日本の新聞

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売店に陳列される販売用新聞(一般紙・夕刊紙)

日本の新聞では、日本における新聞について記す。

目次

[編集] 概説

日本には現在の新聞と似たものとして瓦版読売とも呼ばれていた)が江戸時代以前から存在し、木製のものが多かった。現存する最古の瓦版は1614年〜1615年の大坂の役を記事にしたものである。現在の紙媒体の新聞は、幕末から明治時代に欧米を真似て作り、国民に広まった。新聞という言葉は明治時代に作られた造語である。

日本の新聞は大きく分けて、広い分野を扱う一般紙と、スポーツや株式・産業など、特定の分野を重点に扱う専門紙に大別される。日本において新聞を制作・発行する企業新聞社と呼ばれ、新聞社の事業としては、新聞の発行のみならず、雑誌書籍出版事業、各種イベントの主催(例:『毎日新聞』または『朝日新聞』と高野連による高校野球大会、『読売新聞』による箱根駅伝)といった文化事業も行っていることが多い。その他、企業等の広報誌制作業務の受託(取材から印刷まで引受け)も行う。新聞社によっては重要な収入源になっていることもある。また、印刷工場の余力を生かし、他紙(例えば宗教団体の機関紙等)の印刷業務を引き受け収益をあげている社もあり、新聞販売や広告収入以外にも収入源を確保するよう経営の安定化に務めている。世論に強い影響力を持つことから、一般紙を発行する新聞社は「社会の木鐸」を自認しているとされる。再販売価格維持制度によって保護されている。

[編集] 歴史

江戸時代後期の幕末には、手書きの回覧文章を「新聞」と称するケースがあった。1861年には英字新聞として『ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドバタイザー』、1862年には初の日本語の新聞として『官板バタビア新聞』が刊行される。

明治には、1868年に小冊子形態の新聞が刊行され、佐幕色の『中外新聞』、『江湖新聞』(1868年創刊)が、1870年には日本最初の日刊紙である『横浜毎日新聞』が創刊される。1872年には『東京日日新聞』、『郵便報知新聞』などがそれぞれ創刊。それまでの御用新聞から1874年に民選議院設立建白書の提出などを契機として民権派の勢力が強くなり、明治政府は1875年には新聞紙条例讒謗律が制定される。この頃の新聞は、政論中心で知識人を対象とした「大新聞」と娯楽中心で一般大衆を対象とした「小新聞」に分かれていた。

1874年に『讀賣新聞』、1879年に『朝日新聞』が創刊。1894年からの日清戦争1904年からの日露戦争の戦時報道、1905年9月1日の『大阪朝日新聞』には「天皇陛下に和議の破棄を命じた賜はんことを請い奉る」という記事と8月29日ポーツマス条約の講和条件を引用などの新聞報道により起きた民衆の暴動事件日比谷焼打事件、その後の全新聞による「警視庁廃止」の論陣などを経て、従来の論説中心から報道取材が行われるようになる。1909年には新聞紙条例を経た新聞紙法が制定される。

1890年記者クラブ誕生。

  • 参考文献 『日露戦争 勝利のあとの誤算』 文春新書 文藝春秋 黒岩比佐子 ISBN 4166604732

1918年米騒動の際、寺内正毅内閣総理大臣は新聞報道を禁止し、それに対する記者大会の報道で『大阪朝日新聞』が革命を示唆したとして、当時の朝憲紊乱罪に該当するものとして弾劾されている(白虹事件)。

1923年9月1日関東大震災の際、通信途絶となったため、各新聞で「東京(関東)全域が壊滅・水没」・「政府首脳の全滅」・「伊豆諸島の大噴火による消滅」など事実でないデマを記事にし、『大阪朝日新聞』など一部の新聞が9月3日4日に、内務省警保局の発した“朝鮮人により放火・爆破がされている模様、暴動に警戒すべし”の電報指令を報道記事にした為、朝鮮人などの虐殺事件を引き起こした。また、この震災で東京の新聞社は大打撃を受け、その後は大阪に強いバックを持つ『東京朝日新聞』と『東京日日新聞』が躍進した。

