有松町
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有松町(ありまつちょう)は、愛知県知多郡にあった町。現在の名古屋市緑区の一部である。
東海道沿いの古い町並みが残る「有松」と戦国時代に桶狭間の戦いが行われた「桶狭間」が有松町の地域に該当する。
目次 |
[編集] 概要
- 桶狭間村[1]は南北朝時代の1340年(興国元年・暦応3年)、南朝の落武者によって開拓されたという。
- 桶狭間村と鳴海村の間は人家のない地域であったが、東海道を整備していた尾張藩が東海道沿いのこの地域に新たな村を開くことを計画。1608年(慶長13年)、知多郡全域に高札[2][3]を掲げこの地域への移住を呼びかけて開かれた村が有松村である。開村当初は桶狭間村の一部扱いであったが、江戸時代初期に有松村として分立している。
- 有松村は農作地が少ないこともあり、新たな産業として興されたのが有松・鳴海絞りである。これにより有松村は発展し裕福になったという。有松は東海道の間の宿としても知られるが実際には鳴海宿に近いため、宿場町よりは有松・鳴海絞りを製造販売する商工業の町として賑わったという。
- 有松村は1784年(天明4年)に火災で全焼し、現在の古い町並みはこの火災以降の建物である。名古屋市指定の「有松町並み保存地区」に指定されている。
[編集] 沿革
- 1340年(興国元年・暦応3年) - 桶狭間村が開拓される。
- 1608年(慶長13年) - 尾張藩が桶狭間村と鳴海村の間に新たな村(後の有松村)を開拓。高札により知多郡全域に移住を呼びかける。
- 1625年(寛永2年) - 有松村が桶狭間村から分立。
- 1876年(明治9年) - 追分村、追分新田、木之山村、八ツ屋新田、又右衛門新田、伊右衛門新田、桶狭間村、長草村が合併し、共和村[4]となる。
- 1881年(明治14年) - 桶狭間村が共和村から分立する。
- 1892年(明治25年)9月13日 -
- 桶狭間村が共和村に編入される。
- 有松村が町制施行し、有松町となる。
- 1893年(明治26年) - 共和村から旧・桶狭間村が分立。有松町に編入される。
- 1964年(昭和39年)12月1日 - 名古屋市緑区に編入される。旧・有松町役場は緑区区役所有松支所となる[5]。
[編集] 交通機関
[編集] 神社・仏閣
- 有松天満社
- 神明社
- 慈雲寺
- 祇園寺
[編集] 史跡
[編集] 祭り
- 有松祭り (有松天満社秋季大祭)
[編集] 脚注
- ^ 桶迫間、桶廻間とも表記されていた。地名が桶狭間に統一されたのは1876年(明治9年)頃。
- ^ 「知多郡の内 桶狭間村新町の儀 諸役御免許候間 望之者有之においては 彼地へ可被者也仍如件」という文面であった。尚、桶狭間は、桶迫間、桶廻間などと表記されていたという。
- ^ この年が有松村が開村した年となっている。
- ^ 1906年に合併で大府村。現・大府市。
- ^ 1974年廃止。跡地は有松・鳴海絞会館となっている。
- ^ 正確には旧・有松町の駅ではなく、旧・鳴海町の駅である。
[編集] 関連項目
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