新潟市の行政区域の変遷

新潟市の行政区域の変遷の最新ニュースをまとめて検索!

新潟市 > 新潟市の行政区域の変遷

新潟市の行政区域の変遷(にいがたしのぎょうせいくいきのへんせん)では、新潟県新潟市の過去の市町村合併及び、政令指定都市移行構想について記載する。

新潟市は、信濃川西岸の新潟区および関屋村萬代橋でつながる東岸の沼垂町が合併して出来た旧新潟市が中心となって発展してきた。昭和の大合併において周辺市町村を次々と合併し、平成の大合併においても周辺の14市町村と合併し、現在の市域となった。

目次

[編集] 合併の歴史

[編集] 沿革

市制施行から現在までの合併の経緯

[編集] 平成の大合併

旧新潟市域(旧黒埼町を含む)(青)と、編入13市町村の市域(緑)

2005年3月21日、12市町村を新潟市編入合併し、10月10日には巻町も編入した。これらによって新潟市は現在の市域となり、人口約81万人を有することになった。

[編集] 経緯

2001年1月1日、新潟市は隣接する黒埼町と合併。同年、亀田町横越町との1市2町との間で「新潟市・亀田町・横越町 合併問題協議会[1]」が立ち上げられたが、翌2002年にさらに周辺市町村が協議会への参加を表明して、任意合併協議会である「新潟地域合併問題協議会[2]」に発展した。参加した市町村は新潟市、亀田町、横越町のほか、豊栄市新津市白根市小須戸町西川町味方村潟東村月潟村中之口村岩室村の、計13市町村(4市4町5村)である。

このうち潟東村と、他の協議会参加市町村とは巻町を置いて飛び地となっている岩室村は、巻町と1町2村による合併協議を進めていたものの、当時の巻町長が合併の前提条件として、両村に対して原子力発電所建設の是非を問う住民投票の実施を強く求めたことなどから協議が行き詰まり、2002年4月4日に協議打ち切りとなったため、この3町村の枠組みから離脱し新潟市との合併協議に参加することになったもの。この間、巻町は新潟市との合併協議にも参加しなかったが、このうち新潟市赤塚地区と生活圏上一体となっている四ッ郷屋地区については、境界変更による新潟市編入の構想も浮上していた。

その後、新津市は2003年12月に実施された住民アンケートの結果を受け、同市議会で13市町村での法定合併協議会設置案を一旦否決したため、2004年1月6日に合併協議から一時離脱。これに伴い、残る12市町村での2005年3月21日の合併(新潟市への編入合併)を目指し、任意協議会から発展した形で法定合併協議会「新潟地域合併協議会[3]」を2004年1月29日に設置した。しかし新津市は、2004年2月に行われた市長選で合併推進派の候補が当選し、同時に行われた新潟市との合併の是非を問う住民投票でも合併が賛成多数となったのを受け、「新潟市・新津市合併協議会[4]」(法定協議会)を2004年4月16日に設置し、法定協議に改めて合流(協議会は別だが、協議そのものは前出12市町村と同時進行)。再び13市町村による協議が進められることになった。

また2004年8月には、巻町でも新潟市との合併是非を問う住民投票が行われ、賛成多数で巻町が新潟市との合併協議に参加することとなった。そして同年10月18日に「新潟市・巻町合併問題協議会[5]」(任意合併協議会)が設置され、第1回協議が行われた。この中で両市町は、合併期日については「2005年度早期」を目標とし、改正合併特例法の経過措置の適用を受けるため、2004年度末(2005年3月31日)までに県知事に合併申請を行う方向で協議を進めることを確認。2005年1月に「新潟市・巻町合併協議会[6]」(法定協議会)に移行し、合併期日は同年10月10日に設定された。これにより、最終的に合併する市町村は計14となった。

[編集] 地名

編入された各市町村の地名は「郡市町村」と「大字」を除いた表記となり(例:西蒲原郡月潟村大字月潟→新潟市月潟。但し、亀田地区で住居表示未実施の地区は「大字」表記を存続)、13市町村間で重複する地名については、旧市町村名や東西南北を付した表記に改められた(例:中蒲原郡亀田町四ッ興野→新潟市亀田四ッ興野、白根市大字田中→新潟市南田中)。

