日本橋 (東京都中央区)
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日本橋(にほんばし/英語表記:Nihonbashi / Nihombashi)
- 日本国東京都中央区の日本橋川にかかる中央通りの橋。東京都区部の道路元標があり、日本の道路網の始点となっている。
- 日本国東京都中央区の地名。上記の橋周辺一帯の地域とその町名。日本銀行本店や東京証券取引所が立地する日本を代表する金融街で、高島屋や三越といった老舗の商業施設も多く立地する。
目次 |
[編集] 日本橋(橋梁)
渓斎英泉筆
橋としての日本橋は、東京都中央区の日本橋川の上に架かる橋。
- 1603年(慶長8年)- 江戸幕府を開いた徳川家康の全国道路網整備計画に際して架けられ、初代は木造の橋だった。現在、北側部分を原寸で復元したものが江戸東京博物館に展示されており、入場者が入り口から他の展示物に行く際に通る。
- 1604年(慶長9年)- 五街道の基点とされ、江戸の中で最も賑わっていた。浮世絵による風景画に描かれる日本橋には背後に富士山が描かれることが多く、江戸の象徴とも言えた。
- 1657年(明暦3年)-1858年(安政5年)- 江戸は火事が多く、日本橋は江戸幕府成立から幕末に至るまでの間に幾度も焼け落ちている。日本橋の焼失は、1657年の明暦の大火による全焼にはじまり、明治維新までに合わせて10回(全焼8回・半焼2回)を数えた[2]。
- 明治初期 - 明治政府に招かれた肥後の著名な石工である橋本勘五郎によって架けられる。
- 明治後期 - 東京遷都30年を記念して日本橋の両端に杉細工の「緑門」と呼ばれる鳥居が建てられていた(1898年〈明治31年〉4月12日の落成、鳥居の失われた時期は不明)。
- 1911年(明治44年)- この時期に架けられた石造(花崗岩製)の二連アーチ橋が、現在の日本橋である。
- 1963年(昭和38年)- 昭和高度経済成長期、東京オリンピックを控えたこの時期、橋の真上に首都高速道路が建設されるに至って、橋からは空を見上げる事さえできなくなり、人の賑わいもなくなった。これにより、江戸期の面影を見ることはできない。
- 1999年(平成11年)- 日本橋が国の重要文化財に指定された。
- 2006年(平成18年)- 有識者会議である「日本橋川に空を取り戻す会(日本橋みち会議)」が、首都高速道路を地下に移設して周辺を親水公園などに造り変えるという再開発構想をまとめ、提言書を小泉純一郎首相(当時)に提出[3]。
近年では、日本橋付近の住民の要望で橋の上にある首都高速道路を地下へ移転し、景観を復活させる構想が立てられている。小泉純一郎元総理もそれを後押しする発言をしているが、予算が5000億円といった莫大な資金になるため石原慎太郎都知事は反対している。都市景観の問題や行政の問題対応能力と絡めて韓国・ソウルの清渓高架道路の撤去計画と対比されることもある。
[編集] 道路元標
戦前の道路法では、各市町村に道路の始点となる道路元標の設置を義務付けていた。その場所は概して市役所や県庁などとされていたが、首都たる東京市は江戸時代を踏襲して、日本橋を道路元標とした。
現行の道路法では道路元標に関する規定は無いが、今日でも橋の中央には「日本国道路元標」の文字が埋め込まれており、橋の袂(たもと)にはそのレプリカがある。現在、日本橋を始点としている国道は、以下の7本である。
国道1号(終点:大阪市・梅田新道)
国道4号(終点:青森市・青い森公園前)
国道6号(終点:仙台市・苦竹IC)
国道14号(終点:千葉市・広小路交差点)
国道15号(終点:横浜市・青木通交差点)
国道17号(終点:新潟市・本町交差点)
国道20号(終点:長野県塩尻市・高出交差点)
- ただし、日本橋から実際に始まっている路線は国道1号と国道4号の2本のみである(他の路線は重複区間扱い)。
江戸時代も古くから道路の始点であった日本橋の袂には、早くから商店が軒を連ねていた。現代社会ではそれがいっそうの発展を見せ、三越や高島屋などの百貨店が集まっている。
国道の補足情報として「#日本橋からの距離(国道)」も参照のこと。
[編集] 文化財
今日ある第十九代日本橋は1999年(平成11年)5月13日、「日本橋」として国の重要文化財(建造物)に指定されている。しかしながら首都高速道路に覆われてしまっている状況もあり、さまざまな方面から意見が交わされている[4]。
[編集] 日本橋一丁目 - 三丁目
東京都中央区の地名で、旧日本橋区の地域にある。1960年代に、それまでの通(とおり)1〜3丁目と江戸橋1〜3丁目を統合して、新しい町丁名として誕生した。
郵便番号は、103-0027である。
[編集] 地理
日本橋地域の南西側に位置する。
- 河川・橋
[編集] 歴史
1973年に住居表示の実施により、下記2町の合併により現在の日本橋となった。
[編集] 旧町名
- 日本橋通(1 - 3丁目)
- 日本橋江戸橋(1 - 3丁目)
[編集] 地域
- 機関
- 企業
[編集] 観光
- 日本橋一丁目ビルディング(COREDO日本橋)- 日本橋駅直結
- 高島屋 日本橋店(日本橋タカシマヤ)- 日本橋駅直結
- 丸善 日本橋店 - 日本橋丸善東急ビル内・日本橋駅直結
[編集] 交通
- 首都高速道路・出入口
[編集] 日本橋地域
[編集] 概要
東京都中央区のおよそ北半分の地区に見られる数多くの「日本橋○○町」という町名は、中央区発足時の町名変更の名残である。この地はかつて日本橋区[5]であったが、終戦後東京都の主導により南に接する京橋区(現在の中央区のおよそ南半分)と合併することになった。日本橋区会(現在の区議会に相当)では他区との合併に難色を示す議員が多く、統合後も日本橋の名前だけは残したいとの意向から、京橋区との合併決議に、町名に日本橋を冠することとする項目が盛り込まれ、中央区発足時に、旧・日本橋区内のすべての町名に日本橋が冠称された[6]。
