日産・プリメーラ

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日産・プリメーラ (PRIMERA) は、日産自動車が生産していた乗用車である。かつては日欧両地域で生産・販売されていたが、日本では2005年に生産・販売が終了していて、2008年末を以て本拠地でも生産終了となった。特に初代モデル・2代目モデルはスポーティー志向が強く、主に20代から40代の比較的若い年齢層をターゲットとしていた。

目次

[編集] 概要

ボディタイプはセダンステーションワゴン、5ドアハッチバックの3種類を持つ。初代モデルは、徹底的に欧州車を意識しており、その乗り心地の硬さには、当初クレームが殺到したほどで、マイナーチェンジで足回りを改善した。 尚、この一貫した欧州車意識は、プリメーラ発売の少し前に日産がかつてライセンス生産していたフォルクスワーゲン・サンタナの影響によるもの。

[編集] 歴史

[編集] 初代 P10型(1990年-1995年)

日産・プリメーラ(P10型)
セダン
(日本仕様)
(後期型: 1994年9月-1995年9月)
 
 
ハッチバック(欧州仕様)
 
セダン(欧州仕様)
 
メーカー {{{メーカー}}}
 
親会社 {{{親会社}}}
 
製造国 {{{製造国}}}
 
製造期間 1990年 - 1995年
 
設計統括 {{{設計統括}}}
 
デザイナー {{{デザイナー}}}
 
乗車定員 5人
 
ボディタイプ 4ドア セダン
5ドア ハッチバック
 
ハイブリッド {{{ハイブリッドシステム}}}
 
エンジン 1.8L 直4 DOHC SR18Di 110PS
1.8L 直4 DOHC SR18DE 125PS
2.0L 直4 DOHC SR20DE 150PS
 
モーター {{{モーター}}}
 
最高出力/トルク {{{最高出力/トルク}}}
 
最高出力 {{{最高出力}}}
 
最大トルク {{{最大トルク}}}
 
変速機 5MT/4AT
 
駆動方式 FF/4WD
 
サスペンション 前: マルチリンク
後: パラレルリンクストラット
 
全長x全幅x全高 {{{全長x全幅x全高}}}
 
全長 4,400mm
 
全幅 1,695mm
 
全高 1,385mm
 
最低地上高 {{{最低地上高}}}
 
ホイールベース 2,550mm
 
車両重量 1,080 - 1,360kg
 
乾燥重量 {{{乾燥重量}}}
 
総重量 {{{総重量}}}
 
最大積載量 {{{最大積載量}}}
 
燃料タンク容量 {{{燃料タンク容量}}}
 
燃費 {{{燃費}}}
 
ステアリング位置 {{{ステアリング位置}}}
 
 
 
