日高火防祭り

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日高火防祭(ひたかひぶせまつり)は、岩手県奥州市水沢区で毎年4月29日に実施される。300年を超える歴史を持ち、祭に使用される囃子は火防祭の「屋台囃」として岩手県指定無形民俗文化財に指定されている。

目次

[編集] 概要

京都祇園祭を模した華やかな祭。豪華絢爛な囃子屋台が繰り出され、町中を練り歩く。祭は各九町組から「町印」「内囃子(トットコメー)」「囃子屋台」の三つの屋台が繰り出す(駅前三町組・城内組・吉小路組は明治以降の参加町組のため、囃子屋台のみ)。

「町印」は、漢字一文字と町名が書かれた標識部の回りを井戸馬簾火の玉柄杓等で飾り付けた屋台で、各町組みの先頭に立つ。江戸時代、水沢藩主が城下六町に“仁(川口町組)・心(立町組)・火(柳町組)・防(大町組)・定(横町組)・鎮(袋町組)”の漢字一文字を与えた。各町はそれをシンボルマークとして掲げたのが町印の始まり。この文字を繋げると「仁心をもって火防を定鎮す」(順他説もある)と、防火の心得を謳ったものと云われている。

「内囃子」は“トットコメー”の愛称で呼ばれ、囃子屋台よりも一回り小さい。天井には権現様が祀られ、見返りには枝垂桜が飾られている。内囃子の演奏は笛師(2人)、大太鼓を叩く男子(2人)、小太鼓を叩く幼児(数名)で構成され、全町組同じ音曲。初段・二段・三段の3曲で構成され、この祭で最も古い祭囃子であり、西洋音楽のソナタ形式に酷似する音曲と云われている。

町印と内囃子がこの祭の原型と考えられている。

「囃子屋台」唐破風の屋根や欄間に朱や金、極彩色の彫刻で飾り付けられ、擬宝珠高覧に雪洞が付けられた雛壇状の屋台。見返りには牡丹と枝垂桜の造花が飾られ、屋台内には魔除けの蕎麦殻との脇障子が付けられる(現在吉小路組のみ)。屋台では笛師(2人)が奏でる音曲に合わせ「お人形さん」と呼ばれる早乙女小太鼓(15〜20人)と三味線(娘5人・師匠1人)で調子をとる。かつてはも加えられていたが、現在ではこの笛・三味線・太鼓が主流となった(名残として屋台天井に鼓を飾っている)。内囃子・囃子屋台で奏でられる祭囃子を日高囃子と言う。

昭和40年代まで、ほとんどの屋台は担ぎ屋台であり、絢爛豪華な屋台と「木遣り歌」を歌いながら数十人の男達が屋台を担ぐ様相は、雅且つ勇壮な祭りであった。しかし、屋台の担ぎ手の不足により台車のついた押し屋台へとかわっていった。現在は屋台前に飾りの担ぎ棒を付け担ぐ様子を表現したり、「ゆすり(沿道商店や観客にお囃子を披露するため屋台を左右に向ける行為)」を、台車の上に乗る屋台を回転式にしたりと、かつての祭の姿を再現する工夫がなされている。

囃子屋台出演組(音律) ※町印・内囃子を持つ町組

  • 横町組(一声くずし)※
  • 袋町組(一声)※
  • 駅前三町組(一声)
  • 川口町組(つるべ井)※
  • 柳町組(剣囃くずし)※
  • 城内組(かんらん囃子)
  • 立町組(松の緑)※
  • 吉小路組(祇園囃子)
  • 大町組(祇園囃子)※

[編集] 各種行事

[編集] 笛魂祭・吹き初め

かつて日高火防祭の祭日であった、旧正月22日に行われる行事。

日高神社境内にある笛魂碑(てきこんひ)に笛師と祭関係者が今年の祭の成功を祈願、その後拝殿にて御神酒で笛を清め内囃子のお囃子を奉納する。

[編集] 裃貸与式・三曲合同演奏会

日高神社例大祭の4月22日に行われる行事。

境内にて、各町組の年番に宗家である日高神社から笛師の衣装であるが渡される裃貸与式が行われる。その後、その年の各町内囃子方を紹介。祭り関係者にお囃子をお披露目する。 三曲とは日高囃子を構成する笛・三味線・太鼓を指す。

