明治神宮野球場
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| 明治神宮野球場 Meiji Jingu Stadium |
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| 施設データ | |
| 所在地 | 東京都新宿区霞ヶ丘町3番1号 |
| 起工 | 1925年12月 |
| 開場 | 1926年10月1日 |
| 所有者 | 明治神宮 |
| グラウンド | 透水性モノフィラメント・ロングパイル人工芝 |
| ダグアウト | ホーム - 一塁側 ビジター - 三塁側 |
| 照明 | 照明塔 - 6基 照度 投捕間3900Lx 内野3000Lx 外野2300Lx |
| 建設費 | 53万円 |
| 設計者 | 小林政一 |
| 旧称 | ステイト・サイド・パーク(第二次世界大戦終結後の連合国軍の1国であるアメリカ軍による接収期間中) |
| 使用チーム • 開催試合 | |
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| 収容能力 | |
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35,650人 (内野:-席、外野:-席)
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| グラウンドデータ | |
| 球場規模 | グラウンド面積:12,659m² 両翼 - 101 m(約331.4 ft) 中堅 - 120 m(約393.7 ft) |
| フェンス | 3.5 m (約11.48 ft) ラバーフェンス:2.0 m 金網フェンス:1.5 m |
| 明治神宮第二球場 Meiji Jingu Sub Stadium |
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|---|---|
| 施設データ | |
| 所在地 | 東京都新宿区霞ヶ丘町3番2号 |
| 開場 | 1964年 |
| 所有者 | 明治神宮 |
| グラウンド | 人工芝 |
| 設計者 | 不明 |
| 使用チーム • 開催試合 | |
| 東都大学野球連盟(2部) 東京新大学野球連盟 |
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| 収容能力 | |
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5,600人
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| グラウンドデータ | |
| 球場規模 | 両翼 - 91 m(約298.6 ft) 中堅 - 116 m(約380.6 ft) |
| フェンス | 不明 |
明治神宮野球場(めいじじんぐうやきゅうじょう)は、日本の東京都新宿区霞ヶ丘町・明治神宮外苑の一角にある野球場。通称は神宮球場(じんぐうきゅうじょう)。宗教法人「明治神宮」が所有している。
目次 |
[編集] 概要
東京六大学野球連盟の本拠地として1926年に開場以来、アマチュア野球においては大学野球の主要球場として長年使用され、六大学野球や東都大学野球1部リーグ及び入れ替え戦を中心に今日まで使用されている。
他にも高校野球の東東京大会及び西東京大会や全日本大学野球選手権大会、明治神宮野球大会、日米大学野球選手権の他、社会人野球(JABA東京スポニチ大会。過去には黒獅子旗・都市対抗大会も)など多くの大会が開催されており、また日本プロ野球の東京ヤクルトスワローズも専用球場として使用している。日本国内では阪神甲子園球場とならんで「野球の聖地」とうたわれる野球場である。
2007年11月24日から大規模な改修工事を実施し、2008年3月6日に竣工式が行われた。この改修では両翼を91mから101mにまで拡張し、人工芝を従来の透水型からモノフィラメント・ロングパイル型に張り替え、バックネットも鋼製から繊維ネットに張り替えられた。また、スコアボードも従来の放電管方式から、屋外野球場では最大の表示面積となる縦12m、横27mの全面フルカラーLEDとなった(総工費約15億円。詳細は球場概要にて後述)。
[編集] 年表
- 1925年12月に敷地造成工事に着手。
