日の丸飛行隊

日の丸飛行隊の最新ニュースをまとめて検索!

日の丸飛行隊(ひのまるひこうたい)とは冬季オリンピックスキージャンプ・ワールドカップ等に於ける、スキージャンプ競技に於ける日本のジャンプ陣である。


[編集] 歴史

きっかけは、札幌オリンピックの70m級(現在のノーマルヒル)ジャンプにて日本のジャンプ陣(笠谷幸生金野昭次青地清二)がメダルを独占した事に始まる。後に、冬季オリンピックやワールドカップ等で日本のジャンプ陣を日の丸飛行隊と呼ぶようになった。

札幌オリンピック後に長期低迷が続いたが、カルガリーオリンピック直後からナショナルチーム入りした原田雅彦岡部孝信東輝葛西紀明らの登場で成績が再び上昇し、長野オリンピックではラージヒル団体で金メダル(原田、岡部、船木和喜斉藤浩哉)、ラージヒル個人で船木が金メダル、原田が銅メダル、ノーマルヒル個人で船木が銀メダルを獲得する大活躍を演じた。

しかし、長野オリンピック後のルール変更で再び長期低迷に入り、2002年ソルトレイクシティオリンピックでは団体5位、個人では船木のラージヒル7位が最高という成績に終わった。

2006年、日本のジャンプについて現・日本ナショナルチームヘッドコーチのカリ・ユリアンティラは「フィンランドオーストリアなどのジャンプ強国と比べて踏み切りの技術が未熟でレベルが低い。日本の技術は1990年代後半までは良かったがその後のルール変更による対応が全くできていない。しかも若い選手が全く成長していない上に主力が世界の強豪国と比べてあまりにも高齢だ。私の目標はトリノオリンピックでのメダル獲得ではない。2007年札幌で行われるノルディックスキー世界選手権に向けて有望な若い選手を見つけることだ」と話した。トリノオリンピックでのメダル獲得が困難であることが明白であるにもかかわらず若い選手が育っていないため、岡部・葛西らの出場は早々に内定し、最終的には原田も選考された。そのため、フィンランド、オーストリアなどのジャンプ強国のマスコミの一部からは日の丸飛行隊が「高齢者集団」であることを皮肉って「ロートルジャパン」と呼ばれた。20歳の伊東大貴、16歳の伊藤謙司郎ら若手も代表に選ばれたものの、団体6位、個人では岡部のラージヒル8位が最高と惨敗し、ノーマルヒルの原田に至っては使用するスキー板に対して体重が200グラム足りず規定違反で失格という結果だった。

2006年3月、長らく日本のジャンプ界を牽引してきた原田が引退。2007年2月の世界ノルディック選手権では団体で3位になったものの、日本より格上であるフィンランドとドイツの失敗によるところが大きく、事実、同選手権のノーマルヒルとラージヒルのいずれも日本勢は惨敗だった。現在、2010年バンクーバーオリンピックへ向けて再建が急がれる。

[編集] 外部サイト

最終更新 2009年10月13日 (火) 08:59 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【日の丸飛行隊】変更履歴

ご利用上の注意