その後、戦災復興期の区画整理により日本橋呉服橋は八重洲一丁目に、1970年(昭和45年)以降の住居表示実施に伴う町名の統合により日本橋芳町や日本橋北堀町などが隣接する既存の町名に変更され、日本橋を冠する町名の一部は消滅した。また、日本橋(後述)や東日本橋(旧・日本橋両国など)といった新しい町名が住居表示実施に伴い誕生した。
日本銀行本店があるのは日本橋本石町、三越日本橋本店があるのは日本橋室町1丁目、高島屋東京店は日本橋2丁目にある。
- 「日本橋」を冠する現町名
- 「日本橋」を冠さない現町名
- 日本橋一丁目 - 三丁目
- 東日本橋一丁目 - 三丁目
- 八重洲一丁目
[編集] ギャラリー
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三越日本橋本店 |
[編集] 関連事項
[編集] 日本橋からの距離(国道)
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[編集] 国道1号 名古屋・静岡・横浜方面
- 名古屋 386km
- 静岡 197km
- 横浜 30km
[編集] 国道4号 仙台・福島・宇都宮方面
- 仙台 347km
- 福島 268km
- 宇都宮 109km
[編集] 国道6号 仙台・いわき・水戸方面
- 仙台 346km
- いわき 193km
- 水戸 109km
[編集] 国道14号 千葉・船橋方面
- 千葉 40km
- 船橋 25km
[編集] 国道15号 横浜・川崎方面
- 横浜 29km
- 川崎 19km
[編集] 国道17号 新潟・前橋・高崎方面
- 新潟 350km
- 前橋 116km
- 高崎 104km
[編集] 国道20号 塩尻・甲府・八王子方面
- 塩尻 225km
- 甲府 141km
- 八王子 46km
[編集] 三井村
現在、日本橋には三越や三井不動産を始めとする三井グループの本社が建ち並び、丸の内の三菱村と並ぶ三井村と言われている[誰?]。2005年(平成17年)には重要文化財である三井本館の隣に大型複合再開発ビル、日本初のマンダリン・オリエンタル東京も入居する日本橋三井タワー(三井新館)が開業した。
[編集] 箱根駅伝
1999年(平成11年)以降、箱根駅伝の第10区はコースを日本橋経由へ変更している。これは日本橋周辺の商工会からの要請であると同時に、東海道の始点である日本橋を通るという事が箱根駅伝のクライマックスを飾るに相応しい、と判断されたからである。
[編集] 日本橋美人
日本橋を活性化する目的で2005年(平成17年)10月1日より発足した、「日本橋美人プロジェクト」にて外見の美しさだけを求めず内面の美しさも求めた女性を定義する語として誕生。提唱者は日本橋OLクラブ部会長の山田晃子。
[編集] 日本橋に関連した創作物
日本橋もしくは同町を題材とした創作作品
- 絵画
- 『東海道五十三次之内 日本橋』:歌川広重の浮世絵。「#日本橋(橋梁)」に画像資料あり。
- 『木曾街道 続ノ壱 日本橋 雪の曙』:渓斎英泉の名所絵(浮世絵)。画像について上に同じ。cf. 歌川広重・渓斎英泉の木曽海道六拾九次 - 江戸時代の旅について
- 小説
- 映画
- 『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(2007年):西岸良平原作
- 民謡
- 『お江戸日本橋』
[編集] 脚注
- ^ あけ-ななつ-だち。午前4時頃に出立すること。
- ^ 日本橋の焼失が記録されているのは1657年・1682年・1698年・1711年・1716年・1772年・1806年・1829年・1846年・1858年である。そのうち1711年と1858年が半焼で、残りの8回は全焼であった。 -西山松之助「火災都市江戸の実体」『江戸町人の研究 第5巻』同編、吉川弘文館、1978年、P.57
- ^ "日本橋の首都高を地下に 首相は具体化検討を指示". 47NEWS (2006-09-15). 2009年10月17日 閲覧。
- ^ 2005年(平成17年)12月に「美しい景観を創る会」(代表:伊藤滋〈早稲田大学教授〉)によって「悪い景観百景」の第1弾七十選の一つにも選定された。もっとも一方で、「日本橋よりも、日本の高度な土木技術史の象徴となった首都高速道路の方が歴史的価値が高い」との五十嵐太郎(東北大学助教授)からの反論がある2006年11月20日付 読売新聞
- ^ 1878年(明治11年)施行の郡区町村編制法により設置、東京市・東京都の区を経て、隣接する京橋区と合併し、中央区となった。
- ^ 昭和22年東京都告示第149号。これと同様の町名変更には神田や麻布地区などがある。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 八重洲一丁目・日本橋地区 町名の由来 - 中央区ホームページ内
- 日本橋・日本国道路元標 - 中央区観光協会
- 日本橋美人“Japan Beauty from Edo-Tokyo” - 東京中央ネット
- 古今・お江戸日本橋 日本橋”町”物語 - 東京都印刷工業組合 日本橋支部
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最終更新 2009年10月17日 (土) 12:53 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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