日高のり子

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本来の表記は「日髙のり子」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。
ひだか のりこ
日髙 のり子
プロフィール
本名 (旧姓:伊東)
愛称 ノン子
配偶者 あり
出生地 日本 東京都千代田区
血液型 AB型
生年月日 1962年5月31日
現年齢 47歳
所属 コンビネーション
活動
活動時期 1984年 -
デビュー作 ムジカ・ノヴァ
(『超時空騎団サザンクロス』)
声優テンプレート|カテゴリ

日髙 のり子(ひだか のりこ、1962年5月31日 - )は、日本女優声優ラジオパーソナリティ東京都千代田区九段出身。愛称は「ノン子(さん)」。本名の旧姓は伊東。

身長156cm。血液型AB型星座ふたご座

声優としての代表作に『タッチ』(浅倉南)、『となりのトトロ』(草壁サツキ)、『らんま1/2』(天道あかね)、『ピーターパンの冒険』(ピーターパン)、『炎の闘球児 ドッジ弾平』(一撃弾平)、『犬夜叉』(桔梗)、『トップをねらえ!』(タカヤノリコ)、ゲーム『サクラ大戦3』(エリカ・フォンティーヌ)などがある。

平成21年(2009年1月19日に事務所「コンビネーション」を三ツ矢雄二と共に設立する。

目次

[編集] 人物

日本武道館の近くで、洋服の仕立屋『テーラー伊東』を営む両親の元で、三姉弟の長女として生まれる(下に弟が2人いる)。

千代田区立富士見小学校、千代田区立九段中学校頌栄女子学院高校出身。短大中退。

やや高めの明るい声質が特徴。様々な役柄を演じているが、特に活発な少女・少年を演じることが多い。特に1980年代半ばから1990年代前半にかけては、多くの作品でヒロインや主人公を演じている。しかし、近年は加齢による声質の変化から、母親役、陰のある女性役、悪役など様々な役柄を演じている。

現在はアニメ作品レギュラーは少なく、主に特番等の単発ナレーションが多い。アニメなどの出演作では、劇中における担当キャラクターの登場頻度もバラつきが大きい。これは「家庭を優先させているため、敢えて(拘束の弱い)仕事を選んでいる」ことによる(三ツ矢雄二とのインターネットラジオにて発言)。

[編集] 来歴

[編集] 子役・アイドル時代

子供の頃から子役として活動。高校時代にはいとう のりこ名義でアニメ『ふたごのモンチッチ』の主題歌を歌い、キャンペーンのお姉さんとして着ぐるみとともに全国を回ったこともある。

「初恋サンシャイン」でアイドルデビュー。1日だけ「あいようこ」(漢字不明)の芸名だったが、本名の「のりこ」は残したいということで、現在の芸名に変更となった。香川の「仁尾太陽博」のキャンペーンガールを務める。NHK『レッツゴーヤング』において「サンデーズ」のメンバーになり、ある程度名は売れたものの、その後アイドルとしては失速して行き、苦労続きの日々を送る事になる。

1984年時点では22歳になっていたが、芸能界で未だ一皮剥けない状況に、業を煮やした両親からは半ば引退勧告も突き付けられていたという。

[編集] 声優転向

そんな中、当時担当していたラジオ番組で、リスナーから「声に特徴があるので声優をやってみたら」と投稿があったことに触発され、オーディションに挑戦。結果として、『超時空騎団サザンクロス』(ムジカ・ノヴァ役)で声優デビューを果たした。1985年からは『タッチ』でヒロイン・浅倉南役を担当し、声優としての知名度をあげる。

その後『トップをねらえ!』、『ふしぎの海のナディア』、『らんま1/2』、『となりのトトロ』等知名度の高い作品に多く出演。また、1989年の『ピーターパンの冒険』では、レギュラーキャラクターでは初となる少年役を担当した。この他にも年相応の役を増やすなど、役の幅を拡大させていった。

[編集] 所属事務所・マネージャー

子役時代には東京宝映に所属していたが、アイドルデビュー後は当初CBSソニー預かり(マネージャー:森田)の後、河野プロモーションへ。マネージャーは岡本が長く務めた後、大楽豊、寺岡理恵と変遷した。

1996年春頃に事務所が廃業、暫くフリーでの活動を行うが、81プロデュースのマネージャーを務める吉田理保子から誘いを受け、寺岡と共に移籍。長年在籍したが、2006年3月限りで81プロデュースを退社、その後夫の個人事務所(BIG MOUNT)の所属扱いで活動していたが、平成21年1月19日に新事務所「コンビネーション」をタッチで共演以来の旧友の三ツ矢雄二と共に設立した。