第二次世界大戦太平洋戦争中は政府情報局による新聞統制に置かれ、戦意高揚以外の内容は許されなかったが、逆に政府発表による戦意高揚を煽ることもあった。

1945年7月27日に論評なしにポツダム宣言の存在を新聞に公表したところ、7月28日に『讀賣報知(現『読売新聞』)』で「笑止、対日降伏條件」、『毎日新聞』で「笑止!米英蒋共同宣言、自惚れを撃破せん、聖戰飽くまで完遂」「白昼夢 錯覚を露呈」などと報道され、政府は再び論評を発表するはめになり、鈴木貫太郎首相は7月28日の記者会見で「共同聲明はカイロ會談の焼直しと思ふ、政府としては重大な価値あるものとは認めず「黙殺」し、斷固戰争完遂に邁進する」(毎日新聞、1945年7月29日)と述べ、翌日の『朝日新聞』で「政府は黙殺」などと報道された。この「昭和20年7月27日に論評なしに黙殺」は本来、「特に何の意見も言わない(いわゆるノーコメント)」という意味だったようだが、日本の同盟通信社により「ignore it entirely(全面的に無視)」と英語に翻訳され、またロイターAP通信では「Reject(拒否)」と訳され報道された。

1945年8月16日の『毎日新聞』にて「”忠誠足らざるを”詫び奉る(宮城前)」という7段抜きの8月15日の皇居前で整然と土下座をした人々の写真が掲載され、写真を撮れなかった『朝日新聞』、『都新聞』など他紙を悔しがらせたが、これは合成写真であった(合成写真は戦争中は日常的に行われていた)。

昭和天皇との会見(1945年9月27日)

1945年9月27日昭和天皇ダグラス・マッカーサー総司令官の会見写真を29日に掲載した新聞を発売禁止処分にした内閣情報局に対し連合国軍最高司令官総司令部は新聞検閲権限はなく即時解除を命令実行され翌30日に新聞で報じられた。ただし占領している連合国軍に関して批判等(占領軍将兵の犯罪など)に対してはプレスコード検閲言論統制した。

1945年、『読売新聞』社長の正力松太郎A級戦犯容疑で逮捕され巣鴨拘置所に収容される。1947年、不起訴で釈放、公職追放され『読売新聞』を退職する。1951年、追放解除で『読売新聞』に復帰。

1946年11月12日、『讀賣報知』は「漢字を廃止せよ」との社説を掲載し漢字廃止(国語国字問題参照)を主張した。

[編集] 印刷の変遷

日本の新聞の歴史は、紙などが庶民に普及し出した江戸時代に見る事が出来る。有名な物では、瓦版と呼ばれるもので、亙に文字を彫り込み、凹版印刷の要領で多量に印刷し、作る物である。

明治期になるとヨーロッパなどから活字印刷技術が導入され、凸版印刷が主流になる。

昭和中期に入ると鉛板に活字を彫り、1枚の板状の凸版印刷となる。

昭和後期から平成期になると、印刷にコピー機の原理が加わる。レーザーを使用したフィルムプリンタの登場により、新聞紙面大のフィルムに文字を焼き付け、現像。ネガであるため白抜きの文字になる。以下は、液体コピー機の原理と同じである。作成したフィルムをフィルタとして大型の感光ドラムに照射し、感光ドラムまたは感光フィルム(以下感光体)の表面電位を変化させ、感光体に文字を電位変化という形で作成する。次に液体トナーと呼ばれるインク物質を感光体に触れさせ、電位変化のあった感光体の文字部分にインクを付着させる。次に紙と触れさせ転写を行う。カラー印刷を行う場合は、4色の色別に印刷機が組み合わされる。

[編集] 一般紙

一般紙には、大手の全国紙と、一つの県単位で発行される、地域密着の地方紙、複数の県を対象にしたブロック紙がある。

販売方法としては、各地域の新聞販売店からの宅配による月極め販売と、鉄道駅売店、コンビニエンスストアなどでの一部ごとの販売が行われ、朝刊夕刊が発行される場合が多い。一般に朝・夕刊の1日2回発行する新聞を「セット版」、どちらかのみ(全国紙、一部地方紙など一般には朝刊のみを指す)を発行するものを「統合版」という。ただ、近年は朝刊だけを購読する家庭が増えてきており(「セット割れ」)、『産経新聞』(東京本社)のように夕刊を廃止した社もある。

