星野哲郎
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| 星野哲郎 | |
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| 基本情報 | |
| 出生 | 1925年9月30日(84歳) |
| 出身地 | |
| ジャンル | 演歌 |
| 職業 | 作詞家 |
| 公式サイト | hoshinotetsuro.com |
星野哲郎(ほしのてつろう、本名:有近哲郎、1925年9月30日 -)は日本の作詞家。山口県大島郡周防大島町(旧・東和町)出身、東京都小金井市在住。各所で「星野哲朗」という表記がされることがあるが、「哲郎」が正しい表記。
長男はシンガーソングライターの有近真澄。
目次 |
[編集] 略歴
- 1925年(大正14年)9月30日 - 山口県大島郡森野村(現・周防大島町)和佐に生まれる。
- 1938年(昭和13年) - 開導小学校[1]卒業。
- 1943年(昭和18年) - 山口県立安下庄中学校(現・山口県立安下庄高等学校)卒業。
- 1946年(昭和21年) - 官立清水高等商船学校(現・東京海洋大学)卒業。翌年、日魯漁業(後のニチロ、現・マルハニチロ食品)に入社、遠洋漁業の乗組員となる。しかし就職して数年後、病気のために船を下りざるを得なくなり、3年にわたる闘病生活を余儀なくされる。
- 1953年(昭和28年) - 雑誌の懸賞に応募した詞が入選したことをきっかけに作詞家になる。当初は日本コロムビア専属の作詞家であったが、その後クラウンレコードの専属を経て、フリー作家となり、演歌を中心に2000曲に及ぶ作詞を手がける。
- 1985年(昭和60年)2月21日 - 故郷周防大島に「なみだ船」の歌碑が建立される。
- 1986年(昭和61年)4月29日 - 紫綬褒章受章。
- 1988年(昭和63年)6月16日 - 東和町(現・周防大島町)の名誉町民になる。
- 1988年(昭和63年)8月31日 - 紺綬褒章受章。その後、飾版を2度受ける。
- 1996年(平成8年)7月9日 - 社団法人日本作詩家協会の会長に就任(2008年(平成20年)6月16日まで)。
- 2000年(平成12年)11月3日 - 勲三等瑞宝章受章。
- 2001年(平成13年)10月1日 - 社団法人日本音楽著作権協会 (JASRAC) の会長に就任(2004年(平成16年)9月30日まで)。
- 2007年(平成19年)7月26日 - 周防大島町に町営の「星野哲郎記念館」が完成。
- 2008年(平成20年)6月5日 - 宮崎駿と共に小金井市名誉市民第一号に決定。同年10月5日に名誉市民証授与[2]。
[編集] 主な作品
- 山口瑠美
- 寿宝船 ことぶきたからぶね(1999年)
- スリー・キャッツ
- 黄色いサクランボ(1959年)
- 美空ひばり
- 北島三郎
- 水前寺清子
- 涙を抱いた渡り鳥(1964年)
- いっぽんどっこの唄(1966年)
- 三百六十五歩のマーチ(1968年)
- 小林旭
- 都はるみ
- 渥美清
- 鳥羽一郎
- 兄弟船(1982年)
- 小林幸子
- 青山ミチ
- 叱らないで(1968年)
[編集] その他
- 日本作詩家協会の先代の会長でもある石本美由起は星野哲郎を世に送り出した人物の一人と言われている。
- 作曲家の船村徹とは長年のコンビであり、作詞:星野哲郎、作曲:船村徹の作品も多い。
- 母校の後継校である東京海洋大学の新校歌を作詞している。作曲は鈴木淳。
[編集] 関連項目
- 山口県出身の人物一覧
- 周防大島 松山フェリー - 就航船の「しらきさん」は周防大島の白木山にちなんで星野が命名したもの。
[編集] 脚注
- ^ 2000年(平成12年)3月31日児童減少の為、廃校
- ^ 名誉市民(小金井市Webサイト)より
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年8月2日 (日) 07:21 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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