日本の廃止・休止競馬場一覧
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日本の廃止・休止競馬場一覧(にっぽんのはいし・きゅうしけいばじょういちらん)は現在廃止または休止されている日本の競馬場をまとめたものである。
所在地名は廃止当時の地名で呼称。廃止年は原則として最終開催年で記述しているが、最終開催年と廃止年が異なる場合は廃止とされた年を廃止年とする。
目次 |
[編集] 概説
本項では中央競馬における廃止(または休止)された競馬場と地方競馬における廃止(または休止)された競馬場について述べているが、中央競馬は1954年の競馬法改正により新たに発足した「国営競馬」を礎としており、地方競馬とは運営主体も設立の経緯も異なるため、それぞれ分けて分類している。歴史的経緯などについては、次節で詳述する。
[編集] 日本競馬の歴史について
本節では、日本における競馬の歴史をまとめる[1]。
そもそも日本の競馬というとき、「続日本紀」に記載されている701年の競馬や、賀茂の競べ馬(くらべうま)、織田信長の安土馬揃え等の記録や、相馬野馬追い等の無形文化財など一部を除き、ほとんどが民俗の中に埋もれている。このような民俗的競馬の一方、別の競馬の系譜として、幕末期に外国人居留地において行われた「洋式競馬」の系譜がある[2]。ただし、「洋式競馬」の明確な定義(馬券発売を伴うことか、或いは単に洋式馬具で行われることか)は定かではない。いずれにせよ、日本人による「洋式競馬」は1870年に東京招魂社(靖国神社)で初めて行われた[3]という記録があり、その後は各地で「洋式競馬」が開催されたという。
馬券発売を伴う競馬が確認されるのは、政府の黙認のもとに1906年に開催された池上競馬場の競馬である。同年に制定された「競馬開催ヲ目的トスル法人ノ設立ニ関スル件」により、根岸・池上・目黒・川崎・板橋・松戸・函館・宮崎・鳴尾・札幌・京都・小倉・新潟・藤枝に競馬会が設立された[4]これらの競馬会は、後に函館・札幌・新潟・松戸・東京・日本レース・藤枝・京都・阪神・小倉・宮崎の11倶楽部に再編された。これが中央競馬の源流である。しかし、明治41年(1908年)制定の新刑法により、馬券の発売は賭博禁止(正確には富くじ禁止)に抵触することとなった。しかし軍馬改良のために競馬が求められたため、施設管理や賞金に対して補助金を交付する形態で競馬は存続され、競馬規程が制定された。競馬規程では、競馬は民法第34条による競馬会でなければ開催できないこと、ただし祭典等に際して専ら娯楽のためにするもはこの限りでない旨規定された。この民俗的競馬としての祭典競馬が地方競馬の源流である。因みに祭典競馬の概要を「大井競馬のあゆみ」から抜粋[5]すると、
- 神社の境内、あるいはその付近の耕作路で行う。
- 出走馬は毎回200~300頭の多数に達する。
- 農馬の大多数は競馬に出す。熱心家は競馬専門の馬を飼養する。
- 騎手はなるべく小格の者で、10歳前後の子供を乗せる。
- 賞品は物品を用いる。
というものであった。
後の中央競馬に至る競馬は、1923年に補助金の交付による財政負担を軽減するために競馬法を制定し、全国11の競馬倶楽部[6]に対して馬券発売を伴う競馬開催が特許され、1936年の競馬法改正により、これらの競馬倶楽部が統合されて「日本競馬会」となり、1948年の新競馬法制定に至る。
一方、先に述べた1908年制定の競馬規程は1910年に改正され、産牛馬組合(後の畜産組合)による競馬開催が認められた。これが今日に直接つながる地方競馬の原点である。この競馬では馬券の発売が認められていなかったものの、投票券付きの入場券を販売し、勝馬投票の的中者に景品を交付するというような、いわば「脱法的行為」が行われていたため、1927年に地方競馬規則が制定され、公式に馬券の発売が認められた。1939年には軍馬資源保護法が制定されたことにより地方競馬規則に基づく競馬が廃止され、「地方競馬」の主催者は軍用馬保護鍛錬中央会に移った(後の日本馬事会)。軍馬資源保護法は1945年の敗戦とともに廃止され、翌1946年に地方競馬法が制定され馬匹組合連合会及びそれが構成する中央馬事会による競馬が開催されるまでの間は、いわゆる「ヤミ競馬」が開催された。
戦後、GHQ指令による財閥解体・独占禁止の流れの中で、競馬主催者を政府の特許付与団体としていることが問題視されたため、1948年に現行の競馬法が制定され、旧競馬法による「日本競馬会」主催競馬は国が主催する「国営競馬」(現在の日本中央競馬会が主催する「中央競馬」)、地方競馬法による「馬匹組合連合会」主催競馬は地方公共団体が主催する「地方競馬」と区別した。
本項では、上記の「中央競馬」に至る流れの競馬場を「中央競馬場」、「地方競馬」に至る流れの競馬場を「地方競馬場」と呼称する場合がある。
[編集] 廃止・休止された中央競馬の競馬場
中央競馬を開催する競馬場は、競馬法により「12場以内」と定められている。
そのうち、競馬法施行規則で指定されている競馬場は現在使用中の10場。残りの2場は、横濱競馬場と宮崎競馬場が指定されていた。
- 松戸競馬場:中山競馬場に移転、廃止。