- 1926年1月に起工式、10月1日に竣功。当時の金額で総工費は53万円、うち明治神宮奉賛会が48万円を出費し、東京六大学野球連盟が5万円を本工事に寄付。この事が後述の学生野球の優先使用権につながる。
- 1927年 米ニグロリーグ選抜との日米親善試合が行われる。ビズ・マッキーが球場初の本塁打を放った。
- 1931年 内・外野スタンドの増築工事に着手し完成。バックネット付近を除いて、外形が現在の形となる。
- 1934年 日米親善大会として行われたアメリカ大リーグ選抜チームと全日本チーム(後の読売ジャイアンツ)の対戦でプロが初めて神宮球場を使用。
- 1946年〜1951年 日本を占領した連合国の1国であるアメリカ軍に接収され「ステイト・サイド・パーク」と改称されたが、その時期にもアメリカ軍の計らいにより東京六大学野球を中心に数試合開催された。また接収中は内野に芝が敷かれ、照明設備も設置されたが、1952年に接収解除されたのに伴い撤去される。
- 1950年 日本シリーズ、毎日-松竹の第1戦の会場となる。
- 1958年 スコアボード改修。http://www.jingu-stadium.com/img/hist-S330412P01.gif
- 1961年 バックネット裏スタンドが1階建てから2階建てに改築される。
- 1962年 駒澤野球場の閉鎖に伴い東映フライヤーズが同球場をプロ球団として初めて専用球場とする。同年6月には照明設備が完成し、初のナイターが開催される。また、この年ラッキーゾーンが設置される。当初はプロ野球開催時のみの設置。同年2度目の日本シリーズが開催される。
- 1963年 国鉄が隣接して建設中だった第2球場を専用球場にすることを計画。しかしアマチュア専用にしたいという管理者の意向に加え、プロ側が要求する球場設備を満たすための拡張用地の確保が既に無理であるなどで、結局1964年に神宮球場を使用することが認められた。東映は後楽園球場に移転するが、身売りした後も後身の日拓や日本ハムが1980年まで数試合開催した。
- 1965年 危険防止のためこの年からラッキーゾーンが固定式になり、他のコンクリートフェンスの内側にも金網フェンスが付けられた。
- 1967年 スタンド・グラウンド改築。ラッキーゾーンは廃止となりグラウンドのフェアゾーンが両翼100m・中堅118mから両翼91m・中堅120mに狭められ、ファウルゾーンが広がる。
- 1969年 4月フェンス広告が設置された。当初はプロ野球使用時のみの設置だったが秋から大学野球開催時にも設置されることとなる。コンクリートのフェンスと危険防止の金網の間に差し込む仕組みだった。
- 1970年 フェンスの広告がこの年完成したラバーフェンスに設置される(1981年に一度廃止。その後2000年代初期からベンチ付近に数枚貼り付け。2006年からは外野部分に貼り付け)。
- 1973年〜1977年 仙台を事実上のフランチャイズとしていたロッテ主催の公式戦も開かれた。
- 1975年 照明塔改良1回目。球場の大改修が始まる。
- 1976年 神宮球場竣工50周年記念試合として東京六大学選抜対東都大学選抜の対抗試合を実施。
- 1978年 外野席改修工事完成。芝生席をプラスチック製の座席に変更。10月4日、ヤクルトがセントラル・リーグ初優勝。ただし球場使用優先権の都合上(既に大学野球の日程が決定していたため)ヤクルトの本拠地ゲームの日本シリーズは後楽園球場で行われた(下記参照)。
- 1980年 電光スコアボード、ファウルグラウンド人工芝が完成。後楽園、横浜スタジアム、川崎球場、ナゴヤ球場、阪神甲子園球場、広島市民球場に続いて看板広告を設置した(※ただしスコアボードにのみ設置されたものである)。アーケード部分に塗装が施される。8月1日、明治神宮鎮座60年を記念し、第1回神宮外苑花火大会を開催(以後、毎年開催されている)。
- 1982年 内・外野の人工芝敷設(本邦初の透水性人工芝)。フェンスもこれまでの濃い緑色から青色に変更(同時に広告をバックネット裏を除いて一掃)し、球場の改修工事が終了。こけらおとし興行として東京六大学と東都大学の前季優勝校対決を実施。
- 1983年 マウンド及びブルペンをアンツーカーに変更。
- 1986年 2回目の照明塔改良。8月、井上陽水と安全地帯のジョイントコンサートが行われた。また、同月に大沢誉志幸、中村あゆみのコンサートも行われた。
- 1987年 外野身障者席・トイレ新設。
