兵庫県立明石公園

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兵庫県立明石公園のデータ

桜堀
正式名称 兵庫県立明石公園
面積 54.8 ha
所在地 明石市
前身 明石城
開園日 1918年4月15日
公園管理者 兵庫県園芸・公園協会
所管事務所 兵庫県立明石公園事務所
事務所所在地 〒673-0847
兵庫県明石市明石公園1-27
電話番号 078-912-7600
公園案内 明石公園
剛ノ池
西芝生広場
武蔵の庭園

兵庫県立明石公園(ひょうごけんりつあかしこうえん)は、兵庫県明石市にある公園

目次

[編集] 概要

国の史跡明石城跡を整備した歴史公園である。園内には櫓や堀、石垣といった城跡とともに各種スポーツ施設や公立図書館などの文化施設が点在する。本丸と北側の桜堀周辺は都市緑化植物園区域とされ樹木が生い茂る。本丸の南は西芝生広場が、桜堀の北西には広大な剛ノ池が広がる。二ノ丸の南には宮本武蔵作とされる日本庭園が整備され2003年に公開された。

平山城である明石城本丸からは、明石駅前に立ち並ぶビルの向こう側に淡路島が見え、東は明石海峡大橋等を眺めることができる。

[編集] 自然

クスノキやオダマキ、ケヤキヤマモモ等様々な木が園内全体に生えており、特に公園中央にある桜掘周辺は森のようになっている。ソメイヨシノは約2000本が植樹されていて剛ノ池周辺に多く、日本さくら名所100選に選ばれており、春には花見客が大勢詰めかける。

現存する中堀にはコブハクチョウカモアオサギゴイサギなどが居り、カワセミが見られることもある。冬にはユリカモメの群れが押し寄せる。

[編集] 歴史

城の歴史については明石城の項目を参照のこと。

  • 1881年明治14年)夏 - 神戸の相生小学校(後の湊川小学校)建築用に艮櫓解体。
  • 1881年(明治14年)8月16日 - 旧士族ら14人、県に対し城跡現状保存を出願。
  • 1888年(明治21年)12月 - 明石公園保存会設立、公園の経営を行う。
  • 1896年(明治29年)11月24日 - 管理が明石郡に移管。
  • 1898年(明治31年)11月21日 - 皇太子(後の大正天皇)御用邸候補となり廃園。
  • 1911年(明治44年)2月 - 明石離宮造園内定。
  • 1912年大正元年) - 大正天皇即位で離宮の件は取り消しに。
  • 1918年(大正7年)4月14日 - 明石公園開園式。
  • 1926年(大正15年)10月25日 - 12月5日まで本丸で第1回菊花展開催(以後戦争時を除いて毎年開催)。
  • 1929年昭和4年) - 御料地全域払下。
  • 1948年(昭和23年)2月4日 - 兵庫県明石公園事務所発足、戦災からの復興事業開始。
  • 1956年(昭和31年) 無名の池などに応募で名称が付けられる(乙女池、ひぐらし池等)。
  • 1995年平成7年)1月17日 - 兵庫県南部地震により櫓や石垣に被害。
  • 2000年(平成12年)3月 - 城跡修復完了。坤櫓と巽櫓間の土塀も復元。
  • 2003年(平成15年)11月2日 - 武蔵の庭園が公開。

[編集] 明石城跡

2004年(平成16年)9月30日、城跡が国の史跡に指定された。毎週土日は坤櫓の1階内部を公開している。小雨を含む雨天は公開中止となる。本丸の四隅には櫓が建っていたが、北東の艮櫓は1881年(明治14年)に、北西の乾櫓は1901年(明治34年)に解体されており、現存しない。

  • 本丸
    • 坤櫓(西側) 1957年(昭和32年)6月18日、国の重要文化財に指定
    • 巽櫓(東側) 1957年(昭和32年)6月18日、国の重要文化財に指定
    • 天守台
    • 稲荷曲輪
  • 二ノ丸
  • 東ノ丸
  • 中堀 公園の境になっている堀。内堀と外堀は埋めたてられている
  • 桜堀
  • 箱堀
  • 薬研堀
  • 石垣 20,000m²

[編集] スポーツ施設

[編集] 野球場

公園内には、硬式野球が行える第一野球場と、サブグラウンドで軟式野球及びソフトボール向けの第二野球場の2つの野球場がある。両球場の施設詳細については兵庫県立明石公園第一野球場を参照。

第一野球場は明石球場とも呼ばれ、「もうひとつの甲子園」とも呼ばれている。高校野球全国高等学校軟式野球選手権大会の本大会や硬式の県大会決勝戦などが行われる。

プロ野球では1949年5月、公式戦の南海ホークス大陽ロビンス戦が行われた。またキャンプ地としても使用されたことがあり、読売ジャイアンツが戦前戦後通じて9回、大洋ホエールズが戦後に3回実施している。近年は公式戦が開催されることはなくなったが、オープン戦は主に阪神タイガースオリックス・バファローズの主催により不定期で開催されている。

[編集] 陸上競技場

  • 日本陸上競技連盟第1種公認
  • トラック 1周400m 8レーン
  • 2万人収容(メインスタンドのみ座席で6000人収容、他は芝生席)

[編集] 補助陸上競技場

  • 1周250m

[編集] 球技場兼自転車競技場

  • 日本自転車競技連盟公認(1周400メートル)
  • 12000人収容

競輪場として1950年4月に完成、市営競輪が行われていたが1961年3月に廃止。1977年6月よりアマチュアの自転車競技場として再生。現在は主に競輪選手が練習場として使用している。競輪場時代の車券売り場の敷地跡地には現在図書館が建てられている。2006年に開催された、のじぎく兵庫国体の会場となった。