所属レコード会社はアイドル時代の当初ソニーレコードCBSソニーから、ポニーキャニオン、そしてメルダックと変遷したが、近年は歌手活動をしていない。

[編集] 人物像

明るい性格で知られ、島本和彦からは「便所の100W(無駄に明るい)」と言われたこともある。明けっぴろげな性格で、飲み会で酔っぱらい、ジーパンで股を開いて眠り惚けたエピソードを「文化人」こと三ツ矢雄二に散々言いふらされたことがある。

玉乗り、小森まなみの声真似が得意。芸名は本来異体字を用いて日髙のり子としているが、アイドル時代のごく初期を除いて「日高」と表記されることが多かった。だが、10年ほど前に字画の関係から声優の金丸淳一に勧められて、本来の異体字で表記するようになった。

1991年山寺宏一関俊彦とともに芝居『@@ザ・スタースパングルド・ガール::』を公演。その後、山寺・関とユニットバナナフリッターズを結成し、ラジオやCDリリース、舞台などで1995年頃まで活動した(1995年に活動停止)。

1994年ラジオの仕事で知り合った年下のディレクターと結婚している[1]

[編集] アイドル時代の苦労話

アイドル時代初期には、空手着姿のグラビアを撮影したことがある。しかし、日高は「二度とやりたくない」と公言している。また「週刊ゴング」のリポーターを務めていた経験もある。

日高がアシスタントを担当した『オールナイトニッポン』のメインパーソナリティー・笑福亭鶴光に、後任アシスタントの坂上とし恵、ゲストとしてよく出演していた浜田朱里とともに「がげっぷちトリオ」と命名されるほど、初期は苦労続きであった(鶴光の十八番である下ネタも苦手にしていた)。また(一応)自分のコーナーとして「日高のりこのアップ・ルンルン」と題する時間帯を貰ってファンからの投稿に応えていたが、単独でDJとして生放送を行っている最中に、全部の照明を消されて真っ暗にされる、更に鶴光は当然ながら他の機器調整等の放送スタッフまで全員が姿を消して一人ぼっちにされる(その結果、怖さの余り本気で生放送中にもかかわらず号泣し、スタッフが戻りCMを入れて打ち切るまでそのまま全国に放送される)等の数々の悪戯が繰り返され、何事もない正常な放送を流せなかったことも度々であった。コーナー名自体が「日高はほっぺたがリンゴの様に赤い田舎者」だと揶揄する発言を鶴光が繰り返すものであり、鶴光の下ネタを始め当時のアイドルに必須な「清純可憐で爽やかなイメージ」を無理矢理に崩壊させる仕打ちを受けていた。ただそれでも番組降板時には「私はこの場所を離れたくない! 」と絶叫したとのこと(『鶴光オールナイト』最終回にて笑福亭鶴光談)。

アイドル時代のある日、温泉でのロケが入った日高が現地に着くと、そこには温泉に入浴しているクマがいた。実は、ロケの内容は「クマと一緒に温泉に入る」企画であった。恐る恐る入浴する日高だったが、突如、クマが日高の髪の毛に噛み付くアクシデントが発生。命からがら逃げ出した日高が、番組のディレクターに文句を言うと、ディレクターは「自分が入って大丈夫ならまたやろう」と自らクマと一緒に入浴。しかし、クマに腕を噛まれる結果となったと言う(エッセイ本『のんこ』や『渋谷でチュッ!』ゲスト出演時等で語っている)。

[編集] 『タッチ』での演技指導

前述の『超時空騎団サザンクロス』のオーディションと、当時レギュラーだったラジオ番組と時間が重なったため、当時の岡本マネージャーがラジオ持参でオーディション会場に駆け付け、結果声優デビューを果たしたという逸話がある。

このように殆ど未経験同然で声優の世界に飛び込んだ為、暫くはその演技力を酷評される時期が続いた。その当時から先輩の島本須美オーディションの最終選考で敗れる事がしばしばで、後には島本に対して「いつも自分の前を行っていた」、「オーディションで会うと諦めていた」、「敵わないと思った」などの発言を残している。