- 目黒競馬場(東京都目黒区):1933年廃止(当時の主催者は東京競馬倶楽部)、東京競馬場に移転。
- 鳴尾競馬場(兵庫県西宮市):旧・阪神競馬場。1943年廃止(当時の主催者は日本競馬会)、新・阪神競馬場に移転。
- 横濱競馬場(神奈川県横浜市中区):別名・根岸競馬場。1942年まで開催(当時の主催者は日本競馬会)、1994年廃止。
- 宮崎競馬場(宮崎県宮崎市):1943年まで開催(当時の主催者は日本競馬会)、1994年廃止。
[編集] 戦後に廃止・休止された地方競馬の競馬場
戦後廃止、もしくは休止された地方競馬の競馬場が廃止に至った経緯は、概ね3つに大別される。
- 第二次世界大戦中は戦局の悪化とともにすべての競馬が休止されていたが、戦後1946年に地方競馬法が制定されるまで闇競馬が行われていたものの、その後は競馬を開催していない競馬場
- 地方競馬法に基づく馬連競馬[7]が行われたが、その後は競馬を開催していない競馬場
- 1948年に制定された現行競馬法に基づき指定された地方競馬場で、その後の事情により指定を取り消された競馬場
また、競馬法に基づく地方競馬場が廃止された経緯も、概ね3つに大別される。
- 地方競馬の競馬場は、競馬法で「北海道は6場以内、その他の都府県は2場以内」とされており、当該地域に競馬場が新設されたことに伴い、法定数を超えたため廃止された競馬場[8]
- 1954年、競馬法施行令が改正され「地方競馬場は1周1000m以上」とされたことにより、コースが規格に適合しないため廃止された競馬場[9]
- 売得金の減少などの要因による経営の悪化などの事情により、主催者が撤退した競馬場
上記のいずれにも当てはまらないものとして、下記の様なケースも見られる。
- 地方自治体の首長選挙で、主に主婦・教育関係者などをターゲットとした集票を目的に「競馬場廃止」の選挙公約を掲げた立候補者が、当選後にそれを実行したために、黒字経営ながら廃止された競馬場(仙台競馬場)
- 地域の馬資源の枯渇などから必要数の競走馬が確保できなくなり、廃止を余儀なくされた競馬場(宮崎競馬場)
[編集] 北海道地方
北海道の地方競馬は、道営競馬(現・ホッカイドウ競馬)と市営競馬(現・ばんえい競馬)の2本立てで開催している。北海道における地方競馬開催成績に関する資料は、競馬場ごとの開催成績と主催者ごとの開催成績しか確認できず、各競馬場ごとの主催者別開催成績が把握できないため、単に「地方競馬」としてまとめている。
詳細は「競馬の歴史 (北海道)」を参照
- 小樽競馬場(北海道小樽市銭函二丁目周辺[10])1948年開設、1953年廃止。21回の地方競馬が開催された。跡地はゴルフ場となっている。
- 室蘭競馬場(北海道室蘭市東3丁目周辺[11])1948年開設、1953年廃止。12回の地方競馬が開催された。
- 函館競馬場(北海道函館市)1997年廃止[12]。1955年度から1991年度まで中央競馬と地方競馬を併催。門別競馬場が開設されたことに伴い、地方競馬の開催を廃止。中央競馬は現在も引き続き開催している。
- 岩見沢競馬場(北海道岩見沢市日の出町。旧岩見沢競馬場は岩見沢市東14丁目付近[13])そもそもは1893年同市鳩が丘に開設と伝えられる。2006年休止。1997年まで道営競馬と岩見沢市営競馬(ばんえい競馬。後に北海道市営競馬組合[14]営)を併催。その後は2006年まで北海道市営競馬組合営競馬を開催していた。
- 北見競馬場(北海道北見市若松。旧北見競馬場は北見市東陵町、現東陵公園[15])1947年、地方競馬法に基づく地方競馬場として開設、2006年休止。休止後はばんえい競馬・ホッカイドウ競馬の場外発売所として利用していたが、新場外発売所「ミントスポット北見」に移転するため2009年6月29日で発売を終了した。2006年まで北見市営競馬(ばんえい競馬。後に北海道市営競馬組合営)を開催していた。
- 旭川競馬場(北海道旭川市神居町上雨粉。旧旭川競馬場は、同市花咲町、現花咲スポーツ公園[16])そもそもは1911年に皇太子の台覧のための競馬場として開設されたと伝えられる。2008年休止。2006年まで道営競馬と旭川市営競馬(ばんえい競馬。後に北海道市営競馬組合営)を併催。その後は2008年までホッカイドウ競馬を開催していた。
[編集] 東北地方
詳細は「競馬の歴史 (東北地方)」を参照
- 青森競馬場(青森県東津軽郡横内村。現在の青森市佃二丁目・三丁目周辺[17])1896年開設の野辺地競馬場から1932年に移転開設(旧青森競馬場)。同年春秋各3日開催後、休催。(新)青森競馬場は、1935年開設。1937まで延べ12日間開催後、休催。1939年軍馬資源保護法施行に伴い、廃止。1948年、(新)競馬法に伴い再度開設、1951年廃止。1949年から1951年まで、延べ12回の青森県営競馬が開催された。跡地は現在住宅地となっているが、道路に当時の馬場形態を残している。
- 八戸競馬場(青森県三戸郡館村。現在の八戸市根城周辺[18])1910年競馬規程の改正により、産牛馬組合等の競馬実施が認められると同時に開設(旧八戸競馬場)。1927年地方競馬規則施行にあわせて根城の(新)競馬場に移転。1939年軍馬資源保護法施行により、廃止。1948年、(新)競馬法に伴い再度開設、1951年まで開催、1954年廃止。1948年から1951年まで、延べ6回の青森県営競馬が開催された。