本体価格 {{{本体価格}}}
 
別名 {{{別名}}}
 
先代
 
後継 {{{後継}}}
 
姉妹車/OEM {{{姉妹車}}}
 
車台共有車 日産・サニー
日産・NXクーペ
日産・パルサー
日産・プレセア
 
同クラスの車 {{{同クラス}}}
 
1989年10月
第28回東京モーターショーコンセプトカー「PRIMERA-X」を出品。なお、この車両はフランクフルトショーにおいては「UV-X」として出品。
1990年2月
ブルーバードサニーのコンポーネンツの組合せを基本とするT12型スタンザならびにオースターの後継車として登場し、日欧両市場に投入された。
ボディタイプは日本国内では4ドアセダンのみ、欧州や台湾市場には5ドアハッチバックも存在し、一部は日本にも輸入されている (2.0eGT/2.0SLX) 。また、アベニールはプリメーラワゴンの名で欧州市場に投入されていた。日本仕様車は1800cc/2000ccのSR型エンジンに5速MTと4速ATの組み合わせだった。
ほぼ同時期に発表された日本国内専売車のプレセアとは対照的に、スタイリング、動的性能両面で欧州車を強く意識して開発された。901運動から生まれたフロント・マルチリンク式サスペンションによるハンドリングの評価は特に高く、発表当時には「欧州車を超えた」とすら評された。また、「プリメーラパッケージ」と称したその居住性は、コンパクトな車体ながら室内は当時のクラス最大級の広さを誇るものであり、スタイリングも居住性と空力性能をバランスよく両立させ且つ機能的で洗練されたもので、低全高で居住性に劣るハードトップ車が主流であった1990年代当時の日本市場では異色の存在であった。
日本市場ではバブル崩壊に伴うユーザーのベーシック志向への回帰と相まって、モデル末期まで堅調な販売実績を誇った。一方で、当時の日本のミドルクラスのファミリーセダンとしては足回りが固く、乗り心地には若干の難があった(ただし、1992年9月のマイナーチェンジ以降からダンパー、ブッシュ等のセッティングを見直しある程度乗り心地を改善させている)が、欧州車の足回りに近いと好意的に解釈されることも多かった。また、欧州車と対等に渡り合える初の日本車として、欧州車から乗り換えるユーザーも見られた。欧州市場でも、欧州カー・オブ・ザ・イヤーで日本車初の2位を獲得するなど、その評価は日本車としては異例なほど高かった。北米市場にもインフィニティチャンネルからインフィニティ・G20として投入された。
1990年7月
北米でインフィニティ・G20を発表。
1990年秋
英国サンダーランド工場で現地生産開始。
1990年10月
「T4」(4WD車)を追加。SR20DEにU12型ブルーバード等で定評のあった4WDシステム「ATTESA」の組み合わせ。「Te」と同様のフルエアロスポイラーもメーカーオプションで選択可能だった。
1991年5月
ヨーロッパ各賞受賞記念車として「Te-r」を7月までの期間限定で発売。
1991年10月
英国生産の5ドアハッチバックが日本へ輸入開始。同時に4ドアセダンを一部改良し、安全装備として前後サイドドアビームの追加やハイマウントストップランプの標準化などを行った。
1992年9月
4ドアセダンがマイナーチェンジ。1800ccエンジンがEGI化され、SR18Di型からSR18DE型に変更(これにより、馬力は110PS→125PS、燃費は13.2km/L→13.6km/Lと若干向上)。 2000cc車に電子制御ATを採用。2000ccの一部グレードにフルフレックスショックアブソーバーの採用。フロントターンシグナルランプのアンバー色化、ライセンスプレート取付面の黒色化など外装に若干の変更を受ける。内装はブラウンとブルーが廃止され、オフブラックに統一される。助手席パワーウインドウスイッチをドアにも設置。従来は4WD車のみに設定されていたトランクスルー、リアアームレスト、リアヘッドレストを2WDの一部グレードに拡大採用。Tm、CiグレードにLセレクション仕様車の追加。運転席エアバッグをOP設定など。
1993年1月
日産自動車60周年記念限定車として「Ci-S」を発売。
1993年5月
エアコンを新冷媒に変更。可変コンプレッサーの廃止。60周年記念限定車として、「Ci-S2」、「Tm-F」を発売。
1993年8月
一部改良。サイドシル部分のブラックアウト塗装の廃止など。
1993年11月
60周年記念限定車として、「Ci-S3」、「Tm-F2」を発売。
1994年1月
「Ciクルーズ」、「Tmクルーズ」を発売。
1994年2月
5ドアハッチバックがマイナーチェンジ。エアコンを新冷媒に変更。一部装備の簡略化。ハイマウントストップランプ、電子制御AT、EGIを採用。助手席パワーウインドウスイッチをドアにも設置。運転席エアバッグをOP設定など。
1994年9月
4ドアセダンがマイナーチェンジ。全車、ホイールを14インチ化。運転席エアバッグを標準装備。助手席エアバッグをOP設定。内外装を一部コストダウン。灰皿照明、グローブボックス照明、パワーウインドウ照明を廃止。オーテックバージョンと同仕様のスポーツスポイラーをTeにOP設定。Tm-Sセレクション、Ciクルーズ仕様車の追加、Ts の廃止。5ドアハッチバックの運転席エアバッグOP設定を廃止など。
1994年11月
オーテックジャパンより「オーテックバージョン」発売。
1995年1月
5ドアハッチバックがマイナーチェンジ。灰皿照明、グローブボックス照明、フロントパワーウインドウ照明を廃止。運転席エアバッグを標準装備。eGTの助手席にシートバックポケットを装備。5ドアハッチバック2.0SLX、4ドアセダン1.8SVを追加。
1995年6月
円高差益還元で5ドアハッチバックの価格を10万円値下げ。


[編集] 2代目 P11型(1995年-2001年)

日産・プリメーラ(P11型)
セダン(後期型: 1997年9月-2001年1月)
 
 
カミノワゴン
 
ハッチバック(欧州仕様・後期型)
 
メーカー {{{メーカー}}}
 
親会社 {{{親会社}}}
 
製造国 {{{製造国}}}
 
製造期間 1995年 - 2001年
 
設計統括 {{{設計統括}}}
 
デザイナー {{{デザイナー}}}
 
乗車定員 5人
 
ボディタイプ 4ドアセダン
5ドアハッチバック
5ドアステーションワゴン
 
ハイブリッド {{{ハイブリッドシステム}}}
 
エンジン 1.8L 直4 DOHC SR18DE 125PS
2.0L 直4 DOHC SR20DE 150PS
2.0L 直4 DOHC SR20VE 190PS
1.8L 直4 DOHC QG18DD 130PS
1.8L 直4 DOHC QG18DE 125PS
 
