有馬記念

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有馬記念
(グランプリ)
開催地 中山競馬場
施行日 2009年12月27日
格付け GI
1着賞金 1億8000万円
距離 芝2500m
出走条件 サラブレッド系3歳以上(国際)(指定)[1]
負担重量 3歳55kg、4歳以上57kg
牝馬2kg減)
第1回施行日 1956年12月23日
  

有馬記念(ありまきねん)とは日本中央競馬会(JRA)中山競馬場内回り2500mで施行する中央競馬重賞GI競走である。

正賞は日本馬主協会連合会会長賞、中山馬主協会賞。

目次

[編集] 概要

第50回有馬記念(2005年12月25日撮影 優勝・ハーツクライ)

1955年まで暮れの中山競馬では中山大障害が看板競走であったが東京競馬場で行われていた東京優駿(日本ダービー)と比べると華やかさに欠けていることは否めず、そこで当時の日本中央競馬会理事長であった有馬頼寧が中山競馬場で大レースをと計画し、しかもそのアイデアとしてファンがより親近感を持てるようにとファン投票により出走馬を選出するオールスターレース方式を導入。プロ野球オールスターと同様の競馬のオールスターレースは、当時の世界の競馬先進国でも類を見ない画期的な選抜方法(他に推薦委員会による推薦馬選出方法)であった(のちに宝塚記念もファン投票方式と推薦委員会による推薦方式を採用)[2]。第1回中山グランプリ1956年12月23日中山競馬場の芝内回り2600mで開催された。なお、八大競走の中では唯一開催地変更が無いレースでもある[3]

しかし第1回を盛況の内に終えて間もない翌1957年1月9日に提唱者の有馬が急逝したため、有馬の数々の功績を称えて第2回以降は「有馬記念(グランプリ)」と名称が変更となった。期せずして、これは日本の公営競技等のレースでレースの提唱者の名前がレース名となった最初の例ともなった(後に安田記念も同様の例となっている)。このような経緯があるため、現在でもJRAの競馬番組表やレーシングプログラムでは競走名が「有馬記念(第○○回グランプリ)」と表記される。競走名の副題から優勝馬はグランプリホースと呼ばれることがある。

現在の優勝レイは、青色の地に金色の文字となっている。

なお地方競馬との申し合わせにより長らく12月28日から1月4日の間は中央競馬の開催が行われなかったが、2003年の第48回では初めて12月28日に行われた。

[編集] ドリームレース

夢のあるレースを目標に創設されたことや出走メンバーの豪華さから、ドリームレースとも言われる。中央競馬の一年間を締めくくる総決算としてその異名に相応しい中央競馬の歴史に残る数々の名勝負や名場面を生んでおり、この日は競馬ファンならずとも競馬で盛り上がる一日となる。1996年の第41回で記録した売上金額の875億円は世界で最も勝馬投票券の売上のある競走としてギネス・ワールド・レコーズに認定・登録されている。

但し有馬記念を最大目標にしてくる陣営は少なく、たいていは秋のGIシリーズ(菊花賞天皇賞(秋)ジャパンカップ等)に最大目標を定め何回かレースに出走してくる馬が多いのが特徴である[4]。中にはジャパンカップからのレース間隔が短く疲労が抜けきりにくいため凡走や怪我などを警戒し、出走を回避をする陣営や、小回りで直線の短い中山競馬場を嫌って同競走を回避する陣営が近年増えつつある[5]。かつてはそれとは逆にジャパンカップを回避して有馬記念に照準を絞る馬が多かったが、近年は少なくなってきている。更に同時期に香港で開催される香港国際競走に向かう馬もある。

[編集] 施行コースと問題点

中山競馬場の芝2500mで外回りコースの第3コーナーから発走。このコースは最初の第4コーナーまでが192mと短く、そこで外枠からスタートする馬は距離をロスしやすく、内枠からスタートする馬も距離のロスを避けようと内側に殺到してくる他馬により進路を塞がれる不利を受けやすいために、出走可能頭数は他のGI(JpnIも含む)と比較して2頭少ない16頭[6]で行われるが、問題が完全に解消しているわけではない[7]。このため大川慶次郎東京競馬場への移設を生前に主張していた[8]

また中山競馬場は最後の直線が310mと短いため(こちらも頭数が少ないために影響は軽減しているが)東京競馬場のような広いコースとは異なり、後半の追い上げを得意としている馬は内を通って前が詰まるリスクかコーナーを大きく回って距離をロスするリスクかを背負わねばならず、ジャパンカップで好走した馬が疲労も相まって力を出し切れない事なども多い。

その一方で人気薄の逃げ馬や2000m以下しか好走実績がない馬が出足の良さや器用さを活かして上位に食い込んできたり、不振に陥っていた馬が名騎手に導かれて突然復活する事が多いレースでもある。

[編集] 特別報奨金

そのためJRAにより2000年度から天皇賞(秋)、ジャパンカップとこのレースの秋季主要GI競走3競走を全て優勝した場合は1億円の特別報奨金(後に内国産馬には2億円、外国産馬には1億円に変更)を贈呈する制度が取り入れられ出走が促される事となり、その年のテイエムオペラオーが早速それを達成して報奨金を獲得した。そして2004年、4年ぶりにゼンノロブロイが第2号の獲得馬になった。

