新神戸オリエンタルシティ

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新神戸オリエンタルシティ

新神戸オリエンタルシティ(しんこうべオリエンタルシティ)は、兵庫県神戸市中央区新神戸にある、ホテルと専門店街と劇場が一体となった複合商業施設

地下に神戸市営地下鉄山手線および北神急行電鉄新神戸駅があり、隣接する山陽新幹線新神戸駅とは3階のデッキで結ばれていることから、交通の便の良さをセールスポイントの1つにしている。

目次

[編集] 概要

1988年開業。地上37階+地下3階建て。次の3商業施設で構成されている。

  • クラウンプラザ神戸 - 開業から2006年12月14日までは「新神戸オリエンタルホテル」。現在の総支配人(ゼネラルマネージャー)はジョージ・コメンダーコス。(前任者はスコットブッチャー。前々任者イアン・リードの退職に伴い、2008年8月1日付で就任)。2010年初頭に、全日空ホテルズの系列となるため、ANAクラウンプラザホテル神戸へ名称変更予定。
  • 新神戸オリエンタルアベニュー - 当初は「オリエンタルパークアベニュー」、のちに「新神戸OPA」となり2002年から現名称
  • 新神戸オリエンタル劇場 - クラシック音楽室内楽等のコンサート演劇などの公演

新神戸オリエンタルシティC3と呼ばれることもある。この「C3」は、上記の3つの商業施設を意味している。

30階〜32階にかけての3フロアは、「クラウンプラザ・クラブフロア」とされており、専用のキーカードがないと入ることはできない。この3フロアの宿泊代金は、通常の宿泊代金よりも割高に設定されているが、パソコン機能付きの液晶テレビや無料インターネットを設置するなど、設備の充実が図られている。また、一般には、37階は公開されていない。同階には、クラブフロアの宿泊客専用の「クラウンプラザクラブ ラウンジ」があり、クラブフロアの宿泊客は無料にて(宿泊代金に含まれている)、朝食やアフタヌーンティーを楽しむことができ、好評を博している。このラウンジに行くためにも専用のキーカードによる操作が必要であり、エレベータ内の読み取り機にカードを読み取らせる必要がある。

[編集] 誕生の背景

2F吹き抜け

当地には、1981年まで、神戸市立中央市民病院があった。同病院がポートアイランドに移転した跡地を再開発するにあたり、当時ダイエーの社長だった中内功が中心となって、神戸の玄関口である新神戸駅前にふさわしい施設づくりを考案した。すなわち、

  • 神戸を訪れた人にとって、至極便利な位置にあるホテルや劇場
  • 神戸を訪れた人にとって、至極便利な神戸での滞在が可能となる神戸の魅力を凝縮した商業施設
  • 近隣の住民の生活を便利にする商業施設
  • 新神戸周辺広域の核となる大規模な商業施設

の集合体である。

かくして、ホテル・パークアベニュー・劇場を集約し、そのなかに神戸を凝縮した「シティ」が、竹中工務店による施工のもと1986年4月に着工し、1988年に誕生した。地上37階建ては、誕生当時、関西一の高層建造物であった。とても立派な施設である。これほどまでに立派な施設を完成させることができたのは、官民一体で事業を進めてきたこと、バブル期であったことに加え、中内功が自らの故郷である神戸にダイエーグループを繁栄させたいという思い入れがあったことも大きい[1]

この施設をつくるにあたり、異人館の地名と同じ神戸市中央区「北野町」1丁目を名乗れるようにしてイメージアップにつなげた。当地は実際には神戸市中央区「加納町1丁目2」にあり、北野町1丁目には部分的にも所在していない(地図を参照)。「北野町1丁目」のあとに番地が付いていないのはこのためである(ただし一部では「北野町1-1-3」とか「北野町1-3」としているものもあるが、実際の北野町1-1-3は中低層雑居ビルであり、北野町1-3は山すそのコンクリート壁である)。