モーター {{{モーター}}}
 
最高出力/トルク {{{最高出力/トルク}}}
 
最高出力 {{{最高出力}}}
 
最大トルク {{{最大トルク}}}
 
変速機 5MT/4AT/Hyper CVT
 
駆動方式 FF/4WD
 
サスペンション 前: マルチリンク
後: マルチリンクビーム (2WD)
/パラレルリンクストラット (4WD)
 
全長x全幅x全高 {{{全長x全幅x全高}}}
 
全長 セダン/ハッチバック: 4,430mm
ワゴン: 4,515mm
 
全幅 1,695mm
 
全高 セダン: 1,400mm
ハッチバック: 1,415mm
ワゴン: 1,450mm
 
最低地上高 {{{最低地上高}}}
 
ホイールベース 2,600mm
 
車両重量 1,140 - 1,460kg
 
乾燥重量 {{{乾燥重量}}}
 
総重量 {{{総重量}}}
 
最大積載量 {{{最大積載量}}}
 
燃料タンク容量 {{{燃料タンク容量}}}
 
燃費 {{{燃費}}}
 
ステアリング位置 {{{ステアリング位置}}}
 
 
 
本体価格 {{{本体価格}}}
 
別名 {{{別名}}}
 
先代 {{{先代}}}
 
後継 {{{後継}}}
 
姉妹車/OEM {{{姉妹車}}}
 
車台共有車 日産・ブルーバード
 
同クラスの車 {{{同クラス}}}
 
1995年9月
初のフルモデルチェンジを受け、P11型に移行。初代の基本はT12型スタンザ/オースターを受け継ぐ形で同時期のU12型ブルーバードとB13型サニーの技術を組み合わせたもの[1]となっていたが、2代目ではU14型ブルーバードと基本コンポーネンツを完全に共用する[2]ものとなった。
ボディタイプは日本のデビュー当初4ドアセダンのみ。グリル等を変更したサニー店向け姉妹車「プリメーラカミノ」も同時に登場、欧州では5ドアハッチバックもラインアップされ、一部が日本にも輸入された(プリメーラUK 2.0GT)。また、1997年にはワゴンモデルも追加された。プリメーラカミノは日本人向け趣向を強めたエレガントで高級感のあるフロントフェイスとなっている。
初代の成功を踏まえ、基本的にはキープコンセプトでのモデルチェンジとなった2代目であったが、日本国内でセダン離れ(特に1800cc - 2000ccのミドルクラス・ファミリーセダン)の兆候が見え始めたことやライバル車種が増えたこと、日産自身の経営危機によるコストダウンでの品質低下などの要因から、初代ほどの成功を収めるには至らなかった。
初代に引き続き、欧州へは「プリメーラ」として英国サンダーランド工場生産車が供給された。また、北米市場へは「インフィニティ・G20」としてプリメーラカミノフェイスのモデルが投入された。
2代目は、新開発の車軸懸架・マルチリンクビーム式リアサスペンションを採用し、初代のウィークポイントであった乗り心地が大幅に改善された。日本仕様車の場合、エンジントランスミッションは初代からのキャリーオーバーであるが、エンジンは1800cc、2000cc共に若干リファインされて搭載されている。特にSR20DEは吸気系に「トルクアップレゾネーター」を採用したことにより、低 - 中回転域のトルクが向上した(後のHyper CVT車には不採用)。
安全性能をはじめ各部で大幅な改良が行われた一方で、2WD車のリアサスペンション車軸懸架・マルチリンクビーム式であったが、4WD車のリアサスペンションは初代の独立懸架・パラレルリンク式ストラットサスペンションが継続採用された。マルチリンクビーム式ではドライブシャフトが通せないためであり、この結果、スペース効率に優れるマルチリンクビーム式を採用しながら、フロア構造が2WD/4WD共通となったため、その利点を完全に生かし切ることはできなかった。
1996年2月
特別仕様車「エアロセレクション」を発売。2.0Te/2.0Tm Sセレクション以外にディーラーオプションのアルティア製エアロフォルムバンパー等装着車を設定。
1996年8月
デュアルエアバッグとABSが全車標準装備となる。1.8Ci Sセレクション追加。ABS標準装備に伴い、1800cc車のリヤディスクブレーキ廃止(従来1800cc車はABSとセットオプションでディスクブレーキが選択できた)。
1997年1月
特別仕様車「ナビセレクション」を発売。2.0Tm/1.8Ciにディーラーオプションのバードビューナビゲーションシステム及び収納型5インチ液晶ディスプレイ等装着車を設定した。同時に1996年2月設定車と同内容の「エアロセレクション」を発売。2.0Te/2.0Tm Sセレクション/1.8Ci Sセレクション以外に設定。
1997年2月
英国生産の5ドアハッチバック(プリメーラUK)を日本で発売。
1997年9月
マイナーチェンジ。中期・II型に。ワゴン登場と同時に、4灯ヘッドランプ(C.S.Rハロゲン)等を採用したフェイスリフト。可変バルブタイミング&リフト機構を備えた190PSを発揮する「NEO VVL」採用のSR20VE型エンジンとHyper CVTを組み合わせたスポーツモデル「セダン2.0Te-V」「ワゴン2.0G-V」がラインナップに加わり、「セダン2.0Te」廃止。5ドアUKを除くSR20DE 2WD車にマニュアルモードM6機構を省略したHyper CVTを採用、従来の油圧式4速ロックアップ付オートマチックが廃止される。ワゴンは全車4輪ディスクブレーキを採用。
1998年1月
オーテックバージョン「ワゴン・エアロスポーツ」を発売。2.0G-V/2.0G-4に専用エアロフォルムバンパー等装着車を設定。
1998年9月1日
マイナーチェンジ。後期・III型に。リヤコンビネーションランプの変更の他、キセノンヘッドランプ採用等のフェイスリフト。Hyper CVTとの組み合わせとなるQG18DD直噴エンジン (NEO Di) 搭載車を設定するとともに、SR18DEQG18DEリーンバーン (NEO) に差し替えられる。SR20DE 2WD車のHyper CVTがNEO VVL車と同じマニュアルモードM6機構付に、また、QG18DE車のATが新開発の電子制御フルレンジE-ATxとなる。セダン2.0Tm、5ドアUKは廃止となるが、オーテックバージョン「ワゴン・エアロスポーツ」はマイナーチェンジに対応して継続される。同月、南アフリカ日産自動車会社にてノックダウン生産を開始し、10月より南アフリカで販売開始。部品供給は英国から受けていた。ワゴンに2.0G-S追加。
1999年4月
日産販売店の再編により、プリメーラを扱うプリンス店、プリメーラカミノを扱うサニー店の取扱車種が共通化されたため、プリメーラカミノはモデル廃止され、プリメーラに一本化された。
1999年12月8日
ワゴンに「ツーリングスター」を追加。2.0G-V/2.0G/2.0G-4にニュースウェード&カブロンのコンビシート等を装着。また、同グレードのみ、キー一体型ではなく、アクセサリー式別体型リモートエントリーを採用し、メインキーをオーナメント入りのものとした。新色のスパークリングオレンジMをワゴン全車に追加設定。
2000年1月24日
3月末までの期間限定で特別仕様車、ワゴン「NAVIエディション」を発売。1.8G AT車にメーカーオプションのマルチAVシステムとプライバシーガラス装着車を設定した。
2000年6月6日
特別仕様車、セダン「NAVIエディション」を発売。1.8Ci LセレクションにメーカーオプションのマルチAVシステム等装着車を設定した。同時に、ワゴン「NAVIエディションII」を発売。NEO Diを除く1.8GにメーカーオプションのマルチAVシステム、プライバシーガラス等装着車を設定した。

