日本興亜損害保険

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日本興亜損害保険株式会社
NIPPONKOA Insurance Company, Limited
種類 株式会社
市場情報
東証1部 8754
大証1部 8754
名証1部 8754
略称 日本興亜損保
本社所在地 〒100-0013
東京都千代田区霞が関3丁目7番3号
電話番号 03-3593-3111(本社代表)
設立 1944年10月1日
業種 保険業
金融機関コード 9853
事業内容 損害保険業
代表者 兵頭誠(取締役社長)
資本金 912億49百万円
(2009年3月31日現在)
発行済株式総数 8億1674万3118株
(2009年6月26日現在)
純利益 単体101億11百万円
連結99億71百万円
(2009年3月31日現在)
純資産 単体3473億29百万円
連結3454億67百万円
(2009年3月31日現在)
総資産 単体2兆6717億15百万円
連結3兆0895億23百万円
(2009年3月31日現在)
従業員数 単体8608名、連結9501名
(2009年3月31日現在)
決算期 3月末
主要株主 ステート ストリート バンク アンド トラスト カンパニー 8.76%
ロングリーフ パートナーズ ファンド 7.80%
日本通運株式会社 4.35%
(2009年3月31日現在)
主要子会社 日本興亜生命保険株式会社 100%
そんぽ24損害保険株式会社 100%
関係する人物 山県勝見
亀山甚
外部リンク http://www.nipponkoa.co.jp/
  

日本興亜損害保険株式会社(にっぽんこうあそんがいほけん、NIPPONKOA INSURANCE CO., LTD.)は、日本の損害保険会社である。通称、日本興亜損保。本社は、東京都千代田区霞が関3丁目7番3号。

目次

[編集] 概要

2001年4月1日日本火災海上保険株式会社興亜火災海上保険株式会社が合併して発足。さらに2002年4月1日に太陽火災海上保険株式会社と合併している。

特定の金融グループに属さない独立系の保険会社であったが、UFJグループ(旧三和銀行 現・三菱UFJフィナンシャルグループ(MUFG))と親密であったことに加え、フィナンシャルワンに発足当初から参加していることなどから、現在はMUFG系とみなされることが多い(ただし、日本興亜損保では現在でも自らを独立系としている)。近年、明治安田生命保険とも親密となっている。

筆頭株主のサウスイースタン・アセット・マネジメントは損害保険ジャパンとの経営統合を要求しているとされ、統合によって草刈場とされることを懸念した兵頭誠社長の留任に反対を表明した。このため自主独立路線を貫けるか、業界再々編の中で行方が注目されていた[1]。世界的な金融危機による自動車保険の急激な契約減少と、三井住友海上火災保険などが経営統合し、大手同業他社と経営規模が離されることを受けて、2009年3月13日、株式会社損害保険ジャパンとの間で、2010年4月1日に共同株式移転で共同持株会社を設立して経営統合することで基本合意した。持株会社の名称は、NKSJホールディングスとなる見込み。経営統合後も独自ブランドで展開していく予定である。しかしながら、役員OBによる「経営統合反対・新たな社長の選任」の意見表明[2]などもあり、経営統合の実現は楽観できない。