なお、オリエンタルパークアベニューは、その頭文字を取ってOPA(オーパ)と略され、その略称で親しまれていた。これが、現在のOPAのルーツである。チェーン店群としてのOPAが生まれたのちに、オリエンタルパークアベニューも「新神戸OPA」としてOPAのチェーンに組み込まれた(それゆえ、現在のOPAのルーツではあっても、厳密な意味での1号店とは異なる)。オリエンタルパークアベニュー時代のシンボルマークであったウサギは、チェーン店のOPAになって以後は用いられていないが、壁や床の装飾として埋め込まれたものについては、現在もそのままであり、当時をうかがうことができる。

[編集] 現在の新神戸オリエンタルシティ

阪神・淡路大震災そしてバブル崩壊後の長期にわたる不況は、新神戸オリエンタルシティにも、それを経営する親会社ダイエーにも甚大な打撃を与えた。特に、オリエンタルパークアベニューが新神戸OPAになって以後、入居店舗が次々と撤退し、フロアのいたるところが「改装中」とされ、客足も落ち込み、もはや商業施設としては機能しなくなるほどであった。ダイエーグループ(オレンジフードコート)が運営していた地下3階の天津美食街さえも、閉店せざるを得ない状況になった。2002年に新神戸OPAは消滅。跡地は「新神戸オリエンタルアベニュー」として整備された(ただし地元の人々の間では現在でも新神戸オーパと通称されることもある)。ちなみに、新神戸オリエンタルホテルや新神戸オリエンタル劇場については、長期休業することなく営業が継続されていた。

ダイエーが産業再生機構の支援を受けての再建を行うにあたり、新神戸オリエンタルシティも、そのすべてが、2004年2月に、当時所有していた株式会社福岡ドーム[2]からモルガン・スタンレーに売却され、ついにダイエーの手から離れた。売却後、施設を運営する法人新神戸オリエンタルホテルが設立され、全面的な改装が行われた。現在では、景気回復も追い風となって商業施設はほぼ埋まり、新神戸オリエンタルシティがつくられた当初のコンセプトや雰囲気を、まったく同じではないものの、取り戻しつつある。

ホテルについては、親会社のモルガン・スタンレーにより、イギリスインターコンチネンタルホテルズグループと提携し、2006年12月15日に、運営法人の新神戸ホールディングはそのままで、ホテルの名称を「クラウンプラザ神戸」に改称した。

なお、1階の、新神戸ロープウェー乗り場への通路入口脇の外壁に、「よい品を どんどん 安く より豊かな 社會を」という、中内功の直筆が刻まれた石板が設置されている。また、アベニューの以下の店舗はかつてここがダイエーグループだった名残である。

このうちパンドラとウェンディーズもまた現在はダイエーグループの一員ではなくなっている。

[編集] その他

[編集] 脚注

  1. ^ 中内功は、新神戸オリエンタルシティC3以前にも、ダイエー初のチェーン店である三宮店(のちに近隣に店舗を増やし「ダイエー村」を形成、1995年1月17日阪神・淡路大震災被災により閉店)や、日本初のプランタン(プランタン神戸。プランタン銀座よりも早い1981年に開店、こちらも1995年1月17日に阪神・淡路大震災被災により閉店し跡に現在は三宮OPA)を開店していた。
  2. ^ 当時の設置者自体は株式会社新神戸開発で、この親会社が株式会社福岡ドームであった。新神戸開発は株式会社神戸セントラル開発から新神戸オリエンタルシティを引き継いだ会社で、この神戸セントラル開発が最初の設置者として、建物外周の東側に現存する表示板に記されている。なお、神戸セントラル開発は1997年に新神戸開発を福岡ドームに売却したのち同年にダイエーホールディングコーポレーション(戦後日本で持株会社が解禁されて以後初の持株会社であり、かつ中間持株会社)に改称、2002年に清算された。また、新神戸開発および福岡ドームも、2005年に清算されている。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年12月8日 (火) 11:44 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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