- 1988年 野球規則の一部変更に対応しマウンドの高さを変更。併せて人工芝も全面張り替え。
- 1989年 ファウルポールの塗色を黄色から白色に変更。
- 1993年 内野部分の人工芝張り替え。内野席の椅子を折り畳み式に取替え。
- 1995年 カラービジョンを設置。外野フェンス上部に1.5mの金網フェンスを追加。
- 1996年 神宮球場竣工70周年記念試合として東京六大学選抜対東都大学選抜の対抗試合を実施。
- 2000年 8月12日〜13日、THE ALFEEコンサート開催。
- 2001年 内野フェンス改装に伴い、大学野球用の応援台設置用金具をフェンス支柱と一体化(応援台の所有者は東京六大学応援団連盟)。
- 2002年 看板広告一部変更。その年、聖教新聞社がプロ野球の主要11球場で相次ぎ看板広告を出していたが、聖教新聞社の本社が近くにあるにも関わらず、全12球場(現13球場)中、神宮球場だけは現在も聖教新聞の広告を許可していない。(球場の経営母体が宗教法人であるため)
- 2003年 内野部分の人工芝張り替え。
- 2005年 第1回セ・パ交流戦(ヤクルトスワローズ・福岡ソフトバンクホークス戦)開幕試合の会場に(ただし、雨天のため1日遅れの開幕だった)。
- 2006年 監督が古田敦也に代わったため、4年ぶりに広告を大幅変更。同年プロ野球オールスター戦が開催される。11月4日、明治神宮外苑の創建80年を記念して、東京六大学選抜-東京ヤクルトスワローズのプロ・アマ交流試合が開催された。
- 2008年 前年11月より改修工事を実施。スコアボードの全面フルカラー化やフィールドの拡張(両翼が91mから101mに)、モノフィラメント・ロングパイル人工芝への張替えなどを行った。
[編集] プロ野球
[編集] 東映の本拠地
1961年、東映フライヤーズの本拠だった駒澤野球場が東京オリンピック(1964年)の開催に伴い閉鎖・撤去されることとなり、東映は本拠地を失うことになった。そのため、学生野球の試合が開催される場合それを優先すること、スタンドの増築やナイター設備及びラッキーゾーンを設置することなどを条件に、1962年から東映の本拠地として神宮球場を使用することが認められた。これにより東映は、神宮球場を専用球場とする最初のプロ野球チームとなった。
その年、パ・リーグ優勝を果たした東映は日本シリーズ・阪神タイガース戦の主催3試合中第3、4戦の2試合を開催。第5戦は学生野球優先の取り決めもあり後楽園球場で開催された。また1963年には東京オリンピックの協賛チャリティーというサブタイトルでオールスターゲームを初開催した。
1964年国鉄スワローズの本拠地化に伴って、本拠地を後楽園に変更したが、それ以後も1980年まで準本拠地として数試合開催している(1964年は25試合だったが、それ以後は試合数を段階的に減らしていった)。
[編集] 国鉄〜サンケイ〜ヤクルトの本拠地
年表でも触れたように、1963年のシーズン終了後に国鉄がメイン球場に隣接する第2球場を専用球場にしたい意向を明らかにし、産経新聞・フジテレビジョンが主体となって具体的な改装計画まで明らかにしたものの、日本学生野球協会が反対の意向を表明、更に学生野球が将来神宮球場から追い出され、第2球場に追いやられるのではというデマまで流布し、国会の文教委員会でも問題となり、更には右翼団体までもが介入し、今村均(元陸軍大将)までもが神宮プロ野球進出反対運動に担ぎ出されたという。結局、第2球場はアマチュア専用にしたいという管理者の意向もあり、第2球場の本拠地使用は却下され、改修工事は第1期工事で中断となった。代わりに、国鉄の本拠地として神宮球場の通年使用が認められた。これを受けて、1964年、東映が後楽園球場に移転し、国鉄が神宮球場を本拠地として使用するようになり、今日に至っている。これは、国鉄を実質的に経営していたフジテレビに対して後楽園球場のテレビ中継権が与えられていなかったことと、それに付随してフジテレビが国鉄戦テレビ中継を強化したかったこと等も絡んでいる。(出典:『ヤクルトスワローズ球団史』徳永喜男・元国鉄〜ヤクルト球団代表)
しかし、東京六大学野球のリーグ戦や、全日本大学野球選手権大会など学生野球の主要ゲームを実施する場合はそちらを優先する。そのため神宮でのデーゲームは例年、学生野球の行われない時期(4月上旬・6月下旬・9月)に限定される。2004年まで毎年5月下旬に行われていた千葉マリンスタジアムでの公式戦は、同時期に神宮で行われる早慶戦の開催を考慮したものである。
