日本のヒップホップ

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日本のヒップホップでは、日本におけるヒップホップの歴史や推移について述べる。

目次

1980年代

1981年

  • 1970年代後半にTBSラジオなどで放送されていたラジオ番組スネークマンショーがこの年にリリースしたアルバム「スネークマンショー」に収録された『咲坂と桃内のごきげんいかがワン・ツゥ・スリー』(小林克也伊武雅刀)、及びコメディアンの山田邦子が発表した『邦子のかわい子ブリっ子~バスガイド編』などが『Walk This Way』や『フラッシュダンス』以前の、オーバーグラウンドに現れたラップ的な表現の一例と思われる。但しこれらの作品がアメリカにおけるヒップホップシーンを意識して制作されたかどうかは定かではない。

1982年

  • 映画フラッシュダンス』が日本で公開され、劇中のわずか数分にヒップホップ4大要素の一つとなるブレイクダンス、ロックスティデイクルー(Rock Steady Crew)がストリートダンスを披露した。ストリートで踊るシーンに使われているJimmy Caster Bunchの曲『It's Just BE GUN』は世界的にミュージシャンからリスペクトされる。日本ではこれに影響された浜松のグループ「アップルパイオールスターズ」の大橋が早々とブレイクダンスを習得し、その後TOKYO B BOYSのCRAZY-A(現在B BOY PARK主催者)が日本におけるアンダーグラウンドのヒップホップを広めるべく活動を行っていた。

1983年

  • 新宿ツバキハウスにおいて映画『ワイルド・スタイル』出演のクルーが開催したヒップホップ・ショーでは、DSTによるスクラッチのデモンストレーションやレクチャーが行われたといわれている。

1984年

  • 映画『ブレイクダンス』公開。この映画や『ワイルド・スタイル』により、ブレイクダンスが日本全国に一大ムーブメントとして広がる。CRAZY-A、TOKYO B BOYSが原点とする原宿ホコ天(歩行者天国)では当時、 ナオヤ(TokyoB Boys、ZOO)、DJ KRUSHMURO、BEAT、阿部ちゃん、グッチG、ホリエハルキ、ヨウヘイなど、現在著名のDJダンサーラッパーが活動を行っていた。また新宿六本木ではオウジ、サム(TRF)、横浜ではFLOOR MASTERS、村山タカシが活動していた。まさに空前のブレイクダンスブームであり、ラップやDJよりも、「踊れること」が尊ばれた時代であった。
  • そんな中、モンチ田中がテレビ番組などでDJプレイを紹介するなど、マスメディアにおけるDJ活動を活発化させていた他、風見しんごが歌った『涙のtake a chance』でブレイクダンスが採用されたことも特筆すべき事項である。
  • この当時、B-FreshのMCベルとケークKらが自主制作レーベルにて日本のラップシーンの先駆けとなる活動を行っていた。メンバーの中にはDJ KRUSHMURO、DJ BEATなど、現在の日本を代表するアーティストが在籍していたことでも知られている。同様に活躍していたチームにJAP MC'S (初代メンバーはCRAZY-A、Keny(ホシナ)、Beat Master AZ(馬場)、KAZU(ZOO))などがある。
  • 佐野元春が、渡米中に制作したアルバム『VISITORS』において、冒頭の「COMPLICATION SHAKEDOWN」を含む数曲でラップを取り入れ、当時の音楽業界に大きな衝撃を与えた。これはメジャー系レーベル所属の日本人ミュージシャンとして初のラップと言われており、現在の国内ラップミュージシャンからも、大いにリスペクトを受けている。

1985年

  • ジョージ・ヒコが米国Tommy Boy Recordsから12インチをリリースしたほか、モンチ田中を中心としたDJグループ「M.I.D.」が結成されるなど、シーンの基礎的な部分がさらに成長を進めていった年であるといえよう。また、いとうせいこうがアルバム「業界くん物語」にてラップに挑戦した。この年にリリースされた吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」を広義のラップに含むとする説もある。同曲のリミックスシングルが桑原茂一プロデュース、DJ KUDOらのグループ「ハードコアボーイズ」名義で製作され、日本初のリミックス作品となるが、何らかの理由で発売停止となった。