欧州仕様モデル(英国日産自動車製造会社サンダーランド工場製)は日本向けがP12系に切り替わった2001年まで、2000年にフェイスリフトを受けたP11-144型を生産・販売していた。


[編集] 3代目 P12型(2001年-2008年)

日産・プリメーラ(P12型)
セダン(前期型)
 
 
ワゴン(後期型)
 
ハッチバック(欧州仕様・前期型)
 
メーカー {{{メーカー}}}
 
親会社 {{{親会社}}}
 
製造国 {{{製造国}}}
 
製造期間 2001年 - 2008年
 
設計統括 {{{設計統括}}}
 
デザイナー {{{デザイナー}}}
 
乗車定員 5人
 
ボディタイプ 4ドアセダン
5ドアハッチバック(欧州)
5ドアステーションワゴン
 
ハイブリッド {{{ハイブリッドシステム}}}
 
エンジン 2.0L 直4 DOHC QR20DE 150PS
2.5L 直4 DOHC QR25DD 170PS
2.0L 直4 DOHC SR20VE 204PS
1.8L 直4 DOHC QG18DE 125PS
 
モーター {{{モーター}}}
 
最高出力/トルク {{{最高出力/トルク}}}
 
最高出力 {{{最高出力}}}
 
最大トルク {{{最大トルク}}}
 
変速機 4AT/CVT/6MT
 
駆動方式 FF/4WD
 
サスペンション 前: マルチリンク
後: マルチリンクビーム (2WD) /パラレルリンクストラット (4WD)
 