1978年の日本シリーズ(ヤクルト-阪急戦)のヤクルト主催ゲームも、東京六大学野球との日程調整が付かなかったため、後楽園球場で振り替え開催された。その後東京六大学、東都大学両野球連盟との調整により、1992年の日本シリーズと1993年の日本シリーズ(いずれもヤクルト-西武戦)では、ヤクルトのホームゲームが初めて神宮球場で開催された(デーゲーム。これに伴い大学野球はナイトゲーム開催)。以降、日本シリーズのヤクルト主管試合は全て神宮での開催となっている。1992年には、日本シリーズの表彰式終了直後に六大学野球の試合が行われたため、普段よりはるかに多い観客が六大学の試合を観戦したというエピソードが残っている。1995年以降は日本シリーズがナイター開催となったため、シーズン中同様に大学野球はデーゲームで開催されている。
このほかにも1970年代初め頃まで大学野球との日程の絡みで、消化試合を神宮で行えず川崎球場や東京スタジアム、横浜公園平和野球場を借りて行った事例もある。
試合前の練習は基本的に明治神宮外苑にある軟式野球場や屋内練習場を使って行われる。これは日中に学生野球の試合が行われることを考慮してのこと。
[編集] ロッテの公式戦
1972年の東京スタジアム閉鎖に伴い、本拠地を失ったロッテは、1973年から1977年の公式戦の一部を神宮球場で開催した。1973年のパ・リーグ(前期)でロッテは南海と熾烈な優勝争いを展開。優勝がかかった6月の対日拓ホーム3連戦では1試合あたり6万人ものファンが詰めかけ、ロッテ優勝の瞬間を見届けようとしたが、ロッテは惜しくも前期優勝を逃している。
[編集] 優先使用権
神宮球場が他の球場と決定的に違うのは、東京六大学野球連盟(及び東都大学野球連盟)に優先使用権が認められていることである。これは神宮球場が東京六大学野球の設立にあわせて専用球場として建設され、建設に東京六大学連盟の尽力があった、という事実からである。また、所有者の明治神宮がアマチュア野球を優先してきたという歴史的な経緯もある。しばしば他の一般的なプロ野球のフランチャイズ球場になっている球場と同じように「神宮球場はスワローズの本拠地で大学野球は間借りしている」と誤解されることがあるが、スワローズが間借りしているのが実態である。収益力の高いプロの日程を最優先させるべきだとの意見は以前から一部にはあり、時代の経過とともに大学野球全体の人気の低下がその声を後押しする傾向が強まり、近年は興行収入の問題から大学連盟側がヤクルト球団側に配慮するようになってきている面もある。但し、神宮球場側の基本的な認識は、前述の歴史的な経緯から、現在でも球場使用の割り当ての最優先権を東京六大学野球連盟に与えている。また明治神宮とヤクルト球団は、神宮球場の使用契約を1年ごとに更新している。
プロ野球(ナイター開催)と大学野球(日中開催)の併用日には、大学野球の試合開始時間を通常の「1試合開催時:13時、2試合開催時:12時」から更に1時間早めて「1試合開催時:12時、2試合開催時:11時」にし、プロ野球は大学野球開催中は2008年まで18時20分開始(試合展開によっては更に後ずらしになることがある。非併用時は18時開始)にしたり、大学野球の開催期間にヤクルトがデーゲームを組む場合はヤクルト球団が他球場を使用するなどの調整を行っている。1989年までは一律18時30分開始だったが、延長戦が15回までに変更されたことをきっかけに1990年から変更になった(現在の延長戦は12回まで)。2009年からは大学野球開催中も18時開始となった。なお日曜日の試合の一部(6月21日の西武戦、7月12日の横浜戦)は14時開始のデーゲームとなった。
上記のように、学生野球のスケジュールが優先されてきた歴史を持つ球場であるが、1985年10月16日に阪神タイガースが21年ぶりのリーグ優勝を決めたヤクルト対阪神戦の試合当日は、日中に予定されていた東都大学リーグの試合が延期される事態となった。これは前日から阪神ファンが球場前に多数詰め掛けたため、学生野球の試合を開催した場合の混乱を避けるべくなされた措置で、当球場始まって以来の異例のものであった。