全国紙では、欧米などの主要な国に紙面が伝送されて、現地で国際版が印刷されており、一部主要都市の書店やホテルなどで販売されている。

地方新聞の題字(1面)は、その地域の名産品、気候、文化、観光名所などをデザインにあしらったものもある。

1日のページ数は朝刊が20ページから多いものでも40ページ近く、夕刊は8ページから20ページ近くである。ただし、大型選挙参議院衆議院の国政選挙、あるいは統一地方選挙)の開催翌日や年末(12月29日-12月31日)の朝刊は特別紙面体制の関係で16-20ページに縮小(夕刊は年末年始=12月29日から1月3日と日曜・祝日は専売紙の一部を除いて休刊)。

内容としては政治経済社会的なニュースだけでなく、テレビ・ラジオの番組表(通称ラテ欄)、天気予報、読者投稿欄や囲碁将棋欄などの家庭一般向け記事が掲載される。自社の論説委員が書いた社説を掲載して、その新聞社の見解や意見を社会に示すこともある。また一面の下部にコラムが掲載され、社会常識の問題として入学試験に引用されたりする。日本政府から政府広報として日本国民に周知する事柄が広告として掲載されることもある[1]

一般紙については宅配制度などによって新聞普及率が高く、テレビラジオ電車内や駅構内など各種メディアへの広告コマーシャル)や、新聞社が通話料を負担するフリーダイヤルによる購読申し込み窓口の設置、新聞販売店や「拡張員」と呼ばれる外部セールスマンによる訪問販売などにより、営業活動を行っている。現在、身分証を交付される「新聞セールスマン」の制度が存在する。

[編集] 公称発行部数(スポーツ紙、夕刊紙含む)

日本の新聞の公称発行部数
順位 紙名 発行部数 発行所
合計 (うち夕刊のみ)
1 讀賣新聞[2] 約1002万部
(文化通信2009年8月24日より
以下日付略)
(約389万部) 株式会社読売新聞東京本社
株式会社読売新聞大阪本社
株式会社読売新聞西部本社
2 朝日新聞 約803万部(文化通信) (約365万部) 株式会社朝日新聞社
3 聖教新聞 約550万部[3] 聖教新聞社[4]
4 毎日新聞 約380万部(文化通信) (約156万部) 株式会社毎日新聞社
中日新聞
東京新聞
北陸中日新聞
日刊県民福井
約347万部 (約94万部) 株式会社中日新聞社[5]
5 日本経済新聞 約305万部(文化通信) (約163万部) 株式会社日本経済新聞社
6 中日新聞 約274万部(文化通信) (約65万部) 株式会社中日新聞社
7 東京スポーツ 約242万部 株式会社東京スポーツ新聞社
8 日刊スポーツ[6] 約196万部 株式会社日刊スポーツ新聞社
株式会社日刊スポーツ新聞西日本
株式会社北海道日刊スポーツ新聞社
9 西日本スポーツ 約196万部 株式会社西日本新聞社
10 産経新聞 約185万部(文化通信) (約64万部) 株式会社産業経済新聞社
11 スポーツニッポン 約171万部 株式会社スポーツニッポン新聞社
12 日刊ゲンダイ 約168万部 株式会社日刊現代
13 しんぶん赤旗 約168万部 日本共産党中央委員会[7]
14 夕刊フジ 約155万部 株式会社産業経済新聞社
15 サンケイスポーツ 約136万部 株式会社産業経済新聞社
16 スポーツ報知[8] 約135万部 株式会社報知新聞社
株式会社読売新聞東京本社中部支社
株式会社スポーツ報知西部本社
17 北海道新聞 約118万部(文化通信) (約66万部) 株式会社北海道新聞社
18 佼成新聞 約100万部[9] 佼成新聞社[10]
19 デイリースポーツ[11] 約99.9万部 株式会社デイリースポーツ社
株式会社中四国デイリースポーツ社
20 西日本新聞 約84万部(文化通信) (約18万部) 株式会社西日本新聞社
21 静岡新聞 約71万部(文化通信) 株式会社静岡新聞社
22 中國新聞 約70万部(文化通信) (約7.5万部) 株式会社中国新聞社
23 東京新聞 約56.6万部(文化通信) (約28万部) 株式会社中日新聞社
24 神戸新聞 約56.3万部(文化通信) (約26万部) 株式会社神戸新聞社
25 京都新聞 約51.6万部(文化通信) (約32万部) 株式会社京都新聞社
26 新潟日報 約49.1万部(文化通信) 株式会社新潟日報社
27 信濃毎日新聞 約48.7万部(文化通信) 株式会社信濃毎日新聞社
28 河北新報 約48.5万部(文化通信) (約12万部) 株式会社河北新報社
29 山陽新聞 約46.7万部(文化通信) (約7万部) 株式会社山陽新聞社
30 南日本新聞 約36.8万部(文化通信) 株式会社南日本新聞社