CMキャラクターには、合併当初より石原軍団を起用していたが、今秋に契約切れとなった。 プロゴルファーの原江里菜とは引き続きプロモーション契約を結んでいる。

[編集] 前身会社について

  • 日本火災海上保険
東京都中央区に本社を置いた損害保険会社。大手五社(東京海上安田火災住友海上・大正海上・日本火災)の一角に数えられた。1944年、東京の日本火災保険(東京川崎財閥)と大阪の日本海上保険(北前船主の共同出資)が対等合併して成立。戦後、三和銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)をメインバンクとしたが、第一銀行(現在のみずほコーポレート銀行みずほ銀行)の第一原子力グループにも参加。特定の銀行・企業グループが薄い会社とも言われた。東京地区では長年ラジオの文化放送で「救急速報」「火災速報」「セーフティインフォメーション」を提供していた。末期には俳優段田安則をCMキャラクターに起用。「日本火災ください」をキャッチフレーズとしていた。
  • 興亜火災海上保険
東京都千代田区に本社を置いた損害保険会社。1944年、大北火災保険、尼崎海上火災保険、辰馬海上火災保険、神国海上火災保険の4社が合併のため解散して、大阪市に興亜海上火災運送保険を設立。1948年東京に本社を移転。1954年興亜火災海上保険に改称した。三和銀行をメインバンクとし、また旧大北火災保険の大口出資者が日本通運だったことから、日通との関係が深かった。また、旧辰馬海上火災の合併の関係上、戦前から辰馬財閥との関係が緊密であったとされる山縣家の面々が大株主に入っていたことも多かった。キャッチフレーズは「まさかのために興亜火災」。CIを導入して間もない末期のCMキャラクターはタレント司会者関口宏を起用していた。1981年から1984年までの4年間、後楽園球場のバックネットに広告を出していた。
  • 太陽火災海上保険
東京都千代田区に本社を置いた損害保険会社。1951年大倉財閥をバックに設立。1967年、太陽生命保険、日本相互銀行(のちの太陽銀行。現在の三井住友銀行)と包括業務提携を結ぶ。太陽生命同様、保険商品に「ひまわり保険」の商品名を使用。太陽生命・太陽神戸銀行と連携した商品販売を行っていた。太陽生命が大同生命と提携することで三和銀行系に移籍したのに伴い、太陽火災も三和銀行系の日本興亜損保に急接近し(但し、合併まで晩年旧さくら銀行の融資系列であった)、結局合併した。

[編集] 不祥事

2003年11月6日、同社の子会社である日本興亜生命保険所属のある保険代理店が生命保険の販売に当たり、違法な保険募集(虚偽説明、重要事項の説明不足、無登録募集)を行っていたが、同社はそれを知りながら、同代理店への監督責任があるにもかかわらず同代理店の違法行為を放置し続けた。これを重く見た金融庁は、同社に対し12日間の業務停止命令および業務改善命令の行政処分を言い渡した。[3]

2005年9月27日、損保16社による保険金の大量不払いがあったことが判明し、同社もその中に含まれていた。この時点で判明した不当な不払い件数は22,087件、金額にして7億8,257万円[4]。主に自動車保険の特約に集中していた。そして同年11月25日、追加で判明した10社と合わせて26社となったが、同社はその内の1社として金融庁から業務改善命令の行政処分を受けた。[5]

その後も同社では保険金の不当な不払いが後を絶たず、翌年(2006年9月29日に発表された同社の調査結果によると、先の調査以外に10,138件もの不適切な不払いが判明した。[6]

さらにその後の2006年11月1日、損保業界で第三分野保険での不当な不払いがあったことが発表され、同社もこれに漏れず不当な不払いを行っていた。この時点で判明した同社による第三分野保険での不払い件数は833件、金額にして2億1,500万円に登る。[7][8] そして2007年3月14日、この事態を重く見た金融庁により、同社は業務改善命令に加え、同年4月2日から3ヶ月間、第三分野商品の販売禁止を命令(一部業務停止命令)されるという厳しい行政処分を科されることになった。[9][10]

このように、次から次へと新たな不当不払い事案が明らかになり、問題の終息が感じられないことを重く見た金融庁が、2006年11月17日に損保各社に不払いの再々調査を指示。同社は2007年4月末までに調査が完了すると発表し、同年4月27日にその調査結果を発表。これによると、新たに2万3733件、金額にして13億9,528万円もの不払いが確認され、合計で6万2,514件、金額にしておよそ40億9千万円まで不払いが膨らんだ[11]

保険金不払い以外では、2006年12月10日に2×4工法の建築物に対する火災保険料を取りすぎていた問題が発覚している。 金融庁の指導の下に、損害保険各社が一斉に実施している現契約内容の確認は、日本興亜は2007年4月からこの確認を説明点検運動と称し行っており、契約者自身に契約内容を確認するよう依頼してきた。2008年6月30日現在で13万4,600件、約30億円の取りすぎが判明したと公表している[12]