- 仙台競馬場(宮城県仙台市太白区東郡山周辺[19])仙台競馬場の前史は長い。この地に移転し開設されたのは、1931年である。その後、軍馬資源保護法の施行に伴い廃止、新競馬法の施行に伴い、再度開設。1959年まで開催、1960年廃止。1948年から1959年まで、延べ43回の地方競馬が開催された。宮城県内では1948年度から1951年度まで宮城県営競馬、1949年度から1959年度まで仙台市営競馬、1951年度と1954年度から1959年度まで石巻市営競馬が開催された。
- 石巻競馬場(宮城県石巻市南浜町周辺[20])1931年開設。陸軍演習地となり、1937以降休催、廃止。1923年再開設。1959年廃止。1948年から1959年まで延べ24回の地方競馬が開催された。
- 秋田競馬場(秋田県秋田市)1948年開設、1953年まで開催、1954年廃止。1948年から1953年まで延べ14回秋田県営競馬が開催された。その所在地の詳細は不明である。[21]
- 大館競馬場(秋田県北秋田郡上川沿村。現在の大館市餅田周辺[22])1948年開設、1953年まで開催、1954年廃止。当時としては珍しいスパイラルカーブの五角形の競馬場であった。1948年から1953年まで、延べ15回秋田県営競馬が開催された。
- 米沢競馬場(山形県南置賜郡万世村。現在の米沢市八幡原周辺[23])1948年に山形県営競馬が1回開催されたがその後休止され、1954年廃止。
- 上山競馬場(山形県上山市金瓶[24])1935年に地方競馬規則に基づく競馬が開始された以前にも、競馬が行われていたといわれ、開設年不明。競馬規程に基づく競馬場であった可能性もあり、また、地方競馬規則、軍馬資源保護法に基づく競馬場であり、かつ、1947年8月18日再開とあることから、開催されたか否かは不明としても地方競馬法に基づく競馬場としても存在したこととなり、更に競馬法に基づく地方競馬場につらなって、移転もなかったという希有の競馬場である。2003年廃止。1948年から1957年まで山形県営競馬が、1956年から2003年度まで上山市営競馬が開催された。現在は地方競馬の場外発売所「ニュートラックかみのやま」。
- 福島競馬場(福島県福島市)1948年廃止。福島県内では以下の「郡山競馬場」と「若松競馬場」で1949年から地方競馬が開催されており、競馬法の「同一県内に地方競馬場は2場以内」という規定が当時よりあることから、競馬法に基づく地方競馬は開催されていない。現・競馬法制定以前の地方競馬法による馬連競馬が1947,48年に延べ6回、36日間開催された。中央競馬は現在も開催している。
- 郡山競馬場(福島県郡山市開成山公園周辺[25])旧・開成山競馬場。1904年開設、1956年廃止。軍馬資源保護法に基づく鍛錬馬競走も行われた。福島県営競馬が1949年から1951年まで、郡山市営競馬が1950年から1956年まで、合計21回の地方競馬が開催された。
- 若松競馬場(福島県北会津郡一箕村。現在の会津若松市山見町周辺[26])旧・会津競馬場。1929年開設、軍馬資源保護法の施行により廃止。1949年再開設、1950年廃止。1949年・1950年の2年間に延べ5回の福島県営競馬が開催された。
[編集] 関東地方
- 取手競馬場(茨城県北相馬郡取手町。現在の取手市白山周辺[27])1917年開設の結城競馬場から1936年に移転開設。軍馬資源保護法に基づく競馬場経て、1949年廃止。1948年・1949年に延べ4回の地方競馬が開催された。跡地は取手競輪場となっており、コースは現在の駐車場付近にあたる。競輪場の外には、現在も馬頭観世音が残されている。茨城県内では、茨城県営競馬が1948年度から1958年度まで、日立市営競馬及び水戸市営競馬が1949年度に、茨城県三市競馬組合(日立市、水戸市及び古河市で構成)営競馬が1953年度・1954年度に開催されている。
- 古河競馬場(茨城県猿島郡古河町。現在の古河市北町周辺[28])1928年開設の高萩競馬場が前身。同競馬場は1934年水戸競馬場に移転、更に1938年に水戸競馬場から移転開設。軍馬資源保護法の施行に伴い廃止。1947年、地方競馬法に基づき再開設。1959年廃止。1948年から1959年まで、延べ50回の地方競馬が開催された。
- 宇都宮競馬場(栃木県宇都宮市西川田[29])1933年開設。軍馬資源保護法に基づく鍛錬馬競走を経て、1948年から地方競馬を実施。2005年廃止。
- 足利競馬場(栃木県足利市五十部町。旧足利競馬場は同市岩井町[30])1930年開設。開設当時の足利競馬場は足利群山辺町(現足利市)。軍馬資源保護法の施行により廃止。1948年(旧)足利競馬場を再開設、1969年(新)足利競馬場に移転。2003年廃止。跡地は五十部運動公園となっているほか、2011年に足利赤十字病院が開院予定。