1986年

  • RUN-DMCエアロスミスと共演した『Walk This Way』が全世界的なヒットを記録し、シーン全体に多大な影響を与えた。またPoppin Pete、Skeeter Rabbit、Boo Yaa Tribeが大阪に来日、大阪にもヒップホップシーンが形成していくきっかけを与えた。Popping Styleを伝授された愛弟子はワイルドチェリー、ユキ、シン兄弟、林田、オズ、テツなど。一方で東京では「HIPHOP」というクラブが渋谷にオープンし、DJ YUTAKAがレギュラーでプレイした。さらに、ラジオ番組「SCRATCH MIX」がFM横浜で始まるなど、多方面でシーンの広がりを垣間見ることが出来た年だと言える。これらとは別の動きとして、ビブラトーンズを解散した近田春夫がソロプロジェクトPresident BPMを立ち上げ、12インチ『Masscommunication Breakdown』をリリース。近田の活動は後にビブラストーンとなって結実する。また、いとうせいこう&TINNIE PUNX名義のアルバム『建設的』がリリースされたのもこの年。

1987年

1988年

  • インディーズレーベルMajor Forceが設立される。高木完、藤原ヒロシ、屋敷豪太などが参加していた。また、設立と同時にMajor Force主催のイベントDJ Underground Contestが開催される。優勝者はKRUSH POSSE、特別賞はスチャダラパー。このイベントにはChappy、B-Fresh 3、DS455、GAKU(後にEAST ENDを結成)などが参加していた。

1989年

  • ニュージャックスウィングというダンスが大流行する。これまでのブレイクダンスとは違い、ロジャーラビット、ランニングマン、ロボコップという名前がついたステップのダンスが流行し、この年、ダンス番組『DADA L.M.D』がスタート。初代メンバーはMr.T、タケダ、TACO、KAZU、ハルク、KAN、そして1990年代のニュースクールダンスをロサンゼルスから持ち帰り、毎週テレビで披露していたKAZU(STRUT)である。
また、KAZUとJJAY Yが日本人として初めて「ソウル・トレイン」に参加、ジェフリー・ダニエルのバックダンサーを務めた。彼らはZOOの初代メンバーであり、ニュースクールの先駆け的存在であった。その活動は「彼がいなければ現在のDJ KENBO、DJ WATARAIなどはいなかった」と言われるほどの存在感を示した。
  • 一方、いとうせいこうがアルバム「MESS/AGE」をリリース。日本語によるオリジナルなラップや音楽スタイルがMCUKOHEI JAPAN等、後に登場するアーティストに多大な影響を与えた。
  • さらに、ECD主催によるHIPHOPコンテスト「CHECK YOUR MIKE」がスタート。第一回目の優勝はZINGI。その他、BOY-KEN、TONEPAYS、キミドリなどを輩出。このコンテストは90年代中期頃まで行われており、DJ PMXからBY PHAR THE DOPESTまで、様々な才能を発掘した。
  • Rhymester、結成。

1990年代

1990年代に頭角を表したのはMC仁義、MUROB-FRESHRHYMESTERMELLOW YELLOWなど。ゴールデンや深夜放送枠にあったダンス番組は「Club DADA」、「Dance Dance Dace」(TRFSAMとオウジがメイン)、「ダンス甲子園」などである。これらが注目され、LL ブラザーズZOOやトップフラッシュが人気を得る。ZOOの「Choo Choo TRAIN」はJR東日本とのタイアップもあり全国ヒットとなったが、ファッションをいち早く日本に持ち込んだのも彼らである(ZOOファミリーでもあるBobyがニューヨークの『A LIVE TV』のダンサーからNYファッションを持ち込んだ)。ティンバーランドゲストミー・ヒルフィガーDKNY、Polo Sportsなど、リアルタイムファッションを各雑誌が取り上げた。ZOO全盛期のメンバーは、Taco、Naoya、Mark、Satsuki、ルーク、Hiro(現在EXILE)、Cap、HIsami、Sae。