全長x全幅x全高 {{{全長x全幅x全高}}}
 
全長 セダン: 4,565mm
ワゴン: 4,675mm
 
全幅 1760mm
 
全高 セダン: 1,480mm
ワゴン: 1,495mm
 
最低地上高 {{{最低地上高}}}
 
ホイールベース 2,680mm
 
車両重量 1,270kg - 1,410kg
 
乾燥重量 {{{乾燥重量}}}
 
総重量 {{{総重量}}}
 
最大積載量 {{{最大積載量}}}
 
燃料タンク容量 {{{燃料タンク容量}}}
 
燃費 {{{燃費}}}
 
ステアリング位置 {{{ステアリング位置}}}
 
 
 
本体価格 {{{本体価格}}}
 
別名 {{{別名}}}
 
先代 {{{先代}}}
 
後継 日産・ブルーバードシルフィに統合(セダン)
 
姉妹車/OEM {{{姉妹車}}}
 
車台共有車 日産・MSプラットフォーム
 
同クラスの車 {{{同クラス}}}
 
2001年1月30日
フルモデルチェンジ、3ナンバーの専用ボディとなる。初代、2代目に引き続き日欧をメイン市場として開発された。ボディタイプは4ドアセダンとワゴン、5ドアハッチバック(欧州のみ)と変化はない。ただし、3代目では英国製ハッチバックモデルの日本への輸入は行われていない。また、初代・2代目はインフィニティ・G20として北米市場で販売されていたが、後継車のG35セダン(日本名: スカイライン)が発売されたのに伴い、北米市場からは撤退することとなった。
新車発表は東京都現代美術館で行われ、4WDモデルはワゴンのみ先行発売。オーテックジャパンから運転補助装置を持つモデル「アンシャンテ」も同時発売された。目標月販台数はセダン2,000台、ワゴン3,000台。
デビュー直後の日本仕様車では、2500cc直噴と2000ccのQR型エンジンにそれぞれHyper CVTと4速ATが組み合わされていた。欧州仕様車には2200ccのYD22DDTi型、1800ccのルノー製F9Q型のターボディーゼルエンジンが搭載されているほか、廉価機種には1600ccガソリンエンジンも存在する。
3代目を最も特徴付けるのはその先進的なデザインである。セダンは日産デザインヨーロッパ デザインスタジオの手によるもので、前進させたキャビンと極めて短いトランクをアーチ型のラインで結んだモノフォルムに近い造形が特徴である。5ドアハッチバックでは更にモノフォルム感が強調されている。特にセダンのスタイリングに対する専門家筋の評価は高く、経済産業省グッドデザイン賞「金賞」やドイツ・レッドドットデザイン賞など、数々のデザイン賞を獲得している。しかし、先進的なスタイルの代償として、前後見切りは悪い。ちなみに3代目のボディのCd値は0.33という数値であるため空力性能に関してはそれほど高くはない(セダンでの場合)。
その一方、プリメーラのアイデンティティの一つとも言える動的性能面では特筆すべきトピックは少ない。前期モデルでは可変バルブタイミング機構「NEO VVL」付きのSR20VE型エンジン+6速MT搭載のスポーツモデルの20Vも追加発売されたが、マイナーチェンジを機に消滅した。この20Vは堺自動車教習所と富田林モータースクール(共に日産プリンス系)で、珍しくスポーツセダンベースの教習車として使われている。
また、ボディの大型化(いわゆる3ナンバー化)やセンターメーターの採用も、初代・2代目で培ってきたスポーツセダン/ワゴンとしてのプリメーラのイメージや性格を大幅に薄めてしまう結果となり、日本市場では既存のユーザーの支持を集めることができなかった。折からのセダン・ワゴン離れの傾向と同じ3ナンバーV6エンジンのティアナ登場も追い討ちをかけ、4気筒エンジンを搭載する性格が中途半端な3代目プリメーラは日本市場では商業的に失敗に終わった。
2001年8月28日
セダン、ワゴンに可変バルブタイミング機構「NEO VVL」付SR20VE型エンジン+6速MTを搭載したモデル、「20V」、「W20V」をそれぞれ追加。同日、セダンの4WD車を発売。
2001年9月5日
TV/ナビゲーションシステムを装備した新グレード、「20リミテッド」、「W20リミテッド」、「W20リミテッド 4」を発売。
2001年10月
セダンモデルが経済産業省グッドデザイン賞「金賞」を受賞。
2001年12月
ボディカラーの「ルミナスレッド(ワゴン)」「シリカブレス(セダン)」が2002年度オートカラーアウォードの審査委員特別賞と技術部門賞をそれぞれ受賞。
2001年12月19日
オーテックジャパンによってワゴン「ライダー」が追加される。
2002年2月6日
セダンにQG18DE型エンジンを搭載する廉価モデル「18C」を追加。
2002年3月
英国での生産を開始。
2002年5月27日
セダン/ワゴンを一部改良。カーウイングス対応TV/ナビゲーションシステム(DVD方式)を設定。さらに、QR20DE型エンジン搭載車のグレード体系を見直し、一部グレードの仕様装備の向上を図った。同日、「20G」、「W20G」をベースに、TV/ナビゲーションシステムを標準装備した「NAVIエディション」および、メッシュタイプグリル、16インチアルミロードホイール、本革巻きステアリングなどを装備した「Vエディション」を追加。
2002年7月2日
ドイツ・レッドドットデザイン賞を受賞。
2003年7月8日
セダン/ワゴンをマイナーチェンジ。フロントグリル、バンパーなどの意匠を変更し、内装についても、クロムメッキ、木目調フィニッシャーの採用、新内装色、本革シートなどを設定し、前席アクティブヘッドレストの全車標準装備化を行った。フロント/リヤサスペンションのショックアブソーバー減衰力の最適化、リヤスプリングのばね定数の見直し、ステアリングの油圧特性変更、フリクション低減を行った。同時にスポーツモデルの「20V」、「W20V」が消滅。
2005年12月
日本国内での販売を終了しラインアップから消滅。なお、欧州では引き続き、英国日産サンダーランド工場にて生産・販売を継続した。同月、ブルーバードシルフィがモデルチェンジし、従来より1クラス上のミドルクラスセダンに格上げされたことにより、プリメーラの日本国内での生産・販売が中止されることとなった[3]
2007年
ドイツでの販売を終了。翌2008年には生産・販売を完全に終了した。