[編集] 前夜祭

昭和60年(1985年)からスタートした前夜祭は、夕方から鹿踊り、神輿渡御、囃子屋台(2〜3台)の相打ち、厄年連による踊りが披露される。平成20年(2008年中心市街地の衰退とともに、高齢化、財政難、出演者の減少に伴い2日間の囃子屋台運行が難しいと判断。翌年から、全町組の町印・内囃子のみの出演となった。囃子屋台の無かった江戸期の素朴な日高火防祭を再現する。

[編集] 本祭

祭当日は、古式にのっとり行われる。

朝、日高神社に各町組の年番長(各町組の代表)が集まり、祭の安全を祈願する「年番祭」が行われる。宗家である日高神社より御札を受け取った年番長はただちに各屋台に戻り、御札を囃子屋台にくくり付け運行が始まる。

各町で挨拶回りを終えた囃子屋台は、日高神社に向かい参拝する。しかし、囃子屋台は大きく、日高神社参道を通ることができないため、手前の大手通りに集結し「遥拝式」を行う。全囃子屋台が横一列に並びお祓いを受け一斉にお囃子を演奏する。その後、行列をなし吉小路を通り水沢城大手門があった奥州市役所前に集結する(かつて水沢城主留守氏が、ここで祭を観覧した記録が残っている)。

午後1時15分、消防団による振りを先頭に各町組の屋台が整列し、川口町、立町、柳町、大町、横町、袋町とかつての町屋地区を練り歩く。途中、柳町交差点にある佐々木家では、店先に水沢消防の祖佐々木佐五平像を置き、各町組はここを参拝する。また、囃子屋台に乗るお人形さんや祭関係者の店先に到着すると屋台を回転させ、演奏を披露しながらゆっくりと練り歩く。夕方、中央通りに到着した行列は町印・内囃子が抜け囃子屋台のみとなり夜の祭へと装いがかわる。

午後7時、一斉に雪洞が点灯され祭のクライマックス「相打ち」が始まる。会場の駅前広場にはその年のメイン町組の囃子屋台が1台待ち構え、他の囃子屋台と相対しお囃子を披露しあい、仁義礼をつくす。「相打ち」が終わった囃子屋台は駅通り中央部で三台ずつ並びお囃子を披露する「揃い打ち」が行われる。 一通りの行事を終えた各囃子屋台は自分たちの町へと帰る。囃子屋台が各町の入口へ到着すると、町に帰ったことを知らせる為にお囃子を演奏する。それを聴いた町の人々は軒先で提灯を持ち出迎え祭は終わる。

[編集] 厄年連

厄年連は、奥州市水沢区住む、または出身の数え年42歳・25歳の厄年を迎える者が出し物をする祭の前座。地元や全国各地の芸能を披露し祭を盛り上げている。最近ではロック調の創作踊りを披露する傾向が強く衣装・音楽とも趣向を凝らしている。総勢300名による出し物は祭の名物。

元々は「俄か踊り」から始まったと言われている。屋台行列が来る前に、祭に浮かれた観客が踊りだすことや、この地域の馬鹿騒ぎをして厄払いを行う習わしが相まってできたものと考えられている。

[編集] 起源

祭の起源は資料が残っておらず、諸説言われている。

藩政時代の水沢城留守家(水沢伊達家)17代留守宗景が伊達公の命で江戸に居た頃、振袖火事等火災の多いことに驚き、水沢に戻った宗景は神の加護により火災を未然に防ぐため、日高妙見社(日高神社)の「日」は「火」に通じ、同じ境内にある留守家(水沢伊達家)の祖廟瑞山神社の「瑞」は「水」に通じるとして両社に祈願したのがの始まりと言われる。

また、19代留守村景の時代、水沢では三度の大火事があり、佐々木佐五平という人物に命じ、江戸のいろは八四組にならい水沢城下に民間消防隊「臥煙組」創設。庶民の防火の意識を高め、火災の恐ろしさを知らしめる為に始められた祭りとされる。

明治時代に入ると、商業の発達と共に各町が屋台の豪華さを競い合うようなり、現在の囃子屋台へと発展する。

かつては雪が降る旧正月22日に行われていたが昭和46年に4月22日、平成8年に4月29日に変更され、現在に至る。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年8月22日 (土) 09:03 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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