アンダーグラウンドのシーンでは、「ブラック・マンデー」のYOU THE ROCK & DJ BEN、「FUNKY GRAMMAR UNIT」のRHYMESTER、EAST END、MELLOW YELLOW、その他にも、A.K.I.、キミドリ、DJ KRUSHECD、MURO などがいた。
「DA・YO・NE」(EAST END×YURI )、「今夜はブギーバック」(スチャダラパー小沢健二)、「Bomb A Head!」(m.c.A・T)の大ヒットが後押しする形で、1990年代半ば頃からJ-POPを聞いていた人たちにもラップミュージックが認知されるようになる。これらの動きはDragon Ashの登場、RIP SLYMEKICK THE CAN CREW等の新しいスタイルを持ったユニット登場の端緒となっていった。

1990年

1991年

  • スチャダラパーが『タワーリングナンセンス』でキューンソニー(現在のキューンレコード)より、高木完が『フルーツ・オブ・ザ・リズム』でEPICソニー(現在のエピックレコード)よりメジャーデビューを果たす。メジャー・フォースが一気にメジャーへ進出した。
  • 「ダンス甲子園」(天才・たけしの元気が出るテレビ!!)がスタートし、M.C.ハマーが来日。

1992年

  • dj hondaが、DJ Battle World Supremacyにて準優勝を果たす。
  • MURO、TWIGY、GoなどによりMICROPHONE PAGERが結成、それまで目立っていたオーバーグラウンド進出へのカウンタームーブとしての活動を始める。
  • ECDがファーストアルバム『ECD』をリリース。

1993年

  • Run DMCアイス・キューブなどといった大物アーティストが続々来日する一方で、ストリートシーンを中心にシーンが停滞した。
  • 4月、RHYMESTERが『俺に言わせりゃ』でファイルレコードよりデビュー。同時期にFUNKY GRAMMAR UNITの原型が立ち上がり、EAST END、MELLOW YELLOWなどが参加している。
  • m.c.A・Tの『Bomb A Head!』がリリースされる。
  • キングギドララッパ我リヤが結成される。ラッパ我リヤの当時のメンバーには三善善三も含まれていた。

1994年

  • イギリスでDJ KRUSHがヒップホップをインストゥルメンタルとして表現する前代未聞のムーブメントを起こす。この動きは後にトリップ・ホップのブームと結びつき、欧州を中心に高い評価を受ける。
  • EAST END×YURI の「DA.YO.NE」、スチャダラパーと小沢健二による「今夜はブギーバック」がリリースされる。

1995年

  • BUDDHA BRANDアメリカ合衆国から帰国。
  • Lamp Eye、キングギドラ等がデビュー。日本で最も有名なクラシック「証言」がドロップされる。このころ活躍し始めたのは、Lamp Eye、YOU THE ROCK★G.K.MARYAN、TWIGY、ZEEBRADEV LARGEなど。
  • 名コンピレーション『悪名』が発売。人気を博し、シリーズ化された。RINOはこのコンピで評価され、UZIなども知られることになる。
  • テレビ東京浅草橋ヤング洋品店』にて、ハードコアヒップホップグループ「雷(雷家族の前身グループ)」が結成される。当時の勢いは凄まく、DABOのように雷の影響を受けたと公言をはばからないアーティストも多い。『カミナリ c/w 夜ジェット』がアナログで発売され、彼らの代表曲となる。
  • NHKおかあさんといっしょ』1995年11月・12月の歌として、ラップ調の童謡『サラダでラップ』が発表される。
  • TOKYO FMにてYOU THE ROCK★のラジオ番組『HIP HOP NIGHT FLIGHT』が放送開始(1998年5月に終了)。