なお、金融庁の指導の下に、損害保険各社が一斉に実施している現契約内容の確認は、日本興亜は2007年4月からこの確認を説明点検運動と称し行っており、契約者自身に契約内容を確認するよう依頼してきた。すべて確認作業は終了したとの報告が金融庁にされているようだが、実際は是正処理などの遅延が発生していて、完全に確認を終えたとは言えない状態にある。

[編集] 引責辞任

こうした保険金の不当不払いが相次ぐ中、2007年4月1日から当時社長の松澤建が代表権の無い会長職へと退くことが2007年1月12日に発表された。[13] 松澤は大量不払い問題による引責辞任であることを否定したが、事実上は引責辞任と見られている。[14] なお、この発表以降に金融庁から何らかの行政処分が下された場合は、松澤は会長職も辞任する意向を示していたため、同年3月14日の行政処分を受けて会長職には就かない可能性が一時は濃厚となったが、結局は会長職に就任した。[15]

後任には当時副社長職を勤めていた兵頭誠が昇格し社長となった。しかし兵頭社長は就任翌年、株主総会を前に筆頭株主である米国の投資ファンドから取締役再任に反対を表明された。[16] 更に、筆頭株主から再編を促され、損保ジャパンと経営統合計画を2009年3月に発表したが、同ファンドから、再び取締役再任反対を表明された。[17] 役員OBが経営統合計画に反対の意思を表明するなど先行きが不透明となっていたが、これに加えて保険金支払先延ばしの疑惑が報道され、その最中の2009年6月25日に開催された株主総会は紛糾し、兵頭社長への不信と経営統合への不安が高まった。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 米ファンド、「日本興亜に損保ジャパンとの統合要求」朝日新聞2008年12月30日
  2. ^ 日本興亜の松沢前会長ら、損保Jとの統合撤回を呼び掛け、社長交代も。ブルームバーグ 2009年9月11日
  3. ^ 金融庁 平成15年11月6日「日本興亜生命保険(株)、日本興亜損害保険(株)及びピーシーエー生命(株)に対する行政処分について
  4. ^ 過去3年間(2002年7月~2005月6月)のもの。
  5. ^ 金融庁 平成17年11月25日「損害保険会社26社に対する行政処分について」保険業法第132条第1項等の規定に基づく命令(業務改善命令)
  6. ^ 日本興亜損害保険 平成18年9月29日 付随的な保険金のお支払漏れについて
  7. ^ 過去5年間(2001年7月1日~2006月6月30日)のもの。
  8. ^ 日本興亜損害保険 平成18年10月31日 第三分野商品の不払事案に係わる検証結果および保険料払込免除手続の未実施事案の自主調査について
  9. ^ 日本興亜損害保険 平成19年3月14日 弊社に対する行政処分について
  10. ^ 損害保険会社10社に対する行政処分について - 金融庁
  11. ^ 日本興亜損害保険 「付随的な保険金のお支払漏れに係る追加調査結果」について(2007年4月27日)
  12. ^ 日本興亜損害保険 「火災保険の適正な募集態勢等に係る点検結果等について」(2008年7月4日)
  13. ^ 日本興亜損害保険 平成19年1月12日 代表取締役の異動に関するお知らせ
  14. ^ 2007年1月13日 日本興亜社長に兵頭氏 松沢社長、不払い問題で“引責”(フジサンケイ ビジネスアイ)
  15. ^ 日本興亜損害保険 第63回 定時株主総会招集ご通知(pdf) ← 64ページ目、松澤建の略歴参照。
  16. ^ 2009年3月26日 : 日本興亜の取締役選任に関する議決権行使について
  17. ^ 2009年3月26日 : 日本興亜の取締役選任に関する議決権行使について

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年9月12日 (土) 05:14 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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