[編集] 車名の由来

「第一級の、最高級の」という意のスペイン語に由来する。

[編集] モータースポーツ

[編集] 初代(P10型)

1993年
英国ツーリングカー選手権 (BTCC) にヤン・レーシングから2台がシーズン通して参戦。メインスポンサーはカストロール、ボディカラーはブラック、タイヤはヨコハマタイヤ。ドライバーはキース・オードアとウィン・パーシーだった。当初はプライベーターとしての参戦だったが、シーズン中盤の第8戦ペンブレイでは追浜の日産自動車スポーツ車両開発センターが仕立てた3台目のプリメーラが参戦。以後、ヤン・レーシングには日産からの技術協力が行われ、戦闘力の強化されたマシンは第9戦シルバーストーンでは1-2フィニッシュを遂げている。
また、同年はイタリアツーリングカー選手権(スーパーツーリズモ)にも2台が参戦。元F1ドライバーのイヴァン・カペリもドライブしている。
1994年
英国ツーリングカー選手権 (BTCC) にヤン・レーシングから3台がシーズン通して参戦。メインスポンサーはオールドスパイス、ボディカラーはレッド、タイヤはダンロップ。ドライバーは元F1ドライバーのエリック・ヴァン・デ・ポール、キース・オードア、ティフ・ニーデルの3人だった。
同年から始まった全日本ツーリングカー選手権 (JTCC) にNISMOからエントリーの2台がシーズン開幕からフル参戦。カストロール・プリメーラ(ボディカラーはグリーン)を長谷見昌弘が、カルソニック・プリメーラ(ボディカラーはブルー)を星野一義がそれぞれドライブした。タイヤは2台ともブリヂストン
1994年10月、富士スピードウェイで行われた最終戦インターTEC・ラウンド17にてカルソニック・プリメーラが優勝。
1995年
全日本ツーリングカー選手権 (JTCC) にNISMOからエントリーの2台が引き続きフル参戦。ユニシアジェックス・プリメーラ(ボディカラーはホワイト/オレンジ)を長谷見昌弘が、カルソニック・プリメーラ(ボディカラーはブルー)を星野一義がそれぞれドライブした。タイヤは2台ともブリヂストン
1995年11月 富士スピードウェイで行われた最終戦インターTECにてカルソニック・プリメーラがラウンド15で2位。ラウンド16で優勝した。
この年、BTCCへの参戦は一時休止し、代わりにドイツツーリングカー選手権(クラス2ツーリングのSTWカップ)に参戦。ボディカラーはブルー。ドライバーはキース・オードア、イヴァン・カペリ、サシャ・マーセンの3人。エースのオードアが、終盤のアヴスの第1レースで初優勝を飾るが、続く第2レースで壁に激突。さらに後続車が運転席側に突っ込む大惨事が発生してしまい、死亡してしまう。その後行われた最終戦、チームは欠場している。
1996年
英国ツーリングカー選手権 (BTCC) に復帰。P10型2台がシーズン通して参戦。チーム体制は元ツーリングカーレーサーのアンディ・ロウズ率いるロウズ・スポーツ (ROUSE SPORT) がプライベーターとして参戦した。ボディカラーは青、タイヤは当初ヨコハマタイヤだったが、シーズン途中でタイヤはミシュランに変更された。後半戦からリバース・ヘッドタイプのSR20DEを搭載しており、マシンとしての戦闘力がアップしていた。ドライバーはゲリー・アイレスとオーウェン・マッコリーだった。ちなみに、このロウズ・スポーツチームのP10系プリメーラは同年、富士スピードウェイで行われたJTCC最終戦・インターTECに試験的にエントリーした。ドライバーは1994年のJTCCでチャンピオン争いをしたアンソニー・レイドで、不調気味だったJTCC仕様P11系をさておいて終始優勝争いを演じている。この結果を重く見たNISMOが、翌1997年型JTCC用マシンへのリバース・ヘッドタイプエンジンの採用を決めたと言われている。
またこの年は、前年に続きSTWカップに参戦。ドライバーはカペリ、マーセンの二人が継続。そして亡くなったオードアに代え、アンソニー・レイドが参戦した。しかし成績はパッとしなかった。