東京ヤクルトではオープン戦期間中と、公式戦でも主として学生野球の試合が組まれない4月初旬、ないしは9月初旬にデーゲームを組むことがある。1990年以降、神宮でのデーゲームは1991年と2001年の4月に各2試合開催したのみだったが、近年は大学野球側との折衝交渉を積極的に行うようになり、開催数が若干増加している。2005年は6月4日、5日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦、6月18日の西武ライオンズ戦(交流戦予備日)と7月2日、3日の中日ドラゴンズ戦をデーゲームで開催した。更に2006年、古田敦也がヤクルトの監督に就任したのに伴って、球団が地域密着型のチーム運営策「F-PROJECT」を打ち出し、その一環としてデーゲーム開催数の増加について大学野球側と折衝を行った結果、前年に引き続き6月3日、4日に加えて、従来の東都大学野球連盟のリーグ戦使用分であった5月3日、4日もデーゲーム開催(東都大学リーグ戦はナイター開催)に変更した。
学生野球の使用割り当てを優先的にする(中でも特に東京六大学野球連盟を最優先にする)のは、基本的に、あくまで春先に行われるその年度の球場使用割り当てを決定する場合においてであり、一年を通して東京六大学野球リーグ戦や、学生野球が好き勝手に使いたい放題になっているわけではない。春先に事前に行う使用割り当て時に決定した内容が年間を通して遵守される。(後日に順延等の都合で調整が必要な場合は、基本的に未使用で空いている日時をやりくりして調整を行うことになる。)
この手の誤解を招く元になっている代表例として、東京六大学野球(以下、六大学)と東都大学野球(以下、東都)の関係を紹介する。
東都が火・水の日程で組まれているにも拘らず、六大学が順延などで月曜日終了時点でもその週のスケジュール(前週の未消化スケジュールがある場合はそれも含む)が決着しない場合は、翌日以降も六大学の開催日に変更され、東都の開催日はそれに従い順延され、最悪その週の木・金のみに変更される(木・金はリーグ戦期間中の本来の東都の優先日)場合がある。この事で「神宮球場はいつでも六大学が自由に使える。」という誤解が一部に生じている。これらの状況は、本来の六大学の使用割り当て分(土曜日〜水曜日)を「六大学のリーグ戦期間中で六大学が使わない日は東都側が使用しても構わない」という六大学と東都間の従来からの協定に従って使われているもの。確かに事前の球場使用割り当て時では六大学のリーグ戦の日程及び六大学連盟からのその他の使用申し出に従った割り当てを優先的に行う(従来から行われている使用申請がほぼ認められる)が、例えば早慶戦終了後(つまり六大学リーグ戦終了後)の翌週が、他からの使用希望により事前に割り当てが決定している場合は、仮に六大学リーグ戦やリーグ戦終了翌日から同じ神宮球場で行われる六大学新人戦が予定内に決着しない場合でも、六大学が優先的に割り込めるわけではない。尚、これは東都側についても同様で、「リーグ戦期間中外でも東都が木・金曜日を自由に使える」という認識も同様に間違いになる。従って、「六大学新人戦は東都の優先日である木・金を使わせて貰っている」わけではない。事前の割り当てで優先的に割り付けてもらったスケジュールに従って使用されているだけである。一連の記述で解説されている優先日云々というのは、あくまで事前に決定する使用割り当て時と個別間の事前協定に従った上での事で、加えて双方(六大学・東都)のリーグ戦期間中に限った上での事になる。(例年の使用区分を例にとると、六大学リーグ戦最終週終了後翌週の週末、東都リーグ戦最終週終了後翌週の木・金は、事前に割り付けが決定している部分では無い為、優先権は及ばない。もちろんこの場合も、そのシーズン固有の事情などにより事前に何らかの使用権が成立している場合は例外となる。)
なお、球場の年間使用スケジュールの概況は例年「神宮球場ガイドブック」の春季号に掲載される。
[編集] 球場概要
[編集] 明治神宮野球場
- 所在地:東京都新宿区霞ヶ丘町3-1
- 1926年10月完成
- 収容人数:35,650人(消防法上の定員)
- グラウンド面積:12,659m²
- 両翼:101 m、中堅:120 m
- 内外野:全面透水性ロングパイル人工芝(住友ゴム工業製 ハイブリッドターフET-62、パイル長62mm)
- スコアボード:全面フルカラーLED(東芝ライテック製 スーパーカラービジョン、H 12 × W 27.2m)屋外野球場としては国内最大規模。
- 完成当初はパネル式。但し得点表示部分は1950年代に巻き取り式となる。
- 1980年に電光化(高輝度放電管)され、1995年にフリーボードがフルカラー化(スーパーカラービジョン)。2008年の改修で全面LED(映像表示時は画面アスペクト比16:9ワイドサイズに対応)となった。神宮のスコアボードは電光化以降、独特の表示方式を用いており、2008年のフルカラー化以降も、この方式がコンピュータグラフィックスによってほぼ踏襲されている。特色として以下の点があげられる。