[編集] 政令指定都市化

期間限定の市町村合併支援プラン[7]に従い、政令指定都市の人口要件緩和措置等を満たした新潟市は、2006年10月24日閣議で指定都市への移行が決定した(2007年4月1日に移行)。

[編集] 行政区

2005年8月30日に「行政区画の編成及び区役所の位置[8]」について、2006年3月28日に「新潟市の行政区の名称[9]」についての答申が出され、同年12月18日に新潟市議会で可決された。 区の数は8つ。名称は以下のとおり。おおよその位置関係を反映して表を分けた。左側の区が海側 [10]

新潟市の行政区
旧自治体 地区
豊栄市 北区
横越町 十二前
新潟市
東区
木戸
大形
石山
中央 中央区
沼垂
山潟
西 西区
黒埼町
巻町 四ッ郷屋
上記以外 西蒲区
西川町
岩室村
潟東村
中之口村
旧自治体 地区
横越町 十二前以外 江南区
新潟市 曽野木(南)
両川(南)
大江山(石山)
亀田町
白根市 南区
味方村
月潟村
旧自治体
新津市 秋葉区
小須戸町


[編集] 経緯

[編集] 区割り

政令指定都市移行時の区割り案については、2004年8月13日に開かれた13市町村の首長・議長連絡会で、各区の人口を10~20万人程度として、信濃川阿賀野川、小阿賀野川などを境界線とした、7区割りを基本線とした3つの案(あくまでも試案で、この3つからのいずれかが採用されるというものではない)が示された。関屋分水路信濃川以西の白根市を含む西蒲原地区については、複数のパターンが想定されている。これら区割り案については、同年9月上旬から各市町村で順次公表された。なお、巻町はこの段階では合併協議開始前であったため、区割り案のパターンには含まれなかった[11]

この3つの区割り案を叩き台とし、市民及び編入市町村民から意見を募った上で、合併協議に参加した巻町を加え、先の3案を修正したものと新たに作成した2案の、計5案による区割り意見の二次募集が2005年1月30日から同年2月25日まで行われた[12]

[編集] 区名

  • 区名案の募集と結果
新潟市行政区画審議会[13]は、区の一体感・愛着・全市的整合性の3つの基本的な考え方により、2005年10月31日~11月21日、区名案を募集した。その結果[14]、応募の1位は、1区:豊栄、2区:東、3区:中央、4区:亀田、5区:新津、6区:白根、7区:西、8区:巻となり、1区・4区・5区・6区・8区では旧市町村名がいずれも応募1位を占めた。なお、応募総数は14,965通あり、このうち5区(旧新津市・旧小須戸町)からの応募数が9,666通で全体の6割強を占めた。
  • 区名案の絞り込み
新潟市行政区画審議会は、下部組織としての検討委員会を立ち上げ、検討委員の意見と地域審議会などからの意見を元に区名案の絞り込みを行った[15]。その結果、区の一体感を阻害するとの懸念から応募1位になった旧市町村名を候補とせず、方位方角及び中央についても候補としないこととして、新潟市行政区画審議会へ報告した。
  • 区名案の最終調整と結果
新潟市行政区画審議会は、検討委員会から絞り込んだ区名案の報告と地域審議会やコミュニティークラブなどの意見を受け、区名案の最終調整を行った。この時、新潟市議会議員で構成する新潟クラブや政令指定都市調査特別委員会からは、応募の多かった旧市町村名は民意であるから区名候補に入れるべきとする意見書が提出されていた。また、1区から8区において意見集約が図れなかった地区は5区だけで、新津を区名候補に入れて欲しいとする新津地域審議会と新津と秋葉を除外して欲しいとする小須戸地域審議会の2地域審議会だった。結局、行政区画審議会委員による多数決により旧市町村名を候補としないこととしたが、一方で行政区画審議会委員などからの要望により検討委員会では候補としなかった方位方角・中央を区名候補に加え、意向調査する区名候補が決定した。なお、5区の区名候補には小須戸地域審議会が除外要望した秋葉が区名候補に入った[16]
  • 区名意向調査と答申
新潟市行政区画審議会は、区の一体感・愛着・全市的整合性の3つの基本的な考え方により、2006年2月24日~3月9日、区名意向調査を実施した。応募数は34,459通(内有効33,436通)、新潟市行政区画審議会は2006年3月28日、全市的に一番応募の多かった区名候補(1区:北、2区:東、3区:中央、4区:江南、5区:秋葉、6区:南、7区:西、8区:西蒲)を新潟市行政区の区名候補として新潟市長へ答申した。なお、5区については全市で最も多かった区名案(秋葉)と居住区で最も多かった区名案(緑)が異なっていたが、全市的な観点という理由により秋葉を答申した[17]。また、付帯意見として区名に続き表示される町字名に旧市町村名等をつけることについて対処を求めた。新潟市行政区画審議会は2006年3月31日をもって解散した。
  • 5区の名称を新津とすることを求めることについての署名活動と新潟市議会の請願採択
新潟市行政区画審議会の答申後、主に旧新津市住民による真の分権型政令市を実現させる会が5区の名称を新津とすることについて署名活動を行い、37,597名の署名(賛同者)を集め、新潟市長に陳情、新潟市議会へ請願書を提出[18]。2006年7月3日の新潟市議会本会議においてこの請願が採択された。なお、署名収集の方法のひとつとして、新津地域の自治会を通じて回覧板を各組(各世帯)へ廻して集めるなどの手法がとられたが、この手法については賛否両論の声が聞かれた。

