新人類
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新人類(しんじんるい)とは、それまでの世代とは違った価値観を持つ世代を指すとされた流行語。1980年代に発生したが、2000年代初頭ではほとんど死語である。
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[編集] 起源
1984年、マーケティング情報誌の『アクロス』(パルコ刊)が最初に提唱している。
又、筑紫哲也が『朝日ジャーナル』編集長を務めていた時(1984年~1987年)、「新人類の旗手たち」という、10代から20代の若者たちとの対談を通じて、彼らの気分・思想・哲学・時代の気分を探ろう、表し出そうと試みた企画があったが、対談の内容やそこで使われた「新人類」という語がインパクトを持っていた為に広まるようになる。1986年には新語・流行語大賞に選ばれた。
[編集] 意味
従来のメインカルチャーに反旗を翻し、新しい感性や価値観を打ち出した、1955年から1969年までに生まれた世代、中でも1960年代前半生まれの人々を指して、マスコミが使用した呼称である。「新人類」という語が登場する前、1960年代前半生まれは共通一次試験(現大学入試センター試験)を始めて経験した世代である事から「共通一次世代」と呼ばれていた。
しらけ世代に当たる1950年代後半生まれを「初期新人類」、狭義の新人類に当たる1960年代前半生まれを「中期新人類」、バブル世代に当たる1960年代後半生まれを「末期新人類」と呼ぶ場合もある。
学界・言論界では中森明夫、野々村文宏、田口賢司、浅田彰(当時、京都大学人文科学研究所助手)など。芸能界では泉麻人、秋元康、石橋貴明、松田聖子、小泉今日子など。野球界では、当時の西武ライオンズの選手が、ファッションや言動などこれまでの球界の常識を打ち破り、当時在籍していた工藤公康、渡辺久信、清原和博が代表的な存在。
成熟した成人として、社会を構成する一員の自覚と責任を引き受けることを拒否し、社会そのものが一つのフィクション(物語)であるという立場をとるとされた。音楽でもテクノポップの流行など、社会的にも無機質な変容が感じられた時代に、高尚な哲学や思想を語ることも、一種のファッションとしての地位を得た。しかし、評論家の竹熊健太郎は、オタクと新人類は同一のものであり、「同じ人格類型のバリエーション」であると唱えている。
新人類世代が成人する1970年代後半から1980年代にはアイドルブームが発生し、キャンディーズ、ピンク・レディー、チェッカーズ、たのきんトリオ、松田聖子、中森明菜、小泉今日子、おニャン子クラブ、少年隊などが活躍した。又、1970年代後半には「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」、1980年代前半には「機動戦士ガンダム」[1]「ドラえもん」「うる星やつら」、1980年代後半には「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「タッチ」「ドラゴンボール」などの大ヒットによるアニメブームが起きた。
しかし、エリート消費者としての新人類という概念は、1980年代のバブル経済が破綻したことによって生の現実にさらされて下火になり、オタク概念は1990年代に技術的に破綻しながらもその作家性によって大ヒットした「新世紀エヴァンゲリオン」によって作り手のメッセージを無視できなくなり、単なる趣味人としての類型へと後退的に変質して行った。
しかし、新人類世代の共有体験は、受験勉強以外にも、テレビ番組や漫画・アニメ、ロック、テクノポップといったサブカルチャーの体験を特徴とする。1980年代は「ネクラ」「ネアカ」という言葉が流行り、社交的で軽く明るい性質が賞賛される傾向が強くなったが、新人類が生み出した若者文化は「ネアカ」志向であった。フォークソングは湿っぽいとして廃れ始め、ロック音楽が流行り、ヘヴィメタルが台頭し始めた。
[編集] 社会人になった後の過程
[編集] マスコミなどから『新人類』と呼ばれた主な人物
[編集] 様々なマスコミに取り上げられた著名人
- 秋元康(1956年生まれ)
- 尾崎豊(1965年生まれ)
- 北尾光司(双羽黒)(1963年生まれ)
- 石橋貴明(1961年生まれ)
- 清原和博(1967年生まれ)
- 戸川純(1961年生まれ)
- いとうせいこう(1961年生まれ)
- みうらじゅん(1958年生まれ)
また、これら新人類と呼ばれた世代の後見的な立場としてマスメディアに度々登場する事になった人物として、当時、メディア文化論研究における新世代の旗手的な存在であった社会学者の稲増龍夫(1952年生まれ)がいる。
[編集] 『新人類図鑑』で取材された人物
肩書きは対談時。
- 『新人類図鑑』PART1
- 遠藤雅伸(ゲーム・デザイナー、1959年生まれ)