- 高崎競馬場(群馬県高崎市岩押町[31])高崎競馬場の沿革は競馬規程制定前に遡るという。現位置に競馬場が建設されたのは1937年、翌年、競馬規程に基づく競馬の実施が許可されたという。その後、地方競馬規則、軍馬資源保護法に基づく競馬を開催。1948年競馬法に基づく地方競馬を開催。2004年廃止。現在は場外発売所「BAOO高崎」として使用。コースは舗装されて駐車場として利用しているほか、内馬場は公園となっている。中央競馬の場外発売も行っている。
- 粕壁競馬場(埼玉県北葛飾郡幸松村。現在の春日部市小渕周辺-現在は米久春日部工場[32])1940年軍馬資源保護法に基づく競馬場として開設。その後地方競馬法に基づく競馬場として1946,47年に合計4開催24日間開催。1947年廃止。競馬法に基づく地方競馬は開催されず、浦和競馬場へ移転した。
- 柏競馬場(千葉県東葛飾郡柏町。現在の柏市豊四季台団地周辺[33])千葉市外椿森にあった競馬規程に基づく競馬場が、1928年地方競馬規則に基づく競馬場として移転開設。軍馬資源保護法に基づく競馬場を経て、1949年競馬法に基づく競馬場として再開設。柏競馬場では1949,50年途中までに千葉県営競馬及び千葉市営競馬を7回開催後、船橋競馬場に移転。1952年廃止。
- 八王子競馬場(東京都八王子市高倉町周辺[34])1928年小宮村西中野(現八王子市中野上町付近)に開設。1935年移転。軍馬資源保護法に基づく鍛錬馬場を経て、1948年競馬法に基づく地方競馬場となる。1949年廃止。大井競馬場へ移転して現在も開催している。移転後は「八王子牧場」として利用され、特別区競馬組合による大井競馬の抽せん馬の育成や関東地方競馬組合による騎手の育成等が行われていた。その後、騎手の育成は1962年に競馬法が改正されて新設した地方競馬全国協会に引き継がれ、八王子牧場も1965年に千葉県印西市へ移転し、小林牧場(現、大井競馬場小林牧場分厩舎)となった。跡地は現在団地や宅地が広がっているほか、一部は首都大学東京の施設となっている。
- 戸塚競馬場(神奈川県鎌倉郡戸塚町。現在の横浜市戸塚区吉田町周辺)1950年川崎競馬場に移転廃止。向正面が凹んだ特異な形態の競馬場であった[35]。1948年から1950年まで神奈川県営競馬・横浜市営競馬・川崎市営競馬・平塚市営競馬が延べ16回開催された。跡地は日立製作所などとなっている。
[編集] 中部地方
- 新潟競馬場(新潟県豊栄市。現在の新潟市北区。中央競馬と共用)2002年廃止。新潟県内では1948年度から新潟県営競馬及び長岡市営競馬が、1951年度から新潟市営競馬が、1952年度から大島村営競馬(その後合併により三条市営競馬)が1965年度まで行われ、1965年度からは新潟県競馬組合(新潟県・長岡市[36]・新潟市・三条市及び豊栄市で構成)営競馬が開催されていた。
- 三条競馬場(新潟県三条市)2001年まで開催、2002年廃止。現在は南関東競馬の場外発売所
- 高岡競馬場(富山県高岡市下黒田周辺[37])1953年廃止。1948年から1950年まで富山県営競馬が延べ4回開催された。
- 小松競馬場(石川県小松市末広町周辺[38])1953年廃止。1948年・1949年に石川県営競馬が延べ2回開催された。
- 福井競馬場(福井県福井市文京周辺[39])1961年廃止。1948年から1961年まで延べ76回の地方競馬が開催された。福井県内では1948年度から1954年度まで福井県営競馬が、1948年から1961年まで福井市営競馬が開催された。
- 大野競馬場(福井県大野郡大野町。現在の大野市奥越ふれあい公園周辺[40])1950年廃止。1948年から1950年まで延べ3回の地方競馬が開催された。
- 甲府競馬場(山梨県中巨摩郡玉幡村。現在の甲斐市)1946年廃止。戦後は登録のみで競馬法に基づく地方競馬は開催されなかった。
- 富士競馬場(山梨県南都留郡忍野村、山中湖村[41])1948年廃止。1948年に山梨県営競馬が1回開催された。山梨県内では甲府市も開催権を持っていたが、競馬は開催されなかった。
- 松本競馬場(長野県南安曇郡豊科町。現在の安曇野市たつみ原区周辺[42])1956年廃止。1950年から1956年まで、延べ19回の地方競馬が開催された。長野県内では1948年度から1951年度まで長野県営競馬が、1949年度と1952年度から1955年度まで飯田市営競馬が、1951年度から1956年度まで高家村営競馬(その後町村合併により豊科町営となる)が開催された。
- 上諏訪競馬場(長野県諏訪市清水三丁目周辺[43])1960年廃止。1948年から1960年まで(1957年は休止)、延べ24回の地方競馬が開催された。
- 北方競馬場(岐阜県本巣郡真桑村。現在の本巣市三橋三丁目周辺[44])1954年廃止。1948年から1949年、1952年から1954年まで延べ5回の地方競馬が開催された。
- 三島競馬場(静岡県駿東郡長泉村。現在の長泉町天神原、竹原周辺[45])1955年廃止。1948年度から1954年度まで静岡県営競馬が、1948年度・1949年度・1954年度に沼津市営競馬が、1948年度、1949年度に清水市営競馬が、1949年度に静岡市営競馬が、1958年度・1959年度に長泉村営競馬が、延べ34回開催された。おむすび型のコースが特徴であった。