1996年

  • 4月24日、YOU THE ROCK★の「THE SOUNDTRACK '96」がリリース。ECD、TWIGY、LAMP EYE(RINO,GAMA & DJ YAS)、MUMM-D、DEV-LARGE、HAB I SCREAM、E.G.G.MAN、UZI、MACKA-CHIN、HAC、DJ TSUTCHIE、DJ MASTER KEY、DJ MAKI、DJ WATARAI、INOVADER、etc...と数多くのプレイヤーが参加したクラシックスの呼び名も高い作品となった。
  • BUDDHA BRANDの「人間発電所」がリリース。この曲によって'90年代の日本のヒップホップシーンがさらに加速したと言えるほどの大反響を及ぼした。アナログは現在かなり高額で取引されている。
  • 7月7日、ECD主催のHIP HOPイベント「さんピンCAMP」が日比谷野外音楽堂にて行われる。約4000人の観客のうち80%は男性。アンダーグラウンドシーン活躍のアーティストたちが大きな舞台を見せつけて成功をおさめ、今では伝説のライブとして語り継がれている。後にビデオ、DVD化された。

1997年

  • DA PUMPがデビュー。それまでの「男性アイドルグループ=ジャニーズ」という常識を覆した。後に著名DJらとのコラボレーションやダンス番組のMCなども果たす。
  • 4月5日、J-WAVEにてRIKOのラジオ番組「Hip Hop Journey -Da Cypher-」が放送開始(2002年3月30日に終了)。

1998年

  • 日本人プロヒップホップダンサーENGIN#9が、世界のブレイクダンスチームの最高峰New York City Breakersの正式メンバーとしてメンバー入り。
  • THA BLUE HERBの『STILLING STILL DREAMING』、Shing02の『緑黄色人種』がリリース。共にアンダーグラウンドのクラシックとして評価され、東京以外の、アンダーグラウンドと呼ばれる層が明確化。

1999年

  • 10月、ZEEBRAとDJ KEN-BOによるTFM系全国27局ネットでのレギュラー番組「BEATS TO THE RHYME」が放送開始。
  • Dragon Ashが登場し、サードアルバム『Viva La Revolution』をドロップ。Dragon Ashのラップミュージックの要素を多く取り入れた作品は、賛否はあれどメジャーシーンにおけるラップミュージックの立場をより強固にした

2000年代

2000年以降、名古屋のM.O.S.A.D.、北海道のTHA BLUE HERB、九州の餓鬼レンジャーなど地方勢のリリースが相次いだ。それぞれが地元愛にあふれた内容となっており、日本語ラップは東京だけのものではないということをアピールした。ダンス番組は「少年チャンプル」、「スーパーチャンプル」などがある。「ダンス甲子園」も2006年に復活した。また、「流派-R」や「Suger Hill Street」など、ヒップホップに焦点を当てた番組も多く出ている。

2000年

  • MCが総勢8名のグループNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDが1stアルバムをリリース。各自のMCの力量もさることながらマイクリレーによって力を発揮する人材が集合し、グループ名を冠した曲「NITRO MICROPHONE UNDERGROUND」は日本のヒップホップ史に残る作品となった。このアルバムを契機に、NITRO人気に火がつき、ソロMCでも次々にメジャーデビューを果たした。彼らはかつてさんピンCAMPでMUROのステージの後ろのいたような、「日本語でいかにラップをするか」と苦心していた世代を見て育ったいわば第二世代であり、この頃から次世代のMC達が着々と頭角を示し出す。
  • DS455が1stアルバム「BAYSIDE RIDAZ」をリリース。同年にメンバーのDJ PMXが手掛けたOZROSAURUSの「AREA AREA」がヒットしたこともあり、それまでの日本のヒップホップにはあまりみられなかったGファンクウエスト・コースト・スタイルと呼ばれるような音楽性が注目を受ける。