- 中森明夫(エディター、1960年生まれ)
- 小曽根真(ピアニスト、1961年生まれ)
- 木佐貫那子(ダンサー)
- 原律子(漫画家)
- 吉川洋一郎(作曲家)
- 原田大三郎(テクノ・アーティスト、1956年生まれ)
- 甲田益也子(ファッション・モデル、1960年生まれ)
- 川西蘭(作家、1960年生まれ)
- 加藤かおる(島の先生、シンガーソングライター)
- 高見裕一(リサイクル運動家、1956年生まれ)
- 李泰栄(CM ディレクター、1955年生まれ)
- 辻元清美(国会議員、1960年生まれ)
- 三好和義(写真家、1958年生まれ)
- 安西英明(バード・レンジャー、1956年生まれ)
- 三上晴子(オブジェ・アーティスト)
- 泉麻人(コラムニスト、1956年生まれ)
- 『新人類図鑑』PART2
- 北村信彦(デザイナー、1962年生まれ)
- 高野生、高野大(『ヒストリーズラン』編集部)
- 野々村文宏(テクノ・コラムニスト、1961年生まれ)
- 川村毅(劇作家、1959年生まれ)
- 萬處雅子(トライアスリート)
- 小野寺紳(謎々プログラマー)
- 今井アレキサンドル(環境アーティスト)
- 桜井さとみ(イラストレーター)
- 樋口尚文(映画批評家、1962年生まれ)
- 結城恭介(作家)
- 秋元康(作詞家、1956年生まれ)
- 滝田洋二郎(映画監督、1955年生まれ)
- 藤原ヒロシ(リミキサー、1964年生まれ)
- 西和彦(エンジニア、1956年生まれ)
- 洞口依子(女優、1965年生まれ)
- 平田オリザ (学生、1962年生まれ)
[編集] 関連書籍
- 『若者たちの神々』1~4(筑紫哲也編、朝日新聞社、1984年~1985年) - 1984年から1985年の若者たちの“神々(20-40代)”50人との対談集。
- 『若者たちの大神』(筑紫哲也編、朝日新聞社、1987年) - 1986年から1987年の若者たちの“大神(50代以上)”22人との対談集。
- 『新人類図鑑』1・2(筑紫哲也著、朝日新聞社、1986年) - 対談時10-20代の若者34人との対談集。「新人類の旗手たち」を書籍化したもの。
- 『元気印の女たち』(筑紫哲也編著、すずさわ書店、1987年) - 39人の活躍する女性たちとの対談集。
- 『「新人類」なんて言わせない』(リクルート出版編、1987年1月 ISBN 4-88991-064-6) - 副題は【明日の主役カタログ】。“「若者たちの神々」の次の世代”の20人が、それぞれの 考え方・思うところ を述べる。
[編集] 新人類ジュニア
新人類の子供世代を新人類ジュニア(しんじんるいジュニア)と呼ぶことがある。
定義は区々であり[2][3]、三浦展は、1993年を基軸としてこの世代を捕らえている[4][5]。
日経消費マイニングによると[6]、「新人類ジュニア」の特徴は「クールな調整型」だという。バブル景気を経験した親に育てられ、消費者としては児童期からすでに成熟している。一方で受験戦争や就職氷河期に遭遇した1970年代生まれやポスト団塊ジュニアも知っているため、強烈な自己主張は持たない。
彼らの最大の特徴とは『仲間や大人の評価を適度に頭に入れ、こざっぱりした服を着こなし、現実的な目標に向けそれなりに努力』することである。社会規範への適応力を発揮しながらこの世代はほとんどは社会ルールに順応し、消費行動は着実であるという。一部では学校社会において「モンスターペアレント問題」などを引き起こしたが、これは子の問題ではなく、親の問題である。
親子の葛藤は少ないというのも特徴の一つである。いわゆる「友達親子」型家族が増えたのもこの世代の子供の特徴である[7]。
[編集] 脚注
- ^ ただし、実際にガンプラの購買層だった年代は、当時小学生か中学生だったバブル世代と団塊ジュニアである。対して、狭義の新人類の小学生時代に流行ったアニメはマジンガーZである。
- ^ 日本マーケティング研究所 1986年~1996年生まれを「新人類ジュニア」と呼んでいる。
- ^ JMR生活総合研究所 1986年~1995年生まれを「新人類ジュニア」と呼んでいる。
- ^ 三浦展『下流社会マーケティング』日本実業出版社,2006.
- ^ 電通コミュニケーションワークショップ 三浦展 家族の変化が消費を変える 世代は15年周期で見る
- ^ 山岡 拓・白井 徹 「特集1 新消費者像 『新人類ジュニア』クールに登場 -社会ルールに順応し、消費行動は着実」『日経消費マイニング』No.13 2006,pp.4-17.
- ^ 小谷 敏『三田社会学』「仮面ライダーたちの変貌--新人類世代と新人類ジュニア世代 (特集:子どもたちと他者--コミュニケーションの変貌と現代社会)」三田社会学会 ISSN:13491458 ,No.11,2006.
[編集] 関連項目
[編集] リンク
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