日本二十六聖人
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| 日本二十六聖人 | |
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長崎西坂の日本二十六聖人記念碑
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| 殉教日 | 慶長元年12月19日(グレゴリオ暦1597年2月5日) |
| 殉教場所 | 長崎 |
| 処刑方法 | 磔 |
| 崇敬する教派 | カトリック教会、アングリカン・コミュニオン他 |
| 列福日 | 1627年9月14日 |
| 列福場所 | ローマ |
| 列福決定者 | ウルバヌス8世 |
| 列聖日 | 1862年6月8日 |
| 列聖場所 | ローマ |
| 列聖決定者 | ピウス9世 |
| 記念日 | 2月5日 |
日本二十六聖人(にほんにじゅうろくせいじん)とは慶長元年12月19日(グレゴリオ暦1597年2月5日)、豊臣秀吉の命令によって長崎で処刑された26人のカトリック信徒。日本でキリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令による処刑が行われたのはこれが初めてであった。26人は後にカトリック教会によって聖人の列に加えられたため、彼らは「日本二十六聖人」と呼ばれることになった。二十六人のうち、日本人は二十名、スペイン人が四名、メキシコ人、ポルトガル人がそれぞれ一名であり、すべて男性であった。この出来事を「二十六聖人の殉教」という。祭日は2月5日。
目次 |
[編集] 経過
当時は、キリシタン大名やキリシタンによって、寺社が焼かれたり僧侶が迫害されたり、逆に仏教を厚く信仰する大名の元ではキリシタンが迫害される事件が相次いでいた。さらに宣教師や商人によって日本人が奴隷として海外に売られる事件が発生し、ここに至って豊臣秀吉はバテレン追放令を発布した。ただし、秀吉は南蛮貿易の実利を重視していたため、この時点では大規模な迫害は行われなかった。黙認という形ではあったが宣教師たちは日本で活動を続けることができたし、キリシタンとなった日本人が公に棄教を迫られる事はなかった。
しかし、1596年10月のサン=フェリペ号事件をきっかけに、秀吉は1596年12月8日に再び禁教令を公布した。また、フランシスコ会の活発な活動が禁教令に対して挑発的であると考え、京都奉行の石田三成に命じて、京都に住むフランシスコ会員とキリスト教徒全員を捕縛して処刑するよう命じた。ちなみに、二十六聖人のうち、フランシスコ会会員とされているのは、スペインのアルカンタラのペテロが改革を起こした「アルカンタラ派」の会員達であった。大阪と京都でフランシスコ会員7名と信徒14名、イエズス会関係者3名の合計24名が捕縛された。三成はパウロ三木を含むイエズス会関係者を除外しようとしたが、果たせなかった。
24名は、京都・堀川通り一条戻り橋で左の耳たぶを切り落とされて(秀吉の命令では耳と鼻を削ぐように言われていた)、市中引き回しとなった。1597年1月10日、長崎で処刑せよという命令を受けて一行は大阪を出発、歩いて長崎へ向かうことになった。また、道中でイエズス会員の世話をするよう依頼され付き添っていたペトロ助四郎と、同じようにフランシスコ会員の世話をしていた伊勢の大工フランシスコも捕縛された。二人はキリスト教徒として、己の信仰のために命を捧げることを拒絶しなかった。
厳冬期の旅を終えて長崎に到着した一行を見た責任者の寺沢半三郎は、一行の中に12歳の少年ルドビコ茨木がいるのを見て気の毒に思い、信仰を捨てることを条件に助けようとしたが、ルドビコはこの申し出を丁重に断った。ディエゴ喜斎と五島のヨハネは告解を聞くためにやってきたイエズス会員フランチェスコ・パシオ神父の前で誓願を立てて、イエズス会入会を許可された。26人が通常の刑場でなく、長崎の西坂の丘の上で処刑されることが決まると、一行はそこへ連行された。長崎市内は混乱を避けるため外出禁止令が出されていたが、4000人を超える群集がそこへ集まってきていた。パウロ三木は死を目前にして群集に自分の信仰を語った。一行が槍に両脇を刺しぬかれて殉教したのは午前10時ごろであった。
