日野・コンテッサ

日野・コンテッサ
コンテッサ900
コンテッサ900スプリント
コンテッサ1300
メーカー {{{メーカー}}}
親会社 {{{親会社}}}
製造国 {{{製造国}}}
製造期間
設計統括 {{{設計統括}}}
デザイナー {{{デザイナー}}}
乗車定員 4人/5人
ボディタイプ
ハイブリッド
エンジン GP20 直列4気筒 893cc 35ps
GR100 直列4気筒 1251cc 55ps
モーター
最高出力/トルク {{{最高出力/トルク}}}
最高出力 {{{最高出力}}}
最大トルク {{{最大トルク}}}
変速機
駆動方式
サスペンション
全長x全幅x全高 {{{全長x全幅x全高}}}
全長 4150mm
全幅 1530mm
全高 1340-1390mm
最低地上高 {{{最低地上高}}}
ホイールベース
車両重量 940kg
乾燥重量 {{{乾燥重量}}}
総重量 {{{総重量}}}
最大積載量 {{{最大積載量}}}
燃料タンク容量 {{{燃料タンク容量}}}
燃費 {{{燃費}}}
別名 {{{別名}}}
先代 日野・ルノー
後継
姉妹車/OEM
車台共有車
同クラスの車 {{{同クラス}}}
-自動車のスペック表-

コンテッサ(Contessa)は、かつて日野自動車が製造していた乗用車である。

目次

[編集] 概要

日野自動車が1953年ルノー4CVのライセンス生産で得た経験をもとに開発したRR方式の乗用車である。

同社が自社開発した唯一の乗用車でもあり、同時に同社最後の乗用車である。

[編集] 歴史

[編集] コンテッサ900(1961年-1965年)

1961年に総排気量893cc、出力35psのエンジンを搭載する「コンテッサ900」として登場した。4ドアセダンのみの設定で、丸型2灯ヘッドライトであった。駆動方式やサスペンションなどの基本的レイアウトは日野ルノーを踏襲している。

1963年にはコンテッサ900をベースにジョバンニ・ミケロッティのデザインで2ドアクーペのコンテッサ900スプリントが発表されたが、諸般の事情により量産化されず、「幻の名車」となっている。

1965年まで生産された。

[編集] コンテッサ1300(1964年-1967年)

1964年9月、総排気量1251cc、出力55psの「コンテッサ1300」として発売されたモデルである。デザインはコンテッサ900スプリント同様、ジョバンニ・ミケロッティが手がけた。当初は4ドアセダンのみの設定であったが、翌1965年に2ドアクーペが新たに設定された。この2ドアクーペは圧縮比を8.5から9.0に上げ、出力を65psに上げている。

少量ながら欧州などへも輸出されたが、このモデルが発売開始された時期には乗用車の主流はすでにフロントエンジンに移っており、販売も振るわなかったこともあって、日野がトヨタ自動車と提携した翌年の1967年には生産を終了した。このコンテッサを最後に、日野は乗用車の自主開発から撤退し、トヨタの一部車種を委託生産することとなった。現在はハイラックスサーフなどを日野の工場で生産している。

1965年、900スプリントと同じ手法でDOHC搭載の1300スプリントも作られ欧州でテストランが繰り返されたが発売には至らなかった。

1966年には1500ccのエンジンが試作され、コンテッサ1500として販売する予定だったが開発は中止となった。現在、この試作エンジンは「幻のコンテッサ1500用エンジン」として日野オートプラザに展示されている。

[編集] 車名の由来

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年6月17日 (水) 13:45 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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