日本現代企画
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日本現代企画(にほんげんだいきかく、1969年 - 1977年)は、かつて東京に存在した日本のテレビ製作会社である。『スーパーロボット マッハバロン』をはじめとしたいわゆる「バロンシリーズ」を手がけ、東洋現像所(現IMAGICA)が所有したスキャニメイトを多用した特撮番組を製作したことで知られる。
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[編集] 略歴
1969年、テレビ映画『怪奇大作戦』の製作終了後、同作を製作した円谷プロダクションから、照明技師小林哲也、撮影技師鈴木清を中心としたスタッフが独立して、設立されたのが同社である。その背景には、円谷プロでのテレビ映画『マイティジャック』の失敗と赤字があり、このスタッフはもともと社内での照明施設整備のために結集したものであったこと、さらには、砧地区から至近の狛江市に特撮用ステージを計画していたことが存在する。同スタッフとステージをもって、同社は「貸しスタジオ」として始まった。
1971年、『月光仮面』で知られる宣弘社の下請けで『シルバー仮面』を製作したのが、最初の特撮作品である。このとき、監督の実相寺昭雄が設立し、おなじく同作に製作協力としてクレジットされた会社を「コダイグループ」と名づけたのは、同社の「現代」との対比による。ひきつづき、『アイアンキング』と『スーパーロボット レッドバロン』を宣弘社の下請けで製作したが、『レッドバロン』が打ち切りになり、おなじリソースをもとに日本テレビで単独で製作したのが『スーパーロボット マッハバロン』である。小林は照明技師からプロデューサーへ、鈴木は撮影技師から監督へと転身した。
1974年、ブームとなったテレビ映画『日本沈没』を特撮パートのみ東宝映像(現東宝映像美術)から下請けで製作したり、1975年には『少年探偵団 (BD7)』を製作、1976年に円谷から下請けした『恐竜探険隊ボーンフリー』の部分請負を最後に、1977年、同社の代表取締役社長・小林が辞任し、解散となる。
同年、鈴木清を中心に同社のスタッフが結集されて、設立されたのが「創英舎」である。いわゆる「バロンシリーズ」の第3作『小さなスーパーマン ガンバロン』は創英舎の製作となったが、「日本現代企画」の名が残されている。
[編集] 概要
[編集] フィルモグラフィ
- シルバー仮面 (1971年 - 1972年、宣弘社/TBS) - 制作協力
- アイアンキング (1972年 - 1973年、宣弘社/TBS) - 制作協力
- ウルトラマンT(1973 - 1974年、円谷プロダクション/TBS) - 第4 - 5話のみ制作協力
- スーパーロボット レッドバロン (1973年 - 1974年、宣弘社/日本テレビ) - 制作協力
- スーパーロボット マッハバロン (1974年 - 1975年、日本テレビ) - 制作著作
- 日本沈没 (1974年 - 1975年、東宝映像/TBS) - 制作協力
- 少年探偵団 (BD7) (1975年 - 1976年、読売広告社/日本テレビ) - 制作著作
- それ行け!カッチン (1975年 - 1976年、国際放映/TBS) - 制作協力
- 三日月情話 (1976年、東海テレビ) - 制作著作
- 火曜日のあいつ(1976年、東宝株式会社/TBS) - 制作協力
- 渚より愛をこめて(1976年、東海テレビ) - 制作著作
- 恐竜探険隊ボーンフリー (1976年 - 1977年、旭通信社/円谷プロダクション/NET) - 制作協力
- 小さなスーパーマン ガンバロン (1977年、読売広告社/創英舎/日本テレビ) - 制作協力
[編集] 外部リンク
- 狛江スタジオ - 研究サイト「光跡」の一項目
最終更新 2009年7月19日 (日) 10:21 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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