2001年

  • KICK THE CAN CREWRIP SLYMEがメジャーデビューを果たし、日本のメジャーシーンにおけるヒップホップの浸透に更に大きく貢献することになる。
  • 横浜のOZROSAURUSが1stアルバム『ROLLIN'045』を発表。高いスキルを示したこのアルバムは、ウェッサイなど問わず日本語ラップ史において重要なアルバムの一つとして扱われている。ロングセラーを記録し、売り上げ枚数8万枚を突破した。

2002年

  • キングギドラが6年ぶりに再始動を宣言。ハードコアラップグループでは異例なヒット(復活後、アルバム「最終兵器」以外すべてトップテンチャート入り)を記録し、社会現象を巻き起こす。特にアルバム収録曲である「公開処刑 feat. BOY-KEN」におけるZEEBRAの降谷建志に対するあからさまなディス(貶し)、K DUB SHINEのRIP SLYME、KICK THE CAN CREWに対する暗喩なディスは話題を呼び、ネット上などで大きな盛り上がりを見せた。この曲は日本のヒップホップ・シーンにおいて最も有名なディス・ソングの一つとして数えられている。
  • Def Jam Japanと契約を交わしたS-WORDの『KROSS OVA -斬-』も高い売り上げを見せた。同レーベルのDABOの『D.A.B.O.』もヒットを記録。DABOやS-WORDら、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDと深いかかわりのあるラップ・グループTHINK TANKがファースト・フル・アルバム『BLACK SMOKER』を発表。ダブレゲエを散りこんだ音楽性、K-BOMBらの独特のヴォーカル・ワークにより、その異能集団ぶりを示した。
  • DJ KENTAROがアジア人初のDMC世界チャンピオンに輝いた。

2003年

  • EAST ENDが再始動。アルバム『Beginning of the Endless』はFG全参加によるマスターピースとなった(その他CRAZY-A、童子-Tらが参加)。
  • K DUB SHINEのATOMIC BOMB PRODUCTIONSが本格的に活動。
  • この頃、アンダーグラウンドが活発化。雑誌「blast」のコーナー「HOMEBREWER'S」から東京のみならず、大阪、福岡などの各地方の多くの優れたアーティストが紹介された。特に、後にKREVARHYMESTERとも共演する韻踏合組合、また妄走族MSCがアルバムをリリースしている。
  • テレビ東京系バスケアニメDEAR BOYSエンディングテーマ"Ballerの章号"でCHRISがデビュー

2004年

  • 伝説的ラップグループ「」が「KAMINARI-KAZOKU.」として、結成後約10年にしてついにアルバムを制作。ミニ・アルバム(「太巻きシングル」)『大災害』、続いて、メジャー1stアルバム『330 ~more answer no question』をリリース。
  • 同年夏、「黒い集団」とも呼ばれる8MCのビッグユニットNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDが再始動を果たし、キングギドラ同様、異例なヒットを叩き出す。
  • 加藤ミリヤのシングル、「Never let go」の同メインの曲となる「夜空」のリミックスではBUDDHA BRANDの三人が参加した。
  • K DUB SHINEの3rdアルバム『理由』収録曲「来たぜ」の歌詞をきっかけにインターネット上を通してDEV LARGEとのビーフ(罵倒)騒動が起きた。また、それぞれ配布された3曲(DEV LARGEの「ULTIMATE LOVE SONG」、K DUB SHINEの「1 THREE SOME」、DEV LARGEのアンサー「前略ケイダブ様」)は後にミックスCDなどでバージョン等を変えて収録されている。
  • KICK THE CAN CREWが活動休止。その後は各々ソロ活動に入る。
  • 妄走族も活動を休止し各々ソロ活動に入る。
  • M.O.S.A.D.を率い、名古屋の代表格であったMC、Tokona-Xが26歳で逝去。死因に関しては様々な憶測が飛んだ。
  • アンダーグラウンド・ヒップホップムーブメントの一角を担う降神がアルバムをリリース。新人で自主でのCDが異例の1000枚を売り上げ、評判となる。特にメンバーの志人はTHA BLUE HERBのILL-BOSSTINO、Shing02と並ぶ天才MCとして注目された。
  • DJ AKAKABEがDMC世界チャンピオンとなる。

