日本三古碑

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日本三古碑(にほんさんこひ)は日本各地に点在する古代碑のうち、書道史・文献史学・歴史考古学の上から極めて重要とされている三つの金石文が刻まれた栃木県大田原市那須国造碑宮城県多賀城市多賀城碑群馬県高崎市吉井町多胡碑を指す。いずれも飛鳥時代奈良時代にかけての8世紀前後のものである。

目次

[編集] 概要

古来古墳時代より鉄剣やなどに文字を刻み、墓の墓誌や死者の副葬品、あるいは特定の出来事を記録する記念碑など多種多様の金石文が作られた。多くが時代の闇の彼方に姿を消すものの、金属や石などの剛健な物に刻まれている事から、伝来、若しくは発掘された場合、当時の出来事を鮮明に伝えるものとなる。そうした石に刻まれた金石文、即ち「碑」の中で、書道史上から重要とされ日本三古碑と言われるようになったのが、那須国造碑、多賀城碑、多胡碑の三つである。

だが三古碑とされる所以は考古学的に古い順によるもではなく、これらより古い碑が存在する。例えば多胡碑の周囲には山ノ上碑金井沢碑という古代碑が点在しており、多胡碑を含め上野三碑と呼ばれる。この中で一番古いのは681年建碑の山ノ上碑であり、8世紀後半建碑と推定される多胡碑より古いだけでなく、三古碑中最古の建碑である那須国造碑(700年建碑)よりも古い。

しかしながら山ノ上碑は一般の僧侶が建てた墓誌であり、一方多胡碑は続日本紀に記載される多胡郡が設置された公の事跡を記念した碑である。弁官局からの命令をそのまま記載した碑文となっており、天武天皇皇子穂積親王など、当時の高官の名が刻まれている。保存状態も良く、覆堂のガラス越しからでも肉眼ではっきりと碑文が読める。いずれの碑も貴重である事は間違いないが、その中でも多胡碑は当時の事跡を文献史学的・歴史考古学的に実証している極めて重要な碑である。

那須国造碑、多賀城碑、多胡碑の三古碑が書道史上で重要とされるという事は、当時の貴人、高僧などの高い教養をもった人物によって刻まれているのは当然として、尚且つある程度の長文が刻まれ、風化、破損が少ないという事である。即ちこれらの条件を兼ね備えるという事は、必然的に文献史学・歴史考古学的にも重要な位置づけとなっている。

[編集] 那須国造碑

700年建碑。689年、那須国造評督に任ぜられた那須直葦提の事績を、息子の意志麻呂らが顕彰するために建碑され、公の事跡を記録した他の二碑とは性格が異なる。国宝に指定されている。

詳細は「那須国造碑」を参照

[編集] 多賀城碑

天平宝字6年(762年)12月1日建碑。奈良時代に建設された多賀城の修築記念に建碑され、多賀城までの各地域からの行程、及び設置、修築の経緯が刻まれている。重要文化財に指定されている。

詳細は「多賀城碑」を参照

[編集] 多胡碑

和銅4年(711年3月9日多胡郡が設置された事を記念するために建碑。弁官局からの命令が刻まれており、穂積親王藤原不比等などの当時の高官の名も伺える。国の特別史跡に指定されている。

詳細は「多胡碑」を参照

最終更新 2009年9月4日 (金) 15:31 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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