[編集] テニスコート

  • 12面

1950年完成。完成時には全日本軟式テニス選手権大会が行われた。

[編集] 兵庫県立弓道場

  • 近的12人立ち
  • 遠的6人立ち
  • 観覧席120席

1988年5月に完成。

[編集] ローンボウルスコート

  • 7リンク

1972年に完成。当初は相撲場の予定だったが工事途中で中止され、現在の形になった。日本選手権をはじめとしたローンボウルスの競技会会場にもなっている。

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第1野球場の南にバレーコートがあったが、現在は駐車場になっている。

[編集] 文化施設

[編集] 兵庫県高等学校野外活動センター「あさぎり寮」

1966年4月開設。学生や一般の宿泊研修、会議などに利用されている。

[編集] 兵庫県立図書館

1974年10月開館。 地上3階地下1階の建物のうち、北側の2階部分が一般図書閲覧を行う調査相談室になっている。蔵書数は48万冊。 市立図書館と一体の建物になっているが中は独立しており、通路を通って互いに行き来することはできない。詳細は兵庫県立図書館を参照。

[編集] 明石市立図書館

1974年10月開館。 建物の東1階部分が図書閲覧室になっている。詳細は明石市立図書館を参照。

[編集] 明石城武蔵の庭園

池泉回遊式日本庭園。2003年11月2日から一般公開。茶室は2004年3月27日に完成。 かつて宮本武蔵作と伝えられる庭園や建物が現在の陸上競技場付近にあった。今回の庭園はそれより東に離れたところにある乙女池周辺を整備して造られている。場所の選定理由は、大正時代の工事の際に庭園材料や樹木の移設先となったこと、地割りが類似している等があげられている。

[編集] 池、広場など

  • 三ノ丸芝生広場
  • 剛ノ池 29,000m²

ボート乗り場がある。周辺は桜の名所になっている。


[編集] 駐車場

西入り口及び図書館北側の2か所に有料駐車場あり。

[編集] 交通アクセス

[編集] 鉄道

[編集] 道路

[編集] 明石公園に関する逸話

[編集] 公園内の古墳

兵庫県高等学校野外活動センターあさぎり寮に入る手前の林の中に、直径10m、高さ1.5mのあさぎり寮古墳(円墳)が現存する。頂上から土器片が採取されており、古墳時代後期のものとみられている。

本丸跡、坤櫓の近くには人丸塚と呼ばれる丸い丘があり、円墳とされてきた。しかし都市緑化植物園工事に先立って1978年1月から行われた埋蔵文化財発掘調査により、埋葬施設が出ない、土の盛り方が乱雑等の理由で、古墳ではないとの結論が出ている。

図書館南側には半壊した石室を露出させている北曲輪古墳があるとされてきたが、現在では土塁の一部と見なされている。

[編集] 動物園構想

1955年5月、公園内に子供向けの施設として動物園を作るため市長は県への協力をあおいだ。 とりあえず1956年6月から14匹のサルを公園内で飼育したが、徐々に見物人によるいたずらが相次ぐようになり、1958年10月には見物人が金網にあけた穴からサルが脱走。以後も脱走をくり返し人が噛まれる被害が出たため、サルは姫路市立動物園に引き取られ、動物園構想は立ち消えになった。

1957年2月には山陽電気鉄道による公園内の動物園構想が明石市に出され、協力の要請があったが、実現しなかった。

[編集] 植物園構想

1977年1月、兵庫県は本丸跡に入園料を取る植物園を作る構想を出した。しかし市民や県文化財保護審議会による反対もあり、構想は大幅に縮小された。

結果、本丸跡周辺82,000m²が都市緑化植物園区域とされ、花木園や班入植物園として樹木が植えられたり、従来からある植物の保護育成が行われている。西側の稲荷郭には薬草等がある有用植物園が作られ、開放されている。剛の池南端には緑の相談所が作られている。

[編集] ジャイアント馬場

後にジャイアント馬場の名でプロレス界で活躍することになる馬場正平が、野球選手として読売ジャイアンツ大洋ホエールズに在籍していた時、キャンプ場が明石の第1野球場だった。この地で後の夫人と出会っている。また阪神・淡路大震災に対しては義援金を募っており、これを記念して公園内に馬場の身長と同じ209cmの石碑が建てられている。

[編集] 阪神・淡路大震災

1995年1月17日に起きた兵庫県南部地震により明石公園も甚大な被害を受ける。坤櫓、巽櫓は土台部分の沈下により傾斜、一部の壁が崩落するなどの被害が生じた。石垣は現存する20,000m²のうち3740m²が崩壊、破損した。

この時点では石垣は史跡指定を受けておらず、修理は建設省事業による一般工事になるところだったが、協議の結果文化財として伝統方式で修復されることになった。また櫓自体は柱や梁の状態が良好だったため、全解体せずに修復することになった。

櫓は曳屋工法を用い建物全体を持ち上げ、1か月をかけて後ろに移動。土台を修復したあと再び元に戻し、壁や瓦等の修復工事を行った。土台の補修はコンクリートを使わず、版築工法を用い土を突き固めている。

修復工事の際には調査も行われ、両櫓の土台の違いや、他の城に見られない石垣内部の特徴などが判明している。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

世界測地系34°39′10.07″N, 134°59′30.47″E

最終更新 2009年5月24日 (日) 03:17 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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