新聞統制
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新聞統制(しんぶんとうせい)は、満州事変からポツダム宣言受諾に至るまでの、いわゆる十五年戦争の間に行われた地方新聞の統合・削減を目的とした数々の政策の総称。
新聞統制の目玉はいわゆる新聞統合、一県一紙制の導入であり、現在も維持され、民間放送などにも影響を与えている[1]。
目次 |
[編集] 概要
1936年に同盟通信社が設立。日本を代表する通信社(国家代表通信社)の誕生であると共に、情報源を集約できるという政府にとっての利点もあった。
1936年7月1日に内閣情報委員会設置。
1937年の盧溝橋事件(蘆溝橋事件)を機に軍機保護法を改正(8月14日公布)。軍事・外交に関する情報に関する制限がさらに強化された。
1937年9月25日に内閣情報委員会を内閣情報部に改組。
1939年3月、内務省は新聞紙法による新聞・雑誌の創刊を原則として新たに許可しないことに決めた。
1941年に真珠湾攻撃の少し前の11月、政府は「新聞ノ戦時体制化ニ関スル件」を閣議決定する。すべての新聞社が「新聞統制会」に加盟、記者クラブの整理、といったのが主となっている。
12月、真珠湾攻撃が起きてから[要出典]は、内閣情報局が報道に関する制限をさらに強める「記事差し止め事項」を作成。
12月には新聞事業令が公布、「1県1紙」体制に向けて新聞社を整理させていく。
[編集] 戦争報道への影響
これらの経緯を経て、新聞社や日本放送協会の報道は制約されはじめる。従軍報道においても取材写真は幾つもの検閲を経て、何度もふるいにかけられてようやく紙面に掲載されることになった。また、言論統制もあって、記事にも日本に有利な情報しか掲載されなくなり、事実に反する内容も少なくなかった。そのため、複数の「真実」が存在する、曖昧な事件が幾つかあり、現在に至るまで議論がなされている。
[編集] 整理統合の進捗
新聞社の整理統合は739あった。地域ごと、同じ県でも3~4地区にそれぞれひとつの地方紙が存在した。それを最終的に54にまで削減した。地方紙はその多くを整理・統合させて、最終的に1つの都道府県に対して1~2の新聞社しか発刊を許可されなくなった。愛知県下では新愛知と名古屋新聞、福岡県下では福岡日日新聞と九州日報がそれぞれしのぎを削っていたが、それぞれ中部日本新聞、西日本新聞に統合された。
- 整理統合後の新聞
- 全国紙
- 地方紙
- 樺太 樺太新聞 (ソビエト連邦軍の侵攻により消滅)
- 北海道 北海道新聞
- 青森県 東奥日報
- 岩手県 新岩手 (現在の岩手日報。)
- 宮城県 河北新報
- 秋田県 秋田魁新報
- 山形県 山形新聞
- 福島県 福島民報
- 茨城県 茨城新聞 (「いはらき」を経て茨城新聞に復題。)
- 栃木県 下野新聞
- 群馬県 上毛新聞
- 埼玉県 埼玉新聞
- 千葉県 千葉新聞 (消滅)
- 東京都 東京新聞 (夕刊紙)
- 神奈川県 神奈川新聞
- 新潟県 新潟日報
- 富山県 北日本新聞
- 石川県 北国毎日新聞 (現在の北国新聞)
- 福井県 福井新聞
- 山梨県 山梨日日新聞
- 長野県 信濃毎日新聞
- 岐阜県 岐阜合同新聞 (岐阜タイムス、岐阜日日新聞を経て、現在の岐阜新聞。)
- 静岡県 静岡新聞
- 愛知県 中部日本新聞 (現在の中日新聞。)
- 三重県 伊勢新聞
- 滋賀県 滋賀新聞 (滋賀日日新聞を経て、京都新聞に統合。)
- 京都府 京都新聞
- 大阪府 大阪新聞 (夕刊紙。産経新聞夕刊に統合。)
- 兵庫県 神戸新聞
- 奈良県 奈良日日新聞 (休刊を経て復刊。)
- 和歌山県 和歌山新聞 (消滅)
- 鳥取県 日本海新聞 (休刊を経て復刊。)
- 島根県 島根新聞 (山陰新報、島根新聞(復題)を経て、現在の山陰中央新報。)
- 岡山県 合同新聞 (現在の山陽新聞。)
- 広島県 中国新聞
- 広島県 呉新聞 (中国新聞に統合。)
- 山口県 関門日報 (防長新聞を経て消滅。)
- 徳島県 徳島新聞
- 香川県 香川日日新聞 (現在の四国新聞。)
- 愛媛県 愛媛合同新聞 (現在の愛媛新聞。)
- 高知県 高知新聞
- 福岡県 西日本新聞
- 佐賀県 佐賀新聞
- 長崎県 長崎日報 (長崎新聞を経て解体。その後、一部を除き再統合し現在の長崎新聞。)
- 熊本県 熊本日日新聞
- 大分県 大分合同新聞
- 宮崎県 日向日日新聞 (現在の宮崎日日新聞。)
- 鹿児島県 鹿児島日報 (現在の南日本新聞。)
- 沖縄県 沖縄新報 (アメリカ軍の侵攻により消滅。)
- 経済紙
- 外地
[編集] 新聞統制が遺したもの
残された新聞社は、ライバル社がいくつかの全国紙と1つの地方紙であるため関東・関西以外の地方紙はほぼ独占的なシェアを誇ることとなった。
戦後、新たな新聞社の設立が自由となり、相次いで設立された。この際に起きた全国紙の狂気とも思える無軌道な拡販は新聞界を大きく混乱させた。この際、全国紙の幹部の一人は統制で販売網を譲ったなどから「地方紙には貸しがある」と全く意に介さなかったという。既存の地方紙の地盤を崩すために全国紙は共同で通信社を脱会。これは中央や海外の情報網が貧弱な地方紙の代わりに取材する「通信社」を潰しにでた作戦とされる。また、地方紙でも都市部においては全国紙に発行部数を食われる新聞社も少なくない。
こういう状況下、多くの地方紙は放送局に出資することとなる。放送局への報道協力など、果たす役割も多いからである。しかし、それがそのまま放送局においても「1県1波」の原則で話が進むこととなる。但し、ケーブル会社(県内の地上波は放送局の許可を得たうえで一旦、受信して有線で配信する再配信を業務とする)が県外で電波を受信、県内の契約家庭へ送っている。これは事実上、県内で棲み分けがされている地上波放送局のシェアをケーブルで侵食しており、上越ケーブル事件などの軋轢が発生。免許による保護制度も限界に近づきつつある。
テレビ放送では放送免許の大量交付に伴い、全国紙との関連性が重要視されるが、ラジオ放送に関しては地方紙とのかかわりが非常に深い状態が今も続いている。さらに、地方紙が弱体している県のラジオ放送が無いかあっても1つしかない、という現状でもある。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 水越伸著『メディア・ビオトープ―メディアの生態系をデザインする』 ISBN 4-314-00977-2
[編集] 外部記事
[編集] 脚注
- ^ ラジオ局ローカルニュースタイトル一覧の項を参照のこと。
最終更新 2009年5月26日 (火) 05:02 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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