2005年

  • DEV LARGEがソロで"D.L"名義として本格的に活動を開始。
  • ZEEBRA、SOSCなどで知られるレーベルFUTURE SHOCKが、都合により停止。
  • 童子-Tが、ATOMIC BOMB PRODUCTIONSから自立という形で円満退社。New York City BreakersのENGIN#9が日本に帰国。
  • この頃より日本のシーンはメインストリームとアンダーグランドシーンが確実に分けられはじめ、転換期にさしかかっている。以前、アンダーなシーンで活躍していた人物達がメインストリームへと乗り換えていく動きが活発化し(RIP SLYMEやZEEBRAなど)、それに並行してアンダーグランドシーンでのムーブメントも活発化をはじめた。実力あるアーティストが増加しシーン全体を底上げするなど、新たな動きが見られ始めた年でもある。MSC、Temple ats(降神)、Da.Me.RecordsSEEDA擁するSCARS勢、black smoker Records、関西では韻踏合組合、R-RATED RECORDSなどが、今も引き続きその一端を形成している。
  • B BOY PARK 2002のMCバトルで優勝したMSCの漢a.k.a.GAMIの主催で、全国規模で行われたフリースタイル・バトル大会ULTIMATE MC BATTLEが開始。優勝はカルデラビスタ。後に大会の模様を収めたDVDが発売される。この大会をきっかけにアンダーグラウンドレベルでフリースタイルをするMCが急増する程の影響力を見せた。

2006年

  • KREVAのセカンドアルバム、『愛・自分博』(2006年2月1日発売)がヒップホップソロアーティストとしては初めてのオリコンウィークリーチャート1位を記録。
  • KREVAに続き、SEAMOのセカンドアルバム『Live Goes On』(2006年9月20日発売)もオリコンウィークリーチャート1位を記録した。SEAMOはこの年のNHK紅白歌合戦出場を果たしている。
  • SOUL'd OUTの初のシングルベスト、『Single Collection』が、ウィーク、デイリー共にオリコン初登場2位という快挙をあげる。
  • DEV LARGEが待望のラップでのソロアルバム『THE ALBUM (ADMONITIONS)』を発表。シーンにその存在感を示す。
  • SEEDA、BESなど、USヒップホップを咀嚼した作品を作り出したSCARS勢が躍進。Pヴァインなどから次々にアルバムをリリースし、大きなプロップスを得た。CONCRETE GREENシリーズというミックスCDという形式での音源発表も話題となる。

2007年

  • RHYMESTERのベストアルバム、『メイドインジャパン〜THE BEST OF RHYMESTER〜』(2007年1月31日発売)がオリコンウィークリーチャート6位を記録。続いて2月に客演コレクション『ベストバウト 〜16 ROUNDS FEATURING RHYMESTER〜』を発売、3月に集大成的ライブKING OF STAGE VOL.7 を日本武道館で敢行、大成功のうちに幕を閉じた。実に結成から18年間を費やした到達で、これまでに客演をしてきたアーティスト達が各年代ごとにバランスよく出演、キングギドラの再結成客演など既存のHIP HOPファンを大いに沸かせると共に、ゴスペラーズ横山剣SUPER BUTTER DOGScoobie Do、Wack Wack Rhythm Band等、他フィールドの有名アーティストを招聘した。
  • 国内唯一のHIP HOP専門誌である「blast」が廃刊。メジャーにおいてヒップホップアーティストの作品の売り上げが不振であり、日本のヒップホップシーンへの逆風が顕著な形になった。
  • THA BLUE HERBが3rd アルバムを発表。また、アルバム直前にリリースしたシングルはオリコンインディーズシングルチャート1位を獲得。
  • D.Obay4k、D-Ask、SHIZOOらが練マザファッカーとして、TBSのバラエティー番組『リンカーン』内のコーナー「世界ウルリン滞在記」に出演し、中川家にラップを指南した。D.Oの語尾に「メーン」をつける独特のしゃべり方が話題を呼んだ。
  • SEEDAがメジャー初となるアルバム「街風」がオリコンアルバムチャート19位を記録。