- 選手名表示部には、出場中の全選手の打率・本塁打数を表示することができる。2007年までは両チームとも常時表示していたが、全面LED化後は、試合中には各選手の打率・本塁打の表示に代わって広告が表示され、現在打席に立つ打者の成績のみをスコアボード上部に表示している。
- 得点表示部には、各イニングの得点と合わせて安打数も表示される(ただし写真にあるように高校野球等、一部ヒット数の表示がされない場合がある)。その関係で通常は得点表示部の上に出すイニング表示が上下のスコア表示部の間にある。
- ボールカウントは、放電管時代は数字で表示していた。全面LED化後はCGで信号灯を模して表示している。
- 審判名を表示する部分がない。
- 選手の登録名に従って、旧字体はそのまま表示される。
- チーム全体の四死球の数が表示される(大型ビジョンの両サイド。エラーの数字も一緒に出る)。
- 審判名および球速は、スコア表示部分の下にある大型ビジョンに表示される。
- この他、バックネット裏にサブスコアボード(全面フルカラーLED)を1基設置している。
- なお、カラービジョン移行前は延長10回時には「計」の部分(スコアが2桁となった場合の十の位の部分)を代用していたが、カラービジョン設置以後は10回まで掲載できるようになった。2008年の改修に当たって表示は9回までに戻り、10回以後は一度表示をクリアした上で1回のところから表示する。この場合は最大18回まで表示できるようにしているが、プロ野球では12回、高校野球は15回まで表示し、後は空欄となっている。
- またカラービジョン移行前は、選手名の表示部分が9名分しかなかったため、指名打者制を使用する試合では、投手名はチーム名表示の箇所、後に大型ビジョンの両端を使って表示されていた。
- スコアボードの中央下部には、東芝の広告スペースが設けられている(初期は同社のオーディオ機器のブランド「Aurex」であった)。電光化と同時に設置されたもので、当初はナイターの試合中には常時点灯していた。しかし「打者や捕手から、投手の投球が見えづらい」と苦情が寄せられたことから、試合進行をスムーズにするため、試合中は消灯し、試合前後とイニング間に限って点灯されるようになった。
[編集] 明治神宮第二球場
- 1961年4月19日竣工
- 両翼:91 m、中堅:116 m
- 内外野:全面透水性人工芝
- スコアボード:パネル式
- 収容人数:5,600人
1926年、明治神宮相撲場として開設された。1947年から1948年にかけて大相撲の本場所興行が行われた。その後野球場に改築されることになり、1961年竣工。増築を経て1964年に現在の形となった。以前フィールドは全面クレー舗装だったが、1993年に人工芝が敷設された。
メインスタンド(バックネット裏)は二層式スタンドで、通常は1階席の部分のみ開放。多客時には2階も開放される。一塁側にはスタンドは無く、ダッグアウト付近から右翼ポール際にかけてゴルフ練習用の打席が121打席設置されており、第二球場右翼場外に隣接する明治神宮外苑ゴルフ練習場(外苑ゴルフクラブ)の西練習場を兼ねている。ゴルフ練習場のうち東練習場は通年営業しているが、第二球場を兼ねる西練習場は、大学野球シーズン中は夜間のみの営業となる。用地が狭隘で外野後方には道路があるため外野スタンドはなく、三塁側スタンドは現在開放していない。また前述の通り、アマチュア野球公式戦が行われる時間帯以外はゴルフ練習場として供用しているため、一般利用は不可能となっている。
なお、毎年8月の神宮外苑花火大会開催時には、花火の打ち上げを第二球場から行っている。
[編集] エピソード
- 周辺住民に配慮し太鼓を叩いての応援は原則的には禁止。最初に規制が実施されたのは昭和天皇崩御に際しての自粛規制であったが、これを機会に以後も応援での太鼓使用についての規制が何らかの形で継続して現在に至っている。周辺住民からの再三再四にわたる抗議も影響していたとされる。