- 岡崎競馬場(愛知県岡崎市羽根町周辺[46])1953年廃止。1948年から1953年まで、延べ20回の地方競馬が開催された。廃止後は中京競馬場へ移転して開催していたが、中京競馬場での地方競馬開催は2002年以降休止している。なお、中京競馬場では中央競馬が引き続き開催している。
[編集] 近畿地方
- 霞ヶ浦競馬場(三重県四日市市霞ヶ浦緑地[48])1954年廃止。跡地は四日市ドーム・四日市競輪場となっている。1948年から1951年まで延べ30回の地方競馬が開催された。三重県で地方競馬の開催権を持っていたのは、三重県・四日市市・宇治山田市・桑名市及び津市で、各市は一部事務組合を構成し(津市は1949年に開催権を得て後から加入)、県営競馬及び組合営競馬を開催していた。
- 草津競馬場(滋賀県栗太郡治田村。現在の草津市大路町周辺[49])1954年廃止。滋賀県営競馬が1948年から1951年まで、延べ9回開催された。
- 京都長岡競馬場(京都府乙訓郡長岡町。現在の長岡京市竹の台周辺[50])別名・長岡競馬場。1957年廃止。1948年から1956年まで京都府営競馬と一部事務組合[51]営競馬を延べ70回開催していた。
- 大阪競馬場(大阪府東住吉区)別名・長居競馬場。1959年廃止。現在は長居公園[52]。1948年から1959年まで、延べ168回の地方競馬が開催された。
- 春木競馬場(大阪府岸和田市)1974年廃止。跡地は現在の岸和田中央公園。[53]春木競馬場における地方競馬開催実績は、元データが途中で暦年から年度に変わっているため、不詳。なお、大阪府内で地方競馬の開催権を持っていたのは、大阪府、大阪市、堺、布施、豊中、貝塚、吹田、守口、岸和田、八尾、池田、泉大津、泉佐野、寝屋川、富田林、高槻、茨木、枚方の各市で、堺以下の各市は、直営、また、幾度かの変遷を経た組合営競馬を実施していた。
- 淡路競馬場(兵庫県三原郡市村。現在の南あわじ市青木周辺[54])1949年廃止。1930年に一度廃止し園田競馬場に移転。1947年に再開したが、競馬法の「同一県内に地方競馬場は2場以内」という規定により姫路競馬場へ移転した。跡地は一部が「三原健康広場」となっている。
- 奈良競馬場(奈良県奈良市西大寺山陵町周辺[55])1954年廃止。跡地は一部が奈良競輪場になっている。2コーナーから3コーナーにかけてコースの痕跡が残っている。また、釣り鐘型の特徴のある馬場であった。奈良競馬場では、1948年から1950年まで、8回の奈良県営競馬が開催された。
- 紀三井寺競馬場(和歌山県和歌山市紀三井寺周辺[56])1988年廃止。跡地は和歌山県立医科大学病院。その囲周道路は往時の馬場形態である。紀三井寺競馬場では1948年から1988年度まで和歌山市営競馬が開催されたほか、1948年・1949年・1951年-1958年・1968年-1988年度まで和歌山県営競馬が、1949年-1958年・1960年-1971年度まで新宮市営競馬が、1949年-1967年度まで海南市営競馬及び田辺市営競馬(1951年からは組合営)が、1954年-1967年度まで御坊市営競馬(1955年からは組合営)が開催された。
[編集] 中国地方
- 米子競馬場(鳥取県米子市皆生温泉四丁目周辺[57])別名皆生競馬場。1953年廃止。米子競馬場では1948~50年に、3回の鳥取県営競馬が開催された。
- 出雲大社競馬場(島根県出雲市朝山周辺[58])1951年廃止。跡地は自衛隊駐屯地。出雲大社競馬場では、1949年に3回の島根県営競馬が、51年に1回6日出雲市営競馬が開催された。
- 益田競馬場(島根県益田市高津周辺[59])2002年廃止。現在は南関東競馬の場外発売所として利用。益田競馬場では、1948~50年度に8回の島根県営競馬が、1951年から2002年(1958年は非開催)に益田町営競馬及び益田市営競馬が開催された。
- 岡山競馬場(岡山県岡山市江並)1958年廃止。跡地は現在工業用地・グラウンド[1]となっている[60]。1953年までは原尾島の百間川河川敷跡に存在し、現在は原尾島住宅となっている。原尾島にあった岡山競馬場(旧)[61]では、1948~53年までに32回の岡山県営競馬及び岡山市営競馬が、江並にあった岡山競馬場(新)[62]では、1953年~58年までに41回の岡山県営競馬及び岡山市営競馬が開催された。
- 五日市競馬場(広島県佐伯郡五日市町。現在の広島市佐伯区五日市南5、6丁目。現造幣局用地又はその南側[63])1949年廃止。五日市競馬場では、競馬法に基づく地方競馬は開催されないまま、福山競馬場に移転廃止となった。なお、現在福山競馬場では福山市営競馬のみが行われているが、かつては、広島県営競馬、広島市営競馬及び呉市営競馬も開催されていた。
- 下関競馬場(山口県下関市小月小島1丁目周辺[64])別名小月競馬場。1950年柳井競馬場から移転開設。ただし、この競馬場そのものは戦前から存在したが、競馬法施行当時は米軍に接収されていて、地方競馬場としての指定が受けられなかっため、やむなく柳井競馬場を新設して地方競馬を実施し、返還後、再設したという。1963年廃止。その開催規模は、元データが途中で暦年から年度に変更されているため、不詳。なお、山口県内では、山口県営競馬が1948~58年度まで、下関市営競馬が1948~63年度まで、宇部市営競馬が1948~57年度まで、岩国市営競馬が1948~58年度まで、徳山市営競馬が1949~58年度まで開催された。