2008年

  • ヒップホップスタイルで演歌を歌うジェロのデビュー曲『海雪』が、2月にオリコンデイリーチャート4位を記録。『黒人初の演歌歌手』と話題になるが、事実上初のヒップホップ系演歌歌手にもなる。
  • SD JUNKSTAのリーダー、NORIKIYOがメジャーデビューアルバム「OUTLET BLUES」を発表。実話ナックルズでも特集が組まれ、シーンの内外から注目が集まった。同じくSD JUNKSTAのBRON-Kのアルバムもじわじわと評価を獲得し、SD JUNKSTAは日本を代表するクルーの一つとなった。
  • ZEEBRAが音楽活動20周年を記念し、ベストアルバムを発表。武道館での20周年記念ライブも成功させる。このライブには多くのゲストが参加。特に、DEV LARGEは参加しなかったもののさんぴんCAMPで参加しなかったTWIGYも含めて雷家族のメンバーがほぼ揃っての「証言」が披露された。この様子は後に発売されたDVDに収録している。また同時に自叙伝も発売。「降谷建志に対して今は怒りはない」と心境を告白した。
  • MIC JACK PRODUCTIONのリーダー、B.I.G. JOEが2009年の服役終了に先がけて2ndアルバムを発表。2008年を代表するアルバムとなった。
  • NASが来日。武道館公演を行った。

2009年

  • 練マザファッカーのメンバーでCD販売店・BOOT STREETのアルバイトの男が、同店の店舗にて大麻を売ったとされる大麻譲渡事件に関連し、D.Oが実質的に経営する会社・D.Officeに家宅捜索が入り、練マザファッカーのメンバー・PIT GObが大相撲力士・若麒麟真一と共に大麻取締法違反(所持)容疑で逮捕され、後にD.Oも麻薬取締法(コカイン所持・使用)違反容疑で逮捕された。この事件は、大相撲力士が逮捕されたこともありテレビなどのメディアで大きく取り上げられ、D.OやPIT GObも写真付きで報道された。彼らが大麻の使用や麻薬の売買などの犯罪行為を歌う、所謂ギャングスタ・ラッパーだった事もあり、メディアからのバッシングを受けた。
  • SEEDAとGEEKのMC、OKIがTERIYAKI BOYZへのDISソングを発表。その後TERIYAKI BOYZに属するVERBALが自身のポッドキャスト番組にSEEDAを招き、話し合いが行われた。一連の事件をSEEDAが発表した曲名からTERIYAKI BEEFと呼ばれる。
  • MSCのMCであるGUNNIESがSEEDAに対するDisソングを発表。これに対しSEEDAもブログでアンサーソングを発表した。Amebreakではこれを『一連のディス曲に関する是非はともかく、日本語ラップに関するビーフがここまでスピーディに展開するようになったのは特筆すべき事実』とコメントした。
  • Da.Me.Recordsに属していた、COMA-CHITARO SOULKEN THE 390がメジャーデビューする。KEN THE 390は青山テルマとシングルを発表しミュージックステーションに出演。

ヒップホップを取り扱った主なテレビ番組

死去した日本のヒップホップ関連人物

関連項目

最終更新 2009年11月20日 (金) 15:09 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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