明石昌夫

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明石昌夫
基本情報
出生名 明石昌夫
別名 Max Brightstone
出生 1957年3月25日(52歳)
出身地 兵庫県,大阪府育ち
ジャンル J-POP
職業 音楽プロデューサー
アレンジャー
ベーシスト
担当楽器 ベース
シンセサイザー
活動期間 1988年
  

明石 昌夫(あかし まさお、1957年3月25日 - )は日本音楽プロデューサーアレンジャーベーシストマニピュレーター兵庫県出身、大阪府育ち。

目次

[編集] 人物

音楽好きの一家に生まれ、4歳からバイオリンを習い始める。中学時代に60~70年代のブリティッシュ・ロックに強く魅了される。大阪大学基礎工学部を卒業後、大阪のライブハウスを中心に活動。

1988年にデモテープがビーイング長戸大幸に評価され、ビーイングと契約。初編曲作品はB'zの『だからその手を離して』。その後、ビーイングアーティストを中心に多くのアーティストの編曲を担当し、ビーイングに欠かせない存在になる。B'zの作品にも当初のサウンドアドバイザーの肩書きを含め多く関わっており、明石を称する時に"3人目のB'zのメンバー"とも言われる。またベーシストとしても評価され、1997年までB'zベース&マニピュレートでサポートメンバーとしても活躍。また、MANISHBAADT-BOLANのサウンドプロデュースも行った。

また自身のバンドAKASHI MASAO GROUPを活動させる。

1998年をもってビーイングとの契約を終了し、フリーの立場でサウンドプロデューサーとして活動を開始。明石曰く、『(GIZA studioが設立したため、)拠点が東京ではなくなった。』とのこと。綿貫正顕のバンドをプロデュースする予定が、解散に持ち込んでしまったり、故郷の大阪を始めとする関西の文化を批判するようになったのもこのころである。SIAM SHADEJanne Da Arc小坂りゆなどの楽曲制作に携わる。

1999年TBS系列のクイズ番組「オールスター感謝祭」でおこなわれた「番組放送中に番組主題歌CDを作る」という企画で、Riskyこと島崎和歌子が歌った「My life is...」(作詞:秋元康 作曲:織田哲郎)の編曲を担当した。制作にかかった時間4時間28分はギネスブックにも掲載されたが、放送中に編曲作業までしていたかどうかは定かではない。

2007年MARIAのサウンドプロデューサーになる(1stアルバムにて)。

なお、中森明菜の「とまどい」と「Good-bye My Tears」の編曲者「Max Brightstone」は明石昌夫の変名クレジットである。

[編集] AKASHI MASAO GROUP

1994年から自らの名前を冠としてバンドAKASHI MASAO GROUP(通称AMG)を結成。メンバーはベース明石昌夫、ボーカル千葉恭司、ギターは団篤史。主に大阪のライブハウスで活動し、インディーズよりアルバムを4枚とビデオ1本をリリース。1997年末に活動停止。

他アーティストの楽曲を編曲する時とはまったく違う、低く重いブルージーなサウンドで、本人の音楽的ルーツが色濃く反映されていたと考えられる。また、明石が作詞を担当した作品が実在する。


  • ディスコグラフィー
    • アルバム
  1. A.M.G. (1996年5月18日)
  2. ALL SHOOK UP (1996年10月20日)
  3. CHAINED (1997年8月1日)

[編集] サウンドの特徴

太いサウンドが特徴。ベースがベタベタとしており、ビートが緩めであるがその中にテクニックを散りばめている。管楽器(ホーンセクション)、オーケストラヒットシンセグロッケンなどの音色の使用法は時代をリードした。90年代前半はベースを抑えめにした細いサウンドも多く、またZARD『こんなにそばに居るのに』では多数のスピーディーな転調移調を行うなどテクニシャンの一面ももつ。

[編集] 楽曲提供

[編集] 作曲・編曲

  • 椎名へきる『裸のプリンセスマーメイド』
  • MANISH『True Heart』『Best Friend』(どちらも作曲は西本麻里との共作)
  • カラーボトル『青い花』(カラーボトルとの共作)

[編集] 編曲

※共同編曲

[編集] レコーディング参加

[編集] 著書

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年8月20日 (木) 13:11 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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