1985年に放映開始された『タッチ』では、オーディションを経てメインスタッフの「下手だけどこの子に賭けてみよう」という、育成目的も込めた意図でヒロイン・浅倉南役に抜擢される。そのアフレコ現場では、共演していた林家こぶ平(現・林家正蔵)と共に、上杉達也役の三ツ矢雄二を始めとする先輩声優や、藤山房伸音響監督に毎回厳しい演技指導を受けていたという。

しかし、この環境は日高の演技力を短期間のうちに向上させ、以後息の長い活動を見せることとなった。

これらから「現場で叩き上げられて成長した代表例」、「努力で這い上がった苦労人」と取り上げられることもあり、日高本人も当時の『タッチ』関係者に自著で感謝の念を語っている。

後には、山口勝平の新人時代の演技指導にも活かされ、今でも山口は日高に頭が上がらないと言う(山口の項を参照)。

[編集] 少年・青年役

『ピーターパンの冒険』では、当初はヒロインのウェンディ役としてオファーを受けていた。しかし「少年役に挑戦したい」という考えから、日高本人がピーターパン役での出演を希望し、変更になったという経緯がある。「当時の自身に付きまとっていた『浅倉南』のイメージを振り払うためだった」、と後に動機を語っているが、第1話のアフレコでは力みすぎて声をつぶしてしまい、また、初の少年役とういことで日高本人はプレッシャーを感じて苦しんでいたが、ウェンディ役の松井菜桜子や共演していた島本須美に助けてもらって演じる事が出来たという。結果、見事イメージの払拭に成功し、声優としての評価を上げることとなった。

2つ目の本格的な少年役『ふしぎの海のナディア』のジャンは、ピーターパンのはつらつな芝居と違い、抑える場面や日常的な会話の演技を求められ、「男の子の声になっているだろうか?」との不安を感じたという。また、発明家という設定から脚本のセリフに難しい漢字が多く、漢字が苦手な日高はその面でも苦労もあったと語っている[2]

更に劇場版では、17歳に成長した青年のジャンも演じているが、当時青年を演じている女性声優は野沢雅子しかいなかった為、やりがい・苦労共に大きかったという。ジャン役以降は少年役も増え、一時期は女性役以上の数をこなしていた。少年役でのキャラクターソングも多数歌っている。正義側が大半だが、『るろうに剣心』では青年の悪役(瀬田宗次郎)を演じた。

また『DEATH NOTE』のニアは、今までの少年役よりもさらに低い声を出している。

[編集] 出演作品

太字は主役・メインキャラクター、斜字はヒロイン

[編集] テレビアニメ

[編集] OVA

[編集] 劇場版アニメ

[編集] ゲーム

[編集] 人形劇

[編集] ドラマCD

[編集] パチンコ・パチスロ

  • CR黄金ハンター 〜ショコラとタルトの大冒険〜(ショコラ)
  • ランブルローズ(日ノ本零子)
  • CRサクラ大戦(エリカ・フォンティーヌ)プレミアムキャラとして登場。

[編集] テレビナレーション

[編集] レギュラー出演(テレビ)