- 柳井競馬場(山口県玖珂郡柳井町。現在の柳井市柳井周辺[65]。)1949年下関競馬場に移転廃止。跡地は、山陽オートレースの前身である柳井オートレース場になったという。そのコースは基本的に競馬場のコースを使用したと言われている。柳井競馬場では、1948、49年に延べ3回の地方競馬が開催された。
- 宇部競馬場(山口県宇部市際波周辺[66])1954年廃止。宇部競馬場では、1948~53年まで、延べ40回地方競馬が開催された。
[編集] 四国地方
詳細は「競馬の歴史 (四国地方)」を参照
- 徳島競馬場(徳島県徳島市)1955年廃止。所在地不詳。公開されている当時の航空写真[67]は1947年撮影のあとは1961年撮影のものまでない。両者からは、徳島市北田宮4丁目の現徳島北高校と徳島市場内の徳島城の山下から合同庁舎のあたりにかけての2カ所に馬場様の形状がみられる。ただし、いずれも規模が小さいが、徳島競馬場の廃止年と地方競馬場の1周1000mという規制の施行時期及び他に近辺の航空写真を見ても、馬場状の画像が発見できないことから、このいずれかであると考えられる。徳島競馬場では1948年~55年までに延べ50回の地方競馬が開催された。なお、徳島県内では1948~53年度まで徳島県営競馬が、1948~55年度まで徳島市営競馬が、1949年度~川内村営競馬が同村が徳島市に併合されるまで、1952年度に鳴門市営競馬が開催された。
- 鳴門競馬場(徳島県鳴門市)1953年廃止。所在地不詳。当時の航空写真から、それと思われるものは、現鳴門競艇場周辺及び鳴門市里浦町里浦地区であるが、判然としない。鳴門競馬場では、1948~50,52~53年に延べ7回の地方競馬が開催された。
- 高松競馬場(香川県香川郡弦打村。現在の高松市郷東町[68])1954年廃止。現在は香川県警察本部運転免許センターなど。変則6角形の極めて特異な競馬場であった。高松競馬場では、1948~54年に25回の香川県営競馬、高松市営競馬、弦打村営競馬が開催された。廃止時には村営競馬のみが開催されていた。
- 三津浜競馬場(愛媛県松山市春美町・辰巳町[69])周辺道路の一部に当時の馬場形状を残している。1955年廃止。三津浜競馬場では、1948~55年までに延べ34回の愛媛県営競馬及び今治市営競馬が開催された。
- 長浜競馬場(高知県高知市長浜[70]。現高知競馬場も高知市長浜宮田にあるが、その山下の桂浜に近いところに長浜競馬場はあった。)1950年旧高知競馬場(別名桟橋競馬場。高知市桟橋通6丁目[71])に移転廃止。旧高知競馬場は、1985年に現高知競馬場に移転廃止。長浜競馬場では、1948,49年に延べ8回の地方競馬が開催された。高知県で開催権を持っていたのは、高知県及び高知市(現在は両者で一部事務組合を構成)並びに岡豊村(のち南国市)、大津村、高岡町・新居村(のち共に土佐市)、春野村、日高村及び窪川村で、これらの村は一部事務組合を構成して競馬を開催していた。形態のうえでは、高知県及び高知市も、1967年12月からその一部事務組合に加盟し、その後開催権を失った村等が組合から脱退したといものである。
[編集] 九州地方
- 八幡競馬場(福岡県八幡市。現在の北九州市八幡西区本城[72])1956年廃止。八幡競馬場では、1950~56年までに延べ69回の地方競馬が開催された。福岡県で開催権を持っていたのは、福岡県、大牟田市、久留米市、福岡市、門司市、八幡市、福間町、遠賀村、西川村・古月村・剣町(これら2村1町は後に鞍手町)で、遠賀村以下は一部事務組合を構成(福間町も後に加入)して競馬を開催していた。
- 福間競馬場(福岡県宗像郡福間町。現在の福津市西福間4丁目[73])1959年廃止。福間競馬場では、1948~54、57~59年に延べ66回の地方競馬が開催された。
- 諫早競馬場(長崎県諫早市小船越町[74])1954年廃止。跡地は、県立総合運動公園。諫早競馬場では、1948~54年に19回の長崎県営競馬が開催された。
- 山鹿競馬場(熊本県鹿本郡三玉村。現在の山鹿市三玉信田周辺[75])1948~52年まで6回の地方競馬が開催された。熊本県・三玉村がそれぞれ開催、1954年廃止。
- 別府競馬場(大分県別府市野口原総合運動場[76])1948~50年まで5回の大分県営競馬が開催された。1954年廃止。野口原総合運動場の外周は、当時の競馬場の形態を残している。大分県では、大分県営競馬が1948~51,53~54年度及び56年4月から11月まで、今津町(後に、中津市に合併)営競馬が1954年度に、中津市営競馬が1952年度~56年11月まで、それぞれ開催され、1956年12月からは大分県と中津市で構成する一部事務組合が中津競馬廃止まで競馬を開催した。
- 中津競馬場(大分県中津市[77])1949年から2001年の廃止まで、地方競馬が開催された。跡地は現在の大貞総合運動公園。
