新己斐橋
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| 新己斐橋 | |
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| 画像募集中 | |
| 所在地 | |
| 長さ | 280m |
| 幅 | 22m |
| 形式 | 7径間連続鈑桁橋 |
| 素材 | 上部:鋼橋;下部:RC構造;基礎工:? |
| 橋の分類 | |
| 形式 - 国 | |
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| 橋の一覧 | |
新己斐橋(しんこいばし)は、広島県広島市の太田川(太田川放水路)に架かる、道路と軌道が通る併用橋。
戦前にあった「己斐橋電車専用橋(己斐鉄橋)」を由来とする橋であり、ここでは当時東に架かっていた「福島橋電車専用橋(福島鉄橋)」も本項で述べる。
目次 |
[編集] 概要
広島電鉄本線の軌道と広島市道比治山庚午線(平和大通り)の車道および歩道が通る併用橋。
上流側に広島県道265号伴広島線筋の己斐橋、下流側に国道2号筋の旭橋と新旭橋が架かる。西にはJR西広島駅および広電西広島駅、東には緑大橋がありそのまま道沿いに進み西平和大橋を渡ると広島平和記念公園へたどり着く。
戦前は電車専用の橋で現在のものよりかなり短い橋であったが、戦後太田川放水路改修工事に伴い併用橋に架け替えられている。
[編集] 歴史
1912年(大正元年)、相生橋から己斐(現在の広電西広島)間が開業し広電本線が全面開通。それに伴い山手川(現在拡幅して太田川放水路に)と福島川(現在廃川)が形成する中州から西の己斐に向かって己斐鉄橋が、中州から東の天満町に向かって福島鉄橋が架けられた。当時の軌道は現在の天満町駅からまっすぐ己斐に向かっており、己斐鉄橋は現在の新己斐橋の少し上流側に、福島鉄橋は現在の観音町駅の西側あたりに架かっていた。上流側それぞれには当時の主要幹線筋の己斐橋および福島橋が架かっていた。
1945年(昭和20年)8月6日、原爆被災。爆心地から己斐鉄橋は2.30km、福島鉄橋は1.64kmに位置した。己斐鉄橋は爆風により小破、福島鉄橋は爆風により大きく傾斜した。だが2橋ともに落橋はしなかったため、必死の避難者はこれを渡って逃げている。一車両が中州から己斐鉄橋にかかろうとする50メートル手前で被爆、脱線傾斜し、逃げ残った乗客が腰掛けていたまま死んでいた。
その後、広電社員や軍関係者らにより市内軌道および2橋とも応急処置され、同月9日には己斐から西天満町電停まで折り返し単線運転が再開した。これは、途方にくれる市民を大いに勇気付けた。
戦後、中州を浚渫し河川幅を拡幅する太田川放水路改修工事が行われた。これに伴い己斐鉄橋と福島鉄橋は取り壊され、福島鉄橋付近は埋め立てられ、1964年(昭和39年)に現在の新己斐橋が架けられた。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 広島原爆投下時の一時避難場所としての川と橋PDF - 松尾雅嗣・谷整二「広島平和科学」29 (2007)
- 広島原爆戦災誌 第二巻第二編PDF - 広島市
- 運転席から見る広電沿線の風景 - 広島電鉄
- ヒロシマを聞く 一番電車前編・後編 - 中国新聞
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最終更新 2009年11月2日 (月) 02:49 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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