集計方法によりシェアは変動する。また、公称部数と実際の販売部数は大きく乖離しており、それについては新聞販売店の項目を参照のこと。

[編集] スポーツ紙、夕刊紙

夕刊紙と呼ばれる新聞は、主に退勤時のサラリーマンなどに向けて、夕刊のみ売店やコンビニエンスストアなどで販売されるもので、野球などのスポーツや芸能(テレビ・ラジオ・タレントマスメディアの情報)、歓楽街の情報などに紙面スペースが割かれ、一般紙よりも娯楽性の強い紙面内容となっている。一般紙の半分のサイズであるタブロイド判のものが多い。また、一般に「夕刊紙」と認知されているものであっても、狭義の「新聞」には分類されず、「夕刊」(雑誌扱い)の場合もある。この場合、新聞社の組織する記者クラブには加盟できない。新聞の性格上、女性を意識した紙面づくりにはなっていない。また、スポーツ記事も主力購買層のサラリーマンが好むとされる野球ゴルフ競馬の記事は充実しているが、若いファンの多いサッカーの記事はそれほど多くない。なお、夕刊紙は事あるごとに「サラリーマンの味方」である事をしきりに強調するが、収入やある程度の身分保障の面などで、大手夕刊紙の正社員と中小企業や派遣会社のサラリーマンとでは格差がある。夕刊紙においては、売店等のスタンドでよく目立つように煽動的な見出しに重きが置かれている。『東京スポーツ』はその事が「東スポは日付以外は合ってない」「日付以外は全て誤報」(浅草キッド談)などとして、「飛ばしの東スポ」の異名と共に、逆に熱烈な読者を獲得するに至った。

なお、「株式新聞」「日本証券新聞」といった証券専門紙も、その日の株式市場終了後に夕刊として首都圏のキヨスクなどで販売されている。その日の相場を知る速報版として存在感を発揮している。

スポーツ紙スポーツ新聞)も、基本的に朝刊のみであること以外、内容的には夕刊紙とほぼ同一である(『デイリースポーツ・東京』、『スポーツニッポン・大阪』のみ夕刊もある)。ただ、新聞店からの月極め宅配があり(宅配版は歓楽街の情報ページなどのアダルト記事がテレビ欄に差し変わる)、タブロイド判ではなく、一般紙と同じ紙面サイズ(ブランケット判)であることが夕刊紙と異なる。多くが一般紙の傘下、もしくは資本関係下にある。ただし、『サンケイスポーツ』と『夕刊フジ』は『産経新聞』の、『中日スポーツ』と『東京中日スポーツ』は『中日新聞』の、それぞれ直轄である。

社会面もあるが、一般紙とは違い、スタンドで選ばれるための扇動的な見出しが見受けられる。人によっては、通勤時にスポーツ紙でスポーツ以外の社会のことも知ろうとしているが、デーブ・スペクターはこの光景を「日本のサラリーマンはスポーツ紙ですべてのことを知ろうとするから、世の中のことに関して浅はかになる。スポーツ紙の政治記事なんておまけみたいなものなのに」云々と批判している。

