカスへの途上で、復活したイエスに出会い、その声を聞いたのち、目が見えなくなってしまった。そして、アナニアというキリスト教徒が神告によりサウロ(パウロ)のために祈るとサウロの目から鱗のようなものが落ちて、目が見えるようになったと言われる。こうしてパウロはキリスト教に改宗した。
[編集] アウグスティヌス
『神の国』の著者として知られる、4世紀から5世紀にかけての神学者アウグスティヌスは、キリスト教徒の母モニカと異教徒の父パトリキウスの子として、北アフリカに生まれた。キリスト教に回心する前はマニ教を信奉していたが、キケロの『ホルテンシウス』を読み哲学に関心をもち、マニ教と距離をおくようになったという。ローマに赴き、その後ミラノで弁論術の教師をするうち、ミラノの司教アンブロジウスおよび母モニカの影響によって洗礼を受けキリスト教徒となった。
[編集] ウィドゥキント
フランク王国のカール大帝に敗れ、8世紀末葉にキリスト教に改宗したサクソン人にウィドゥキントがいる。神聖ローマ皇帝オットー1世はその子孫である。
[編集] イスラム教への改宗者
[編集] モハメド・アリ
アフリカ系アメリカ人のプロボクサー、カシアス・マーセラス・クレイ・ジュニアは、後にイスラム教へ改宗したのを機に「モハメド・アリ」に改名した。
[編集] NBA選手
NBA歴代最多得点を上げているカリーム・アブドゥル=ジャバーはイスラム教に改宗する前は(ルー・アルシンダー)という名であった。またマクムード・アブドゥル=ラウーフはイスラム教に改宗する前、(クリス・ジャクソン)という名であった。アブドゥル=ラウーフはイスラム教に改宗後、試合前の国歌斉唱の際に起立を拒んだことが知られている。