[編集] 地名

政令市移行に伴い、地名も一部再整理された。

市内で唯一「大字」表記を存続していた亀田地区は政令市移行とともに大字を全廃し(例:新潟市大字亀田→新潟市江南区亀田)、これによって市内の大字を冠する地名は全廃された。また8行政区間で重複する地名は地元住民などとの協議の上、地区名や東西南北を冠したままのケース(例:新潟市亀田四ッ興野、白根四ッ興野→新潟市江南区亀田四ッ興野、南区白根四ッ興野)と、地区名や東西南北を外して編入前の地名に復したケース(例1:新潟市南田中→新潟市南区田中)(例2:新潟市豊栄美里、潟東美里→新潟市北区美里、西蒲区美里。但し西蒲区には西川地区内の通称地名として「美里」が重複して混在している。)とがある。 なお、北区では豊栄地区の東栄町(とうえいちょう)と北地区の東栄町(ひがしさかえまち)とで混同を避けるために合併時に前者に豊栄を冠したにもかかわらず、区制に伴い外してしまった為に同区内で混同が生じる恐れがある。

[編集] 新潟100万都市構想

20世紀中は、政令指定都市移行に「人口100万以上、または、近い将来人口100万人を超える見込みの80万人以上の人口」が必要(参照)とみられていたため、新潟市が政令市となるため100万都市となるような合併の枠組みの提言がなされた。

2001年8月30日の市町村合併支援プラン決定により、人口要件は期間限定で緩和され、新潟市の政令市移行も実現したが、周辺自治体の財政状況など諸般の事情により、今もなお合併を模索する動きがある。