[編集] 特定分野の専門紙・業界紙

特定分野を対象とする専門紙には、特定分野についての動向の報道に重点を置いた「日本証券新聞」「株式新聞」「産業新聞」(発行は、ほぼ週末を除く平日)や、更に限定された業界向けに業務上必要な情報提供を行う「業界紙」(「日本屋根経済新聞」「日本事務機新聞」等)がある。発行は週1〜2回から、月1〜2回刊の場合が多い)。

   詳細は専門紙を参照

競馬競輪競艇オートレースといった公営競技の開催に合わせて、専門情報を提供する予想紙などもこれにあたる。

[編集] 新聞が社会に与える影響

日本は新聞が最も読まれている国のひとつである。その結果、世論の形成に新聞が大きな影響を及ぼすことが多い、といわれる。

全国紙などでは配達される地域によって印刷される時間が異なるため、突発的な出来事、特ダネもしくは続報などが入った場合、同じ日によっても違う内容になる場合がある。このため、特別に大きな出来事が発生した場合には、速報のため「号外」を発行して、新聞社に近い繁華街や駅前などの街頭で配ることがあるが、多様なメディアの発達した近年では、新聞に速報性が期待されることは少なくなったため、専らPR活動の一環として都市部のみで行われている。

全国紙・地方紙を問わず、日本の新聞社は各種団体、公的機関ごとに「記者クラブ」という組織を作る慣習がある。新聞社は記者クラブ制度によって、それらのニュースソースを独占的に囲い込み、構成員以外の情報へのアクセスを排除することから、社会の公器として国民の「知る権利」の代弁者を自認する新聞社自身が、国民の「知る権利」を阻害しているのではないか、と批判されることがある。その証拠としてジャーナリスト岩瀬達哉著「新聞が面白くない理由」[1]によると、(1996年当時)『読売』、『朝日』、『毎日』の三大紙における発表記事の割合は50%を超えていてこれに周辺取材や番記者の記事などのリーク情報を加えると約67%近くに及ぶ、一方で独自取材記事は14%程度とかなり少ない。これは欧米など諸外国の新聞と比べても異常な水準であると言われており一部メディアからは官報と変わらないとまで批判される所以でもある。

さらに、ニュースソースの側からは適時「エサ」を与えることで「記者クラブ」を飼いならすことが可能になり、情報を自らの都合の良いようにコントロールする余地が生まれるとの指摘もある。実際、「発表モノ」と呼ばれる記事は「○日○時○分より公表可」という条件の下にあらかじめ発表以前から記者クラブ加盟各社に手渡されていることが多い。「発表モノ」に頼る記者はニュースソースとの馴れ合い関係を生じやすく、真に社会が必要とする情報を掘り起こす力を失い、独自性のない横並びの記事を生む温床となってゆく。

日本の新聞が各社とも取材対象との緊張関係をあまり持たず、ほとんど変わらない記事を掲載しているのは、良かれ悪しかれ「記者クラブ」制度に負う所が大きい。近年の鎌倉市長野県による記者クラブ改革はこのような閉鎖的状況に一石を投じた。

また、ラジオ、テレビ、インターネット等競合するメディアが展開され、購読者数の減少が危惧される中、テレビ等で紙面を放映し文章をそのまま読み上げるという形式で文責を新聞側で担うことで、「間接的」に他局の意見・主張を批評でき、世論形成に少なからず影響を与え、その存在意義を再認識する場面が認められる。朝の情報番組にはよく使われ、夕刊や日曜日では使われない。

日本国内で新聞か発行されて間もない頃は東京や大阪など大都市圏とその周辺しか販売地域が無く、地方では新聞はとても珍しいものだった。そのため地方へ行く者や地方から来た者の中には新聞を東京の土産品として持ち帰る人達が大勢いたという(朝野新聞・明治8年3月31日号の記事から)