[編集] コーナー出演

[編集] ラジオ

ここでは代表的な番組を挙げる。

笑福亭鶴光のオールナイトニッポン
オールナイトニッポン
日石土曜おもしろラジオ
タッチ』で共演した三ツ矢雄二と共に出演。日本石油(現:新日本石油)一社提供。
生放送のような形を取っていたが、実際は録音で「はいぱぁナイト」と同じスタジオ、スタッフだった。
サタデーときめきステーション(1989年4月-1994年9月)
日高のり子のサタステブレイク(1994年10月-1995年9月)
同局の坂井一正アナと共に、毎週土曜日夕方に同局の松本市内の本社スタジオ(一般道路から放送の様子をガラス越しに見ることが出来る)から生放送(2時間番組であったが、放送時間は時期によって異なる)。
本人は毎週新宿駅から中央線特急あずさ号に乗って松本まで通い、新宿駅松本駅でのファンの見送りが常態化していた。毎週放送終了後、時間があれば本社ロビーにて放送を見に来たFANへのサービスとしてミニサイン会が行われていた。本人が仕事等で松本に行けなかった週は主に日高と交友のある人間がピンチヒッターとして出演していた。
番組自体はFM局らしく、リスナーからの音楽リクエストや坂井アナとのトーク、そしてリスナーへの電話コーナー等が主体であった(同時期に放送された『はいぱぁナイト』や『アニメスクランブル』等と比べると、局のカラーや放送時間帯、企画コンセプト等には差異が見られる)。
1995年9月一杯をもって本人の妊娠を機に終了。
ノン子とのび太のアニメスクランブル
長谷川のび太(本名:長谷川太)アナと共に出演。日高・文化放送のアニラジ双方にとって最も長寿番組になる。
詳しくはこの番組の項を参照。
Clair de Lune
  • NACK5 - 1992年4月-9月
関俊彦山寺宏一と組んでいたユニットバナナフリッターズの番組。ミニドラマ(後にCD化された)とトーク、音楽主体の構成。
アースコンシャス・ドリーム
JET STREAMのすぐ後に放送されていた5分番組。島根県がスポンサーとなっていた局もあった。
KBS京都はいぱぁナイト-ハイヤングKYOTO「アロマチックナイト」
  • KBS京都(1989年10月13日-1997年9月29日。全413回)
日高が初めて単独で持った長時間生ラジオ番組。多彩なトークがリスナーの好評を得て、『ラジオパラダイス』誌(廃刊)でも1位に迫るほどの大人気を博した。
日高のり子のはいぱぁナイト金曜日
  • 1989年10月13日-1995年3月31日(全285回)
日高のり子のはいぱぁナイト月曜日
  • 1995年4月3日-1996年3月26日(全50回)
1995年春にKBS京都が会社更生法の適用に至り、同局の深夜生番組体制の縮小が始まったことから、はい金枠終了と共に月曜へ異動。1995年初秋に番組内で懐妊を発表、翌年初冬に出産を控えて一時降板(その間は山寺宏一杉原徹沢田聖子等が代打を勤めた)。
日高のり子のアロマチックナイト(ハイヤングKYOTO月曜日)
  • 1996年4月1日-1997年9月29日(全78回)
『はいぱぁ』終了後に始まったハイヤングKYOTO (第二期)の月曜を引き続き担当。
開始半年後に日高と共に担当していた水曜担当の杉原徹が外れ、旧『はいぱぁ』陣としてはただ一人の状態で新『ハイヤン』全曜日の中でも高聴取率だったにも関わらず、KBS京都の経営環境が厳しい中で1997年9月一杯をもって新『ハイヤン』東京制作枠全廃を理由に終了が決定。最終回当日に開催されたファイナルイベントが参加リスナーのあまりの多さ(3000人以上)に会場周囲の歩道が歩行不能状態に陥ったことから警察が駆け付ける事態になり、敢え無く中止となる。紆余曲折を経て、最終回放送から約一ヵ月後、その年の年末の特番(「日高のり子のアロマチックウィンターナイト」)の公開録音を兼ねた仕切り直しのファイナルイベントが円山公園で開かれ終了する。
日高のり子のTokyo Wonder Jam うり!うり!うりほぅ!
  • KBS京都 - 1998年4月4日-2001年3月31日(全156回)
先述のアロマチックナイト最終回の混乱交じりの盛り上がりを見たナムコがスポンサーとして名乗りを上げ、半年ぶりに復活した番組。東京・二子玉川のナムコ・ワンダーエッグより毎週土曜夕方から生放送だった(同施設が2000年末をもって二子玉川地域再開発事業の為に閉園となった後は、スタジオ(詳細不明)からの生放送に)。
日高のり子のHAPPY@
  • KBS京都 - 2001年4月7日-2004年3月27日(全155回)
当初は文化放送が開設していたスタジオSOLA(都庁45階展望台の公開スタジオ)からの放送だったが、同スタジオ閉鎖後はスタジオ(詳細不明)からの放送に。普段は生だったが、正月等は録音だったと思われる。
浅倉南のオールナイトニッポン
  • ニッポン放送ほか - 2004年9月29日
オールナイトニッポン第一部枠で『タッチ』DVD-BOX発売記念として放送された一晩限りの特番。その当時、同BOXの宣伝で文化放送のあらゆる番組にゲスト出演していた。
NONKO'S CHEERFUL MIND “うらら”
  • KBS京都 - 2005年10月5日-2006年3月
HAPPY@終了後、KBS京都に1年半ぶりの復帰。「癒し」が主なコンセプトの録音の15分番組。
(三ツ矢3+日高3)2=!?
毎月第1・第3火曜更新で、三ツ矢雄二と組む。
神南スタジオ公式サイト内・番組配信ページ