[編集] 選出方法

  • ファン投票は公式投票用紙(競馬場ウインズ各会場で配布)、市販のはがき(官製・私製)、インターネットから可能だが、1名につき1媒体1通限り。1名での複数枚投票(複数媒体の使用含む)と郵送の場合の印刷、ゴム印、ワープロ使用は無効となる。
  • 特別登録を行った馬の中からファン投票上位10頭が優先的に出走権利を獲得(中央にアラブのレースがあった時代にはアングロアラブの出走も可能であり、「アラブの怪物」の異名を持つセイユウがファン投票による権利を持っていたもののアラブの読売カップ(秋)連覇を優先し出走を辞退している)。
  • 残り6頭(フルゲート16頭)は過去1年間の収得賞金額などを加味して決定される(地方競馬所属馬もこの方法で選出される)。
  • 2000年から2006年までジャパンカップで優勝した外国調教馬にも優先出走権が与えられ、該当馬が2頭いたがいずれも行使しなかった。
  • 2007年からは国際競走となり外国調教馬は6頭まで出走可能となる。

[編集] 歴代ファン投票1位

回数 ファン投票1位 性齢 得票数 結果
第1回 キタノオー 牡3 ? 2着
第2回 ハクチカラ 牡4 ? 1着
第3回 カツラシユウホウ 牡3 不出走
第4回 ハククラマ 牡3 ? 12着
第5回 コダマ 牡3 ? 6着
第6回 シーザー 牡4 ? 4着
第7回 オンスロート 牡5 ? 1着
第8回 メイズイ 牡3 ? 2着
第9回 メイズイ 牡4 ? 3着
第10回 シンザン 牡4 26,853 1着
第11回 ナスノコトブキ 牡3 ? 5着
第12回 スピードシンボリ 牡4 ? 4着
第13回 アサカオー 牡3 ? 6着
第14回 マーチス 牡4 ? 10着
第15回 アカネテンリュウ 牡4 ? 2着
第16回 アカネテンリュウ 牡5 ? 出走取消
第17回 イシノヒカル 牡3 ? 1着
第18回 ハイセイコー 牡3 ? 3着
第19回 ハイセイコー 牡4 ? 2着
第20回 キタノカチドキ 牡4 ? 8着
第21回 トウショウボーイ 牡3 ? 1着
第22回 テンポイント 牡4 ? 1着
第23回 プレストウコウ 牡4 ? 12着
第24回 サクラショウリ 牡4 ? 6着
第25回 カツラノハイセイコ 牡4 ? 2着
第26回 ホウヨウボーイ 牡6 185,747 2着
第27回 モンテプリンス 牡5 ? 11着
第28回 アンバーシャダイ 牡6 ? 3着
第29回 ミスターシービー 牡4 171,979 3着
第30回 シンボリルドルフ 牡4 ? 1着
第31回 ミホシンザン 牡4 168,210 3着
第32回 サクラスターオー 牡3 ? 競走中止
第33回 タマモクロス 牡4 183,473 2着
第34回 オグリキャップ 牡4 197,682 5着
第35回 オグリキャップ 牡5 ? 1着
第36回 メジロマックイーン 牡4 ? 2着
第37回 トウカイテイオー 牡4 177,926 11着
第38回 ビワハヤヒデ 牡3 ? 2着
第39回 ナリタブライアン 牡3 178,471 1着
第40回 ヒシアマゾン 牝4 173,689 5着
第41回 マヤノトップガン 牡4 155,122 7着
第42回 エアグルーヴ 牝4 142,596 3着
第43回 エアグルーヴ 牝5 165,357 5着
第44回 スペシャルウィーク 牡4 165,734 2着
第45回 テイエムオペラオー 牡4 109,140 1着
第46回 テイエムオペラオー 牡5 93,217 5着
第47回 ナリタトップロード 牡6 91,122 4着
第48回 シンボリクリスエス 牡4 125,116 1着
第49回 ゼンノロブロイ 牡4 100,052 1着
第50回 ディープインパクト 牡3 160,297 2着
第51回 ディープインパクト 牡4 119,940 1着
第52回 ウオッカ 牝3 105,441 11着
第53回 ウオッカ 牝4 136,619 不出走

[編集] 主な前走

以下は有馬記念に出走する競走馬の主な前走。

競走名 格付 団体 施行競馬場 施行距離 有馬記念優勝馬輩出実績(1984年グレード制以後)
1 菊花賞 JpnI 中央 京都競馬場 芝3000m マンハッタンカフェ、マヤノトップガン、ナリタブライアン、ダイナガリバー
2 天皇賞(秋) GI 中央 東京競馬場 芝2000m ダイワスカーレット、マツリダゴッホ、サクラローレル、メジロパーマー
3 ジャパンカップ GI 中央 東京競馬場 芝2400m ディープインパクト、ハーツクライ、ゼンノロブロイ、シンボリクリスエス(1回目はコース改修のため中山競馬場芝2200m)、テイエムオペラオー、シルクジャスティス、オグリキャップ(2回とも)、イナリワン、シンボリルドルフ(2回とも)

この他、毎日王冠(GII、東京競馬場芝1800m)グラスワンダー(1999年)、アルゼンチン共和国杯(GII、東京競馬場芝2500m)グラスワンダー(1998年)、1年前の有馬記念(GI、中山競馬場芝2500m)トウカイテイオー、阪神競馬場新装記念(OP、阪神競馬場芝1600m)ダイユウサク、鳴尾記念(当時GII、阪神競馬場芝2500m)メジロデュレン等が別路線から勝利を収めている。

[編集] 歴史

  • 1956年 - 中山競馬場の芝2600m(内回り)の4歳(現3歳)以上の馬齢重量の重賞競走「中山グランプリ」として創設(創設当初の負担斤量は4歳(現3歳)が牡馬・騸馬54キロ・牝馬52キロ、5歳(現4歳)以上が牡馬・騸馬55キロ・牝馬53キロ)