- プロ野球では原則的には太鼓形態の打楽器は一切使用が禁止。このため、応援の際はメガホンなどのリズムが、ポール際やセンター側でずれたり、テンポが速くなることがしばしばある。高校野球でも同様(明治神宮大会高校の部を除く)。また東京六大学野球や東都大学野球を始めとする高校野球や大学野球の全国大会、その他アマチュア野球などでもいわゆる大太鼓は、試合前後と7回の校歌斉唱(学校により応援形態は様々なので、必ずしも校歌である必要はない)時のみの使用に原則的に制限される。但し18時以前に限り吹奏団体所属の太鼓なら使用が許可されている。さらに、18時以降は太鼓を含む全ての打楽器類が使用禁止になり、22時以降は全ての楽器類が使用禁止になる。これは、都条例におけるスタジアム等での楽器応援規制とは別なものである。このため、全日本大学野球選手権では、校歌・応援歌・応援曲がアカペラで行われることがある。また近年は、神宮第二球場で行われる東都大学リーグ戦については、試合開始時及び7回表裏の校歌斉唱以外は一切の楽器使用が禁止されている。
- 改修前の2007年までの神宮球場は、両翼91mと当時のプロ野球の専用球場としてはもっとも距離が短かった(次に短いのは旧広島市民球場の91.4m)ので、一般的には「ホームランの出易い球場」と思われていた。もっとも、両翼が短い一方で中堅から右・左中間にかけてはカーブが緩やかなため、ポール際の打球は詰まった当たりや低いライナーなどがスタンドインしてしまう(もしくはフェンス際までいってしまう)反面、ポール際以外に飛んだ当たりではそう簡単にホームランが出るわけではなかった。両翼拡幅後も、右左中間〜センターとホーム間の距離は変化していない。
- またプロ野球において、ジェット風船の使用を禁止している。当初はライトスタンドのみ禁止されていたが、新型インフルエンザの日本国内での感染拡大を受けて、他球場に倣い2009年5月から使用自粛を呼びかけ、その後、球場周辺への風船ゴミ飛散防止と観客の衛生面への配慮を理由に、解禁せず6月から全面禁止に移行した。
- 神宮球場はヤクルトの本拠地ではあるが昔からビジターチームのファンが多い。レフトスタンドは大抵の試合でビジターチームのファンで埋まり、読売ジャイアンツ・阪神タイガース戦の際にはライトスタンドを除いて巨人・阪神ファンが大半を占めることも珍しくない。加えて、近年はヤクルトファンが減少したため、この差はより顕著になっていった。古田敦也が監督就任時に「東京ヤクルトスワローズ」への改称やユニフォームの一新など、「神宮をヤクルトファンで満員にしよう」の合言葉のもと進めた「F-PROJECT」発足の理由の1つとして、この状況が挙げられる。
- クラブハウスと球場との行き来の際は、内野席と外野席との間にある通路から入り、ここからベンチへはグラウンド内を歩いていく。試合前や勝利後はファンとの触れ合いが見られる一方、連敗や惨敗などの日は観客からの罵声や野次が飛び交い、時には物が投げ込まれるなど、特にビジター側の選手にとっては「つらい移動」と呼ばれている。なお、スワローズの選手は通路とクラブハウスの間は原則として地上を歩いて行くが、地下道もあって選手の移動に支障がある場合に使用される。この地下道は荒木大輔が入団時、ファンに囲まれて身動きが取れなくなるのを避ける為に設置されたため、通称「大輔トンネル」と呼ばれている。
- ヤクルトが1978年にセ・リーグで初優勝した時、ファンが優勝を祝うが余りに客席から飛び出して選手や広岡達朗監督を胴上げするという光景が見られた。その模様はフジテレビの製作によって全国テレビ中継された。そういったこともあり、同じ神宮で1985年、21年ぶりの優勝を決めた阪神タイガースの試合のときには警備員を多数増員して、乱入をしないように警戒を強めたという。
- 村上春樹が平日の神宮球場の外野席でヤクルト戦を見ていた際に小説家になろうと思い立って、『風の歌を聴け』が生まれたというエピソードは有名。
- 漫画「野球狂の詩」で東京メッツが本拠地としている「国分寺球場」は当球場がモデルとされており、実写による映画版、並びにドラマ版でも当球場が撮影に使用されている。国分寺球場も当時の神宮も、スコアボードは15回まで用意されていた。これは、東京六大学野球の引き分け規定が延長15回まで(一時期、場合により18回まで)であったため。
- またスコアボードが巻き取り式だった時代は得点表示は最大9点までしか記載することが出来なかった。1969年5月27日に阪神が6回の1イニングで13点を挙げた試合の時は6回のところに9点を、また延長10回の部分に残り4点のスコアを記載して間に合わせた。
- グラウンドが狭くなる前、東京六大学野球では“エンタイトル三塁打”のオリジナルルールを適用していた。