[編集] 小説

小説の発表の場としての役割もあり、連載された小説は「新聞小説」といわれる。大抵挿絵が載っているのが特徴である。連載された小説を切り取って綴じることで一冊の本にすることも可能であり、書籍の購入が出来ない人にも小説を読む楽しみを与えた。夏目漱石などの小説は最初、新聞に発表された。熱心なファンもおり、『毎日新聞』に連載された山田智彦の『蒙古襲来』は、著者のもとに「朝一度読み、夕刻もう一度読む。とても楽しいので10年でもやって欲しい」というファンレターが届いたこともある。[12]また、宮城谷昌光神戸新聞などに連載していた孟嘗君は、阪神大震災の時に新聞休刊により連載が一旦途絶したが、人気のために新聞復刊後、中断分を10回、2面を使って掲載している。近年は渡辺淳一『愛の流刑地』(『日本経済新聞』連載)・『あじさい日記』(『産経新聞』連載)などが話題となった。

作者としても体力の要る仕事であり、藤沢周平は「自分の新聞小説の数が少ないのは主として体力不足が原因」「ふしぎなおもしろい発表舞台」と述べている。[13]

以下に現在連載されているものも含め、主要な新聞連載小説を記述する。

        島田雅彦徒然王子』(2008年1月20日〜2009年2月18日)        詳しくは朝日新聞の連載小説参照。

         宮部みゆき『三島屋変調百物語事続』(2009年4月現在)

(朝刊) 高樹のぶ子『甘苦上海』(挿絵佐藤泰生)(現在連載中) (夕刊) 内田康夫『地の日 天の海』

※一時期、山本と八木の小説を同時に連載していた他、不定期に福田みどり『司馬さんは夢の中』も掲載。
堺屋の三人の二代目は、神奈川新聞信濃毎日新聞北國新聞富山新聞京都新聞日本海新聞など一部地方紙でも掲載。大阪府では産経と大阪日日新聞で重複掲載されている。
※五木の親鸞は、その他地方紙でも掲載。
※東京新聞夕刊は近代文学作品を掲載。
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[編集] 一コマ漫画

政治面には、政治社会を風刺した内容の一コマ漫画が掲載されることが多い。

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[編集] 4コマ漫画

日本では、社会面の隅に4コマ漫画を掲載するのが慣例になっている。地方紙では、同じ作品を何紙かで共有している場合もある。時事ネタを中心とした作品が多く、『サザエさん』『まっぴら君』『サンワリ君』など、当時の世相を知る上で重要な作品も多く輩出されている。

[編集] 主要紙の系譜

[編集] 読売

[編集] 朝刊

轟先生』(秋好馨・夕刊から移籍)→『おトラさん』(西川辰美・秋好が病気療養休載中に連載)→『轟先生』(秋好馨)→『OH!!ミスター』(福地泡介)→『あっぱれサン』(秋竜山)→『コボちゃん』(植田まさし

[編集] 夕刊

『轟先生』(秋好馨)→『グンナイ君』(萩原賢次)→『デ・ラ・トレ』(リツルペドロ)→『ミーコちゃん』(塩田英二郎)→『ハルコちゃん』(矢崎武子)→『今日も元気で』(柳原良平)→『サンワリ君』(鈴木義司)→『ドッポたち』(小泉吉宏

  • 「ドッポたち」は毎週土曜日のKODOMO新聞欄のみの連載。

[編集] 朝日

[編集] 朝刊

フクちゃん』(横山隆一・戦前期に連載され、改題が多い)→『ブロンディen:Blondie (comic strip))』(チックヤング(en:Chic Young))→『サザエさん』(長谷川町子・夕刊から移籍)→『フジ三太郎』(サトウサンペイ・夕刊から移籍)→『ののちゃん』(いしいひさいち・連載当初の題名は『となりの山田くん』)

[編集] 夕刊

『サザエさん』(長谷川町子)→『クリちゃん』(根本進)→『フジ三太郎』(サトウサンペイ)→『ペエスケ』(園山俊二)→『サミット学園』(No-rio=山井教雄)→『ワガハイ』(砂川しげひさ・連載当初の題名は『Mr.ボォ』)→『地球防衛家のヒトビト』(しりあがり寿