- 宮崎競馬場(宮崎県宮崎市現JRA宮崎育成牧場[78])1946年から1948年まで宮崎県畜産組合連合会、1948年から1962年度まで宮崎県・宮崎市がそれぞれ開催。1963年廃止。宮崎県内では、宮崎県営競馬が1948~1962年度まで、宮崎市営競馬が1949~1962年度まで、都城市営競馬が1948~1961年度まで、延岡市営競馬が1950,51年度に開催された。なお、宮崎競馬場における開催規模は、1961年までが暦年、1962年が暦年と年度で整理されているため、不詳である。
- 都城競馬場(宮崎県都城市早水町周辺[79])1961年廃止。都城競馬場では、1948~61年に延べ28回の地方競馬が開催された。
- 鹿児島競馬場(鹿児島県鹿児島市真砂本町周辺[80])1956年廃止。鹿児島競馬場では1948~56年までに35回の地方競馬が開催された。鹿児島県内では、鹿児島県営競馬が1948~58年度まで、鹿児島市営競馬と川内市営競馬が1948~50年度まで、枕崎市営競馬が1950年度に、鹿屋市営競馬が1949~57,59~62年度に開催された。
- 鹿屋競馬場(鹿児島県鹿屋市旭原町周辺[81])1962年廃止。鹿屋競馬場では、1949~62年に延べ32回の地方競馬が開催された。
[編集] 戦前に廃止・休止された地方競馬場
戦前に開催され、1939年の軍馬資源保護法の施行に伴い廃止された競馬場は数多い。ここでは主な競馬場を取り上げる。
- 根室競馬場 - 北海道根室市
- 釧路競馬場 - 北海道釧路市
- 花巻競馬場 - 岩手県花巻市
- 荒川沖競馬場 - 茨城県稲敷郡朝日村(現・土浦市)
- 市川競馬場 - 千葉県市川市
- 陸軍戸山学校競馬場 - 東京都新宿区
- 上野不忍池競馬場 - 東京都台東区 1884年から1892年の間、上野恩賜公園の不忍池を埋め立てて開催していた。
- 焼津競馬場 - 静岡県焼津市
- 各務原競馬場 - 岐阜県各務原市
- 養老競馬場 - 岐阜県養老郡養老町
- 阿漕ヶ浦競馬場 - 三重県津市
- 大阪八尾競馬場 - 大阪府八尾市
- 明石競馬場 - 兵庫県明石市
- 浜田競馬場 - 島根県那賀郡浜田町(現・浜田市)
- 西大寺競馬場 - 岡山県上道郡西大寺(現・岡山市)、吉井川の河川敷[2]に1周800mの走路があった。現在は向州公園となっている。
- 倉敷競馬場 - 岡山県倉敷市、現在は倉敷平成病院、岡山県立倉敷工業高等学校、倉敷市立老松小学校、老松幼稚園、老松保育園などの用地となっており、走路跡がほぼそのまま道路として利用されている。[3]
- 吉野川競馬場 - 徳島県板野郡川内村(現・徳島市)
- 三芳競馬場 - 愛媛県周桑郡三芳村(現・西条市)
- 大村競馬場 - 長崎県大村市
- 宇佐競馬場 - 大分県宇佐市
- 鹿屋競馬場 - 鹿児島県鹿屋市
- 南薩競馬場 - 鹿児島県川辺郡川辺村勝目(現・南九州市)。[4]
[編集] 参考文献
- 「廃競馬場巡礼」(2006年3月 東邦出版、ISBN 4809405176)
- 『地方競馬史』第一巻 地方競馬全国協会 1972年
- 『地方競馬史』第二巻 地方競馬全国協会 1974年
- 『地方競馬史』第三巻 地方競馬全国協会 1972年
- 『大井競馬のあゆみ』 特別区競馬組合 2001年
[編集] 出典・脚注
- ^ 以下、主として「よくわかる競馬のしくみ」競馬制度研究会1992年及び「大井競馬のあゆみ」による。
- ^ その濫觴は1861年横浜において開催されたとされる。当時の横浜の外国人居留地の背後の水面を埋め立てて造成され(アーネスト・サトウ「一外交官の見た明治維新」<岩波文庫>)、現在の横浜中華街あたりといわれている。
- ^ 1周約1マイル。コーナーがきつく、多くの落馬があったという。(萩原延壽「遠い崖-アーネスト・サトウ日記抄8」<朝日文庫>)
- ^ このほかに小山も認可はされたが、1908年に馬券発売が禁止されたため、設立されなかった。
- ^ 「大井競馬のあゆみ」の記述は、「全国地方競馬沿革誌」(1939年、帝国馬匹協会)からの抜粋である。「地方競馬史」第一巻の地方競馬場の沿革も、この沿革誌によっている。以下の記述は、原典である「全国地方競馬沿革誌」に当たることなく、「大井競馬のあゆみ」及び「地方競馬史第一巻」よっている。従って、「大井競馬のあゆみ」及び「地方競馬史第一巻」の記述については、これをそのまま受け入れるのではなく、歴史学における資料批判のような作業が必要である。できる限り。そのような記述に努めたつもりである。
- ^ 対象となったのは札幌・函館・福島・新潟・中山・東京・日本レース(横浜)・京都・阪神・小倉・宮崎。
- ^ バレンケイバ、即ち馬匹連合会によって行われた競馬
- ^ 岡崎競馬場、淡路競馬場がその例である。
- ^ この政令の施行日は、同年9月16日であり、そのご3ヶ月間は猶予があった。廃止時期と航空写真からみて、秋田競馬場、徳島競馬場がこの例に当たるのかもしれない。
- ^ 国土地理院ホームページ「国土変遷アーカイブ」の写真番号MHO613C-C6-8116。以下写真番号のみを記載する。末尾のリンクで、同ホームページを立ち上げ、写真番号検索で閲覧できる。
- ^ USA-M1160-A-123