- まれに、野球以外のコンサートやイベントの会場としても使われることがあり、モトクロスのジャパンスーパークロスや、2005年のM-1グランプリの敗者復活戦、2006年の全国高等学校クイズ選手権関東地区予選の会場としても使われた。周辺に国立霞ヶ丘陸上競技場や秩父宮ラグビー場があるため、野球以外のスポーツイベントが行われることはまれである。
- 毎年8月には、神宮外苑花火大会(日刊スポーツ主催)のメイン会場として使用される。
- 軟式野球では 全国軟式野球統一王座決定戦・ジャパンカップ(ストロングリーグ主催)の決勝会場として、また交流試合などで使用される。
- 学生野球とプロ野球が同日に開催される場合、観客は通常入れ替え制とするのが原則である(学生野球の観客がすべて出場してから、プロ野球の観客を入場させる)。ただし、土日曜日・注目カード・優勝決定等の理由で、球場周辺の行列が長くなって神宮外苑内に並ばせる余地がない場合は、例外的に学生野球の試合中にプロ野球の観客を入場させることがある。下記はその一例(六大学野球・東都大学野球の双方で例外入場歴あり)である。
- 1997年9月28日 - ヤクルトの優勝がかかった試合・日曜日などの条件が重なり、さらには隣接する国立競技場でサッカーフランスワールドカップ予選の日韓戦が行われており、神宮周辺は史上最高の人出と言われるほどにまでなったため、外野自由席の客を東京六大学野球開催中にもかかわらず入場させた。なお、この日の六大学野球は慶應義塾大学の高橋由伸の、田淵幸一の持つ東京六大学本塁打記録の更新がかかっており、こちらも多くの集客があった。高橋はヤクルトファンで埋まったライトスタンドにホームランを打って東京六大学本塁打記録を更新している。
- 2007年10月7日 - ヤクルトの大功労者である古田敦也の引退記念試合であり、日曜日ということもあって早朝から多数の観客が詰めかけため、東京六大学野球の試合中に入場させた。外野席は学生野球で開放していなかった(但し、学生野球でも東京六大学野球の場合のみは通常は外野席も開放している。)ため通常どおりの入場方法だったが、内野席の観客については、学生野球の観客がほとんどいないポール際・最上段にいったん着席させ、学生野球の観客の退場後に指定の席へ移動させる方法が採られた。
- 2008年、読売ジャイアンツはこの年セントラル・リーグ32回目(1リーグ時代を入れると41回目)の優勝にして、史上初めてこの球場で優勝を決めて監督の胴上げを行なった。これで当球場で監督の優勝胴上げを行っていないセ・リーグのチームは横浜ベイスターズ(前身の大洋ホエールズ時代を含める)だけとなった(他球団はヤクルトが1978年、阪神が1985年、広島が1986年、中日が1999年にそれぞれ経験済)。
- 2009年、愛子内親王と皇太子御夫妻(徳仁親王・妃雅子)が若松勉の解説で横浜対ヤクルトの試合を観戦した。試合は横浜が2-1で勝利した。
- 1989年、神宮球場で初のサッカーの試合、シャープワールドサッカー89・日本代表VSマンチェスターユナイテッド開催。
- 高校野球を題材にした映画「ROOKIES」のロケに使用された。ただし、バックスクリーンのフジテレビ・ニッポン放送の広告は隠されていた(これは、この映画の制作がTBSであったため。なお、同様にセンターのコカコーラ・東芝・麒麟麦酒の広告も隠されていた。)
[編集] 交通機関
- JR中央線 信濃町駅、徒歩約13分
- JR中央線 千駄ヶ谷駅、徒歩約15分
- 東京地下鉄銀座線 外苑前駅、徒歩約5分
- 東京地下鉄半蔵門線 青山一丁目駅、徒歩約15分
- 東京地下鉄副都心線 北参道駅、徒歩約17分
- 都営地下鉄大江戸線 国立競技場駅、徒歩約13分
[編集] 関連項目
- 日本の野球場一覧
- 明治神宮外苑競技場(現在は廃止され、国立霞ヶ丘陸上競技場になっている)
[編集] 外部リンク
| 前本拠地: 駒澤野球場 1953 - 1961 |
東映フライヤーズの本拠地 1962 - 1963 |
次本拠地: 後楽園球場 1964 - 1987 |
| 前本拠地: 後楽園球場 1950 - 1963 |
東京ヤクルトスワローズの本拠地 1964 - 現在 |
次本拠地: n/a - |
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最終更新 2009年11月14日 (土) 22:29 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【明治神宮野球場】変更履歴