[編集] 毎日

[編集] 朝刊

『ペ子ちゃん』(横山隆一)→『デンスケ』(横山隆一)→『フクちゃん』(横山隆一)→『アサッテ君』(東海林さだお

[編集] 夕刊

プーサン』(横山泰三)→『まっぴら君』(加藤芳郎)→『ウチの場合は』(森下裕美

[編集] 日本経済

[編集] 夕刊

『ほいきた君』(佐川美代太郎)→『バクさん』(馬場のぼる)→『ゲンペイ君』(東海林さだお)→『ドーモ君』(福地泡介)

  • 2007年時点では連載が行われていない。

[編集] 産経

[編集] 朝刊

『サラリ君』(西村宗)、『ひなちゃんの日常』(南ひろこ

  • スヌーピー』も連載(東京本社版は文化面、大阪本社版はBS・ラジオ面)。

[編集] 夕刊

『カボスさん』(堀田かつひこ

[編集] 北海道・中日(東京)・西日本(ブロック紙3社連合)

[編集] 朝刊

『ろくさん天国』(馬場のぼる)→『ほのぼの君』(佃公彦・連載当初の題名は『ちびっこ紳士』)→『ちびまる子ちゃん』(さくらももこ、2007年7月1日開始)

[編集] 夕刊

『クラリさん』(萩原賢次)→『ブロー君』(福地泡介)→『カンパチくん』(西沢周平)→『ドーモくん』(針すなお)→『タンポポちゃん』(おだ辰夫)→『ただのベンちゃん』(出光永)→『セロりん』(はらたいら)→『ターラくん』(多々良圭)→『ユーヤケこや家』(草原タカオ)→『ポカちゃん』(浜坂高一朗)→『ももこさん』(ふなびきかずこ)→『ウチのげんき予報』(新田朋子)

[編集] 新聞社株式の譲渡制限

非公開会社の株式譲渡制限は一般的であるが、新聞社に関しては日刊新聞紙の発行を目的とする株式会社の株式の譲渡の制限等に関する法律昭和26年法律第282号)という特別法が制定されており、株式の譲受人を当該新聞社の事業関係者に限定し、既存の株主が事業関係者でなくなったときは他の事業関係者に譲渡しなければならない義務を課すことが認められている。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ "政府から国民へ-広報活動". 内閣府. 2009-03-15 閲覧。
  2. ^讀賣新聞』の場合、株式会社読売新聞東京本社、株式会社読売新聞大阪本社、株式会社読売新聞西部本社の3社が、同じ紙名の新聞をそれぞれ発行している。
  3. ^ 1990年から2006年まで550万部のままである。
  4. ^ 聖教新聞社宗教法人創価学会の出版部門であり、法人格を持たない。
  5. ^中日新聞』、『東京新聞』、『北陸中日新聞』、『日刊県民福井』は、それぞれ紙名が異なるが、全て株式会社中日新聞社が発行している。
  6. ^日刊スポーツ』の場合、株式会社日刊スポーツ新聞社、株式会社日刊スポーツ新聞西日本、株式会社北海道日刊スポーツ新聞社の3社が同じ紙名の新聞をそれぞれ発行している。
  7. ^ 日本共産党中央委員会日本共産党の執行部門であり、法人格を持たない。
  8. ^スポーツ報知』の場合、株式会社報知新聞社、株式会社読売新聞東京本社中部支社、株式会社スポーツ報知西部本社の3社が、同じ紙名の新聞をそれぞれ発行している。
  9. ^佼成新聞』の発行は、日刊ではなく週刊である。
  10. ^ 佼成新聞社宗教法人立正佼成会の出版部門であり、法人格を持たない。
  11. ^デイリースポーツ』の場合、株式会社デイリースポーツ社、株式会社中四国デイリースポーツ社の2社が、同じ紙名の新聞をそれぞれ発行している。
  12. ^ 山田智彦『蒙古襲来 下』講談社文庫版あとがきによる。なお連載は2年で終了した。
  13. ^ 藤沢周平『新聞小説と私』、『ふるさとへ回る六部は』新潮文庫所載。なお藤沢の新聞小説はこの発表当時6篇と少ない。新聞小説は特定の作者が多数執筆する傾向があり、例えば井上靖は生涯で29作を掲載している。尚、藤沢は長い闘病歴があるなど体が弱く、井上は元柔道選手であった。

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年10月18日 (日) 09:56 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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