[編集] 舞台

  • 「マミミの森」
  • 「雨が聴こえない」(コント赤信号劇団第3回公演1985年4月23日 - 28日下北沢駅前劇場 作・演出:秋元康 出演:室井滋・日高のり子・伊藤克信・肥後克弘・新納敏正・菅原大吉・小宮孝泰・石井章雄・渡辺正行)
  • 「The Star Spangled Girl」(バナナフリッターズ 演出中尾隆聖)1991年
  • 「PLAY A SONG」(オムニバス。「始発の心」で塩沢兼人と共演。演出三ツ矢雄二)1993年
  • サクラ大戦歌謡ショウ「巴里花組特別ミニライブショウ」(エリカ・フォンティーヌ)2001年8月13日(東京厚生年金会館)
  • サクラ大戦ディナーショー(エリカ・フォンティーヌ)

[編集] ライヴ

  • 「LIVE IN MURASAKI」(Live House Murasaki、1984年6月10日I部20:00〜、II部21:30 - (+アンコール)、出演:日高のり子)
  • 「日高のり子&三ツ矢雄二ジョイントライヴ」(新宿ルイード、1986年6月22日14:00 - 16:00、出演:日高のり子・三ツ矢雄二)

[編集] 電気製品

[編集] CM

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[編集] その他

  • ウルティマ恐怖のエクソダス(ひだかのりこ)
    • 声の出演ではなく、本人がゲームキャラとして登場したのみ。イメージソング『ハートの磁石』を歌った。
  • 踊る!さんま御殿!!
  • プラネタリウム番組「星空交響曲〜宇宙を見上げよう〜」さいたま市青少年宇宙科学館(ナレーション)
    • リンゴの木の下で ケンブリッジの星空(ナレーション)
  •  NHK少年ドラマシリーズ「未来からの挑戦」パトロール隊員(1977年 伊東範子 名義)
  • 一枚の写真(1986年、フジテレビ)
  • 笑っていいとも!テレフォンショッキングのゲスト・1990年4月11日、生態リサーチ ここホレBANG!BANG!のアニメコーナーにてゲスト・2008年12月16日)
  • 日産自動車HP「のってカンガルー」ウェブ絵本(ナレーション)

[編集] 音楽作品

[編集] シングル

  1. ふた子のモンチッチのうた (いとうのりこ) (1980.01)
    c/w どこかのだれかとモンチッチ
  2. 初恋サンシャイン (1980.12.01)
    c/w PRETTY LOVE
  3. もう一度・ブラックコーヒー (1981.10.01)
    c/w イエスorノー
  4. ひとつぶの涙 (1982.04)
    c/w 春めきラプソディ
  5. ときめきはForever (1986.10)
    c/w 晴れた日にも愛をください
  6. ウルティマ 〜瞳のナイフ〜 (1987.08)
    c/w ハートの磁石
  7. 潮風のサーキット (1987.11)
    c/w TRY TO JUMP
  8. あなたが宇宙 〜BY MY SIDE〜 (1990.12.26)
  9. やさしい、いい娘になれない (1991.01.21)
  10. 人 (1992.07.08)
  11. 私だって 〈遠藤一美〉 (1994.10.21)
    c/w 瞬く気持ち
  12. BE NATURAL (1995.07.21)
    c/w 女神がくれた一秒
  13. 未来(あした)への翼 (1995.11.22)
    c/w 虹の彼方
  14. 真冬の流れ星 (WITH YOUとして) (1997.12.17)

[編集] アルバム

  • 南の青春 (1985.10.21)
  • 南風に吹かれて (1986.04.21)
  • パーソナル (1986.10.21)
  • Touch in Memory 〈浅倉南〉 (1987.02.21)
  • パーソナル2 (1987.05.21)
  • 日高のり子BEST (1987.11.21)
  • お宝ソングブック (1990.08.21)
  • パラダイス (1991.12.16)
  • MEGA BABE (1993.07.21)
  • Breath of air (1994.11.21)
  • KAZUMI 〈遠藤一美〉 (1994.12.16)
  • NONKO (1999.04.21)
  • タイムカプセル (2000.12.16)
  • Moira (2008.9.3、Sound Horizon、フィリス役)

[編集] その他 主題歌

  • オリジナルビデオアニメCOOL COOL BYE クール・クール・バイ(1986.01.21)

[編集] 書籍

[編集] 注釈

  1. ^ http://homepage2.nifty.com/4179/nonko/ano/ano.htm
  2. ^ この点は自身のラジオ番組でも出てしまう事がしばしで、番組によってはリスナーから容赦ないツッコミを受ける事も珍しくなかった。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月21日 (土) 16:55 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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