- ^ 地方競馬統計資料 平成4年度
- ^ USA-R249-145
- ^ 旭川市・岩見沢市・北見市・帯広市で構成された一部事務組合。帯広市を除く3市が撤退したため解散。
- ^ USA-M588-30
- ^ USA-R264-31。ただし、地方競馬史第一巻によれば、元々は、旭川市近文1線にあったものが、1965年に花咲町に新競馬場が建設されたというが、その間の航空写真からは、上記写真以外の場所に競馬場らしきものが認められない。現在近文1線という地名は、地図上に認められないが、花咲町から自衛隊駐屯地をはさんだ近文台演習地周辺に近文5線から8線の地名がみられる。この5~8線を逆にたどると、花咲町あたりが1線に当たるので、松本競馬場のように同一敷地内に新競馬場が新設されたと考えることもできる。
- ^ USA-R375-4
- ^ USA-M175-49
- ^ USA-R276-31
- ^ USA-M180-2-140。この航空写真1952年撮影のものであるが、1947年撮影の航空写真では、当該地に馬場が存在しない。再開設以前の写真であるためと思われる。
- ^ 地方競馬史第一巻によれば、秋田市寺内神屋敷とあるが、現在の寺内神屋敷という住所地は、丘陵地帯で1948年及び1962年の航空写真(この間の航空写真は公開されていない。)から同地に、競馬場らしきものは存しない。当時の航空写真から馬場状の形態がみられるのは、現八橋運動公園であるが、隣にある野球場とおぼしきものと同じような大きさである。また、八橋大道東に、1948年撮影の写真から不鮮明ではあるが、馬場らしきものが認められ、1962年撮影の写真でも、一部に馬場の痕跡の如きものが認められる。秋田には戦前に八橋競馬場(寺内町八橋、現在秋田市に編入)が存したことから、この競馬場は八橋大道東にあったものと思われる。
- ^ USA-R1416-32
- ^ USA-M646-164
- ^ USA-R1910-A-28
- ^ USA-R357-34
- ^ USA-R286-No1-24
- ^ USA-R1585-68
- ^ USA-R398-31
- ^ USA-R389-128
- ^ USA-R444-94
- ^ USA-R1847-A-27
- ^ USA-R441-118
- ^ USA-R393-50
- ^ USA-R556-No1-139
- ^ USA-M736-48
- ^ 長岡市は1968年度に開催権を失って脱退。
- ^ USA-M320-A-10-53
- ^ USA-M1184-A-129
- ^ USA-R68-1-31
- ^ USA-R586-51
- ^ USA-M31-R-4-97
- ^ USA-M1147-n-20。この航空写真は、1955年撮影のものであるが、1948年撮影の航空写真(USA-R1785-6)と比較すると、馬場が北へ数百m移動している。地方競馬開催中に移転があったかもしれない。
- ^ USA-R1230-54
- ^ USA-R2008-151
- ^ USA-R1959-17
- ^ USA-R728-7
- ^ 岐阜県の笠松競馬場とともに東海地区として一体で開催している。
- ^ USA-R1721-A-39
- ^ USAR510-1-8
- ^ USA-M205-A-8-60
- ^ 組合を構成する市区町村は幾度かの変遷を経て、京北町・美山町・亀岡市・篠村・樫田村・長岡町で構成していた。
- ^ USA-M84-1-138
- ^ USA-M342-2-108
- ^ USA-R512-4-27
- ^ USA-M85-1-144
- ^ USA-M66-11
- ^ USA-M515-6-34
- ^ USA-M851-1-25
- ^ USA-R514-5-30
- ^ 新岡山港は閉場後に造成されているため開場当時は南側は海であった。
- ^ USA-R516-3-64
- ^ MCG612-C11-439
- ^ USA-M850-A-42
- ^ USA-R515-2-99
- ^ MCG-626-C10-18。ただし、この写真はオートレース場に改造後のものであろう
- ^ USA-R47-3A-27
- ^ USA-R527-1-109及びMSI611-C13-9
- ^ USAM125-42
- ^ USA-R521-7-55
- ^ USA-M550-1-11
- ^ USA-M211-158
- ^ MKU681-C5-11
- ^ USA-M279-23
- ^ USA-R153-4
- ^ MKU623X-C2B-8
- ^ USA-M663-63
- ^ USA-M271-20
- ^ USA-R218-61
- ^ USAM25A-22-19
- ^ USA-R299-53
- ^ USA-M11-79
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年11月25日 (水) 13:39 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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