[編集] 2代目(P11型)

プリメーラGT
英国ツーリングカー選手権 出場車
1996年
全日本ツーリングカー選手権 (JTCC) に2台がフル参戦。NISMOからエントリーのユニシアジェックス・プリメーラカミノ(ボディカラーはホワイト/オレンジ)を影山正彦が、チーム・インパルからエントリーのカルソニック・プリメーラ(ボディカラーはブルー)を星野一義がそれぞれドライブした。また、シーズン途中でNISMOからエントリーのザナヴィ・サニーの本山哲がマシンをプリメーラカミノにスイッチ。ザナヴィ・プリメーラカミノ(ボディカラーはシルバー/ブルー)としてシーズン終了まで参戦した。タイヤは影山、星野がブリヂストン、本山がミシュラン。
1996年7月、第4戦美称スーパーツーリングカー・ラウンド7にて優勝。ちなみに、同年のJTCC仕様ユニシアジェックス・プリメーラカミノはその後某所にて保管され、現在は日産の座間事業所内にある座間記念車庫に保管されている。
1997年
英国ツーリングカー選手権 (BTCC) にNME/RMLのエントリーで2台がフル参戦。BTCC用マシンはこの年からP11系にスイッチした。チーム体制はニッサン・モータースポーツ・ヨーロッパ (NME) とレイ・マロック・リミテッド (RML) がジョイントしたものに変更。エンジン開発をジャッドが行った。メインスポンサーはボーダフォン。シーズン前半までは大文字Vのロゴに大文字でVODAFONEと書かれていたが、シーズン途中のノックヒルから日本でもお馴染のロゴになった。ボディカラーはその後1999年まで続くホワイトにヘルメットをイメージしたスプラッシュが入ったもの(この年は、青、赤の他に黄、緑のスプラッシュがペイントされていた)。タイヤはミシュラン。ドライバーはアンソニー・レイドとデイビッド・レズリーを起用した。
この年の全日本ツーリングカー選手権 (JTCC) には2台がフル参戦。NISMOからエントリーのザナヴィ・プリメーラカミノ(ボディカラーはシルバー/ブルー)を本山哲が、チーム・インパルからエントリーのカルソニック・プリメーラ(ボディカラーはブルー)を星野一義がそれぞれドライブした。タイヤは2台ともブリヂストン。ちなみに、この年JTCCは車両規定が変わり、オーバーフェンダー装着が可能となるなど、BTCCマシンとは異なるモディファイが施された。
1997年5月、第3戦菅生スーパーツーリングカー ラウンド6にて優勝。
1997年11月、最終戦インターTEC ラウンド16にて優勝。なお、日産はJTCCからはこの年を持って撤退している(JTCCも翌年をもってシリーズが消滅した)。
同年、前年型JTCC仕様のレースカーが東南アジア・ツーリングカー・ゾーン・チャレンジ (SEATCZC) に地元チームの手で参戦した。ちなみに、同年のJTCC仕様ザナヴィ・プリメーラカミノはその後某所にて保管され、現在は日産の座間事業所内にある座間記念車庫に保管されている。
1998年
英国ツーリングカー選手権 (BTCC) にNME/RMLのエントリーでフル参戦。メインスポンサーはボーダフォン、タイヤはミシュラン。ドライバーは前年に引き続きアンソニー・レイドとデイビッド・レズリー。シリーズ全26戦中、年間最多勝となる通算9勝、年間最多表彰台(のべ22回)、年間最多ポールポジション(14回)と好成績を残し、最終戦を待たずにBTCC史上初の日本車によるシリーズチャンピオン(チームタイトル)を獲得。最終的にはマニュファクチャラーズと合わせて2冠を達成した(ちなみにドライバーズランキングはリード2位、レズリー6位)。
同年、BTCC仕様のレースカーが東南アジア・ツーリングカー・ゾーン・チャレンジ (SEATCZC) に地元チームの手で参戦し、年間ドライバーズランキング2位を獲得。また、マカオ・ギア・レースとの混走となった最終戦では総合4位完走を果たした。このマシンはのちに日本に戻り、現在は日産の座間事業所内にある座間記念車庫に保管されている。
同年、STWカップにチーム・ロズベルグからフル参戦した。青ベースのBTCCとは逆のカラーリングとなった。第3戦のニュルブルクリンクでローランド・アッシュが1995年以来の優勝を遂げている。
同年、スウェーデンツーリングカー選手権 (STCC) にフル参戦した。マシンはP10。
1999年