遺骸は死後、多くの人の手でわけられ、日本で最初の殉教者の遺骸として世界各地に送られて崇敬を受けた。これはカトリック教会において、殉教者の遺骸や遺物(聖遺物)を尊ぶ伝統があったためである。日本26聖人は近世においては、日本よりもヨーロッパにおいてよく知られていたが、それはルイス・フロイスなどの宣教師たちの報告書によるところが大きい。1862年6月8日、ローマ教皇ピウス9世によって列聖され、聖人の列に加えられた。1962年には列聖100年を記念して西坂の丘に日本二十六聖人記念館(今井兼次の設計)と彫刻家の舟越保武による記念碑が建てられた。
宣教師達がポルトガル奴隷商人に対して「奴隷購買者破門令」を発布したのは、日本二十六聖人が殉教してから10年後の事であった。
[編集] 二十六聖人の氏名
(以下、二十六聖人記念碑の右側から順に列挙)
- 伊勢のフランシスコ
- 日本人大工。フランシスコ会員の世話をするため、一行に付き添い、道中で捕縛された。
- コスメ竹屋
- 日本人、38歳。大阪で捕縛される。
- ペトロ助四郎(またはペドロ助四郎)
- 日本人、イエズス会員の世話をするため一行に付き添い、道中で捕縛された。
- ミカエル小崎(またはミゲル小崎)
- 日本人、46歳。京都で捕縛。トマス小崎の父。
- ディエゴ喜斎
- 日本人、64歳。大阪で捕縛。イエズス会員。
- パウロ三木
- 日本人、33歳。大阪で捕縛。イエズス会員。
- パウロ茨木
- 日本人、54歳。京都で捕縛。レオ烏丸の兄。
- 五島のヨハネ草庵(またはヨハネ五島)
- 日本人、19歳。大阪で捕縛、イエズス会員。
- ルドビコ茨木
- 日本人、12歳で最年少。京都で捕縛。パウロ茨木、レオ烏丸の甥。
- 長崎のアントニオ
- 日本人、13歳。京都で捕縛。父は中国人、母は日本人。
- ペトロ・バウチスタ(またはペドロ・バプチスタ)
- スペイン人、48歳。京都で捕縛。フランシスコ会司祭。
- マルチノ・デ・ラ・アセンシオン
- スペイン人、30歳。大阪で捕縛。フランシスコ会司祭。
- フェリペ・デ・ヘスス(またはフィリッポ・デ・ヘスス)
- メキシコ人、24歳。京都で捕縛。フランシスコ会修道士。
- ゴンザロ・ガルシア
- ポルトガル人、40歳。京都で捕縛。フランシスコ会修道士。
- フランシスコ・ブランコ
- スペイン人、28歳。京都で捕縛。フランシスコ会司祭。
- フランシスコ・デ・サン・ミゲル
- スペイン人、53歳。京都で捕縛。フランシスコ会修道士。
- マチアス
- 日本人、京都で捕縛。本来逮捕者のリストになかったが、洗礼名が同じというだけで捕縛。
- レオ烏丸
- 日本人、48歳。京都で捕縛。パウロ茨木の弟。ルドビコ茨木のおじ。
- ボナベントゥラ
- 日本人、京都で捕縛。
- トマス小崎
- 日本人、14歳。大阪で捕縛。ミカエル小崎の子。
- ヨアキム榊原(またはホアキン榊原)
- 日本人、40歳。大阪で捕縛。
- 医者のフランシスコ
- 日本人、46歳。京都で捕縛。
- トマス談義者
- 日本人、36歳。京都で捕縛。
- 絹屋のヨハネ
- 日本人、28歳。京都で捕縛。
- ガブリエル
- 日本人、19歳。京都で捕縛。
- パウロ鈴木
- 日本人、49歳。京都で捕縛。
[編集] 日本二十六聖人に捧げられた教会
- 日本聖殉教者教会(LA CHIESA DEI SANTISSIMI MARTIRI GIAPPONESI)(イタリア チヴィタヴェッキア)
- 大浦天主堂(長崎県長崎市)
- 堂崎教会(長崎県五島市)
- 聖フィリッポ教会(長崎県長崎市)、西坂教会ともいう。今井兼次設計
- 本所教会(東京都墨田区)
- 美濃加茂カトリック教会(岐阜県美濃加茂市)
[編集] 外部リンク
[編集] 関連項目
- 元和の大殉教
- 浦上四番崩れ(いわゆる浦上信徒弾圧事件)
- 日本のキリシタン一覧
- 長崎の教会群とキリスト教関連遺産
- カトリック西陣聖ヨゼフ教会(引き回しの起点近くに建てられた)
最終更新 2009年11月10日 (火) 00:33 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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