「新潟100万都市構想検討報告書[19]
新潟商工会議所が市制100周年にあたる1989年(平成元年)9月にまとめた報告書。第1次新潟新都市エリアとして旧新潟市・旧豊栄市・旧亀田町・旧黒埼町・旧横越村(平成元年時点では旧横越町は村)。第2次新潟新都市エリアとして、現在の新潟市から旧岩室村を除いた地域に、聖籠町、現阿賀野市。最終新潟新都市エリアに、第2次新潟新都市エリアに現佐渡市を加えた地域を想定している。すなわち、現在の新潟市から旧岩室村を除いた地域に、聖籠町、現阿賀野市、現佐渡市を加えた地域を以って100万都市を目指す構想であった。
「緑豊かな国際商業都市を目指して[20]
21世紀を前に、新潟商工会議所が2000年(平成12年)1月にまとめた提言書。政令指定都市化の際の市域の範囲は、旧新潟市・旧新津市・旧白根市・旧豊栄市・旧京ヶ瀬村・旧小須戸町・旧横越町・旧亀田町・旧西川町・旧黒埼町・旧味方村・聖籠町を想定しており、「新潟100万都市構想検討報告書」と比べて範囲が縮小されている。
平成の大合併中
平成の大合併における旧新潟市と周辺市町村の合併構想の際、旧北蒲原郡水原町安田町京ヶ瀬村笹神村側(現阿賀野市)にも政令指定都市を目指して新潟市への編入合併案が浮上していた。北蒲原郡南部郷合併協議会が発行していた「北蒲原郡南部郷合併協議会だより」において、2001年(平成13年)3月に政令指定都市を目指す「第4次新潟地域広域市町村圏計画」を明記している[21]
将来構想
阿賀野市の編入[22]や田上町の編入[23]も構想されている。

[編集] その他

合併記念歌

この2005年の合併にあたり、市と各合併協議会では記念歌の制作を決定。新潟市が制作費の一部2,000万円を拠出し、新発田市出身のたかたかし作詞、新潟市に在住歴のある遠藤実作曲を手懸け、新潟市出身の小林幸子が歌うテーマソングは『越佐海峡』の仮題で制作が進められていた。

しかし10月23日に発生した新潟県中越地震を受け、タイトルとアレンジを急遽変更、歌詞も被災地への激励を込めたものに一部を手直しした『越後絶唱』が完成した。

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 新潟市・亀田町・横越町 合併問題協議会
  2. ^ 新潟地域合併問題協議会
  3. ^ 新潟地域合併協議会
  4. ^ 新潟市・新津市合併協議会
  5. ^ 新潟市・巻町合併問題協議会
  6. ^ 新潟市・巻町合併協議会
  7. ^ 市町村合併支援プラン(平成13年8月30日 市町村合併支援本部)
  8. ^ 行政区画の編成及び区役所の位置
  9. ^ 新潟市の行政区の名称
  10. ^ 行政区画の編成及び区役所の位置図
  11. ^ 新・新潟市 ~政令指定都市へ向けて
  12. ^ 新・新潟市 ~政令指定都市へ向けて(新潟地域合併連絡会議 分権研究部会)
  13. ^ 新潟市行政区画審議会 開催状況 その2(新潟市の行政区の名称について)
  14. ^ 各区の区名案の状況
  15. ^ 第10回検討委員会 資料一覧
  16. ^ 新潟市の行政区の名称について(報告)
  17. ^ 新潟市の行政区の名称について-答申-
  18. ^ 請願第43号-真の分権型政令市の実現と5区の名称を新津とすることを求めることについて-
  19. ^ 新潟100万都市構想検討報告書
  20. ^ 緑豊かな国際商業都市を目指して
  21. ^ 阿賀野市の将来(個人のサイト)…「政令市新潟市と阿賀野市 阿賀野市の今後 ~政令指定都市との合併・水原バイパス~」において、北蒲原郡南部郷合併協議会が発行していた「北蒲原郡南部郷合併協議会だより」の内容を引用して説明。なお、「北蒲原郡南部郷合併協議会だより」は現在、阿賀野市企画政策課が保管している。
  22. ^ 新潟地域合併協議会会議録2004年(平成16年)3月7日に行われた、第3回新潟地域合併協議会での会議録。当時豊栄市議であった山崎敬雄委員の発言内容に「あるいは4月にスタートする阿賀野市の編入も将来的には考えられることや~」との記録がある。
  23. ^ 読売新聞 2006/4/26付 … 田上町議15人でつくる「合併を推進する有志の会」は、新潟市などとの合併を再び模索すべきだと訴えている。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年5月14日 (木) 07:23 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【新潟市の行政区域の変遷】変更履歴

ご利用上の注意