英国ツーリングカー選手権 (BTCC) にNME/RMLのエントリーでフル参戦。メインスポンサーはボーダフォン、タイヤはミシュラン。ドライバーは「優勝請負人」ローレン・アイエロと残留したデイビッド・レズリー。この年のBTCC仕様プリメーラの強さは際立っており、最終戦シルバーストーンまでアイエロとレズリーでドライバーズタイトルを争うことになった。結果アイエロがドライバーズを制し、最終的にはドライバー、チーム、マニュファクチャラーズの3タイトルを獲得。また、前年型をドライブしたチーム・ダイナミクスのマット・ニールもベストプライベーターに選ばれインディペンデント・クラスを制覇し、BTCCのタイトルを総なめするに至った。NMEワークスとしてはBTCCはこの年で撤退した。ちなみに、このマシンはのちに日本に渡り、ニスモ・フェスティバルにて模擬レースに出走している。現在は日産の座間事業所内にある座間記念車庫に保管されている(1999のタイトルを獲得した実車ではないと思われるレプリカ。実車は現在もイギリスに有り、グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードに毎年出場している。カラーリングもリアのスポンサーロゴの配置やサイドのチャンピオンの文字などからこちらが実車だと分かる)。
同年、スウェーデンツーリングカー選手権 (STCC) にフル参戦し、チームタイトルを獲得している。マシンは98年仕様BTCC8号車と南アフリカツーリングカー選手権出場車のリースによるもの。メインスポンサーは、ガレージシャッター会社のCrawford。カラーリングは白をベースにボンネットの両端に赤と青のスプラッシュが控えめにペイントされ、サイドにはBTCCやSTWより小さめにヘルメットをイメージしたスプラッシュが書かれている。
2000年
スウェーデンツーリングカー選手権 (STCC) にフル参戦し、ベースマシーンがP11-144になった。スポンサーはCrawford。去年に引き続きチームタイトル、トミー・ラスタット初のドライバーズタイトルを獲得。
同年、南アフリカツーリングカー選手権に参戦し、ドライバーズタイトル、マニュファクチャラーズタイトルの2冠を達成。
同年、BTCCにはチーム・ダイナミクスのマット・ニールに前年型を供給。継続参戦した。
2001年
スウェーデンツーリングカー選手権 (STCC) にフル参戦。
同年、BTCCにはチーム・ダイナミクスのマット・ニールに1999年型を2001年型にフェイスリフトしたモデル(P11-144)を供給。継続参戦した。
同年、FIAヨーロッパ・ツーリングカー選手権にフル参戦。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ P10型では、2WD車はB13型と同じくワイヤードクラッチ、一方4WD車はU12型と同じ油圧クラッチ等、U12型とB13型双方の技術が採用されていた。
  2. ^ リヤサスペンション形式こそB14型サニーやA32型セフィーロと同じリヤ・マルチリンクビームではあるが、リヤサスペンション型式が同じだけでベースとはしておらず、フロントサスペンション型式もホイールベースも異なるP11型を、B14型をベースにフロントをマルチリンクサスペンションとしたものとは言い難い。むしろ、T12型スタンザ/オースターを引き継いでブルーバード/サニーの中間とされたP10型のプラットフォームを、格上であったブルーバードがU13型の販売不振によりU14型でプリメーラとの共用を余儀なくされ、結果として国内MクラスプラットフォームとなったのがP11型プラットフォームと言える。また、P11/U14型登場後も北米ではU13型の生産が継続され、その後アルティマとして独自に進化したこと、P11型インフィニティG20は後継車種がないまま販売を終了したこと、中国を初めとした東南アジアにもU14型とは別にU13型が継続投入されたこと等から、P11/U14型のプラットフォームが従来ブルーバード/サニーと異なる位置づけであったことがうかがえる。ちなみにプリメーラと同時期にデビューしたプレセアは、R11型こそB14型のホイールベース延長等異なる点があるものの、まさにサニーがベースであり、プラットフォームとしてプリメーラ/ブルーバードとの共通性はない。
  3. ^ なお、ワゴンには後継車がなく、2009年現在、日本での日産のステーションワゴンは唯一ウイングロードのみとなっている。

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最終更新 2009年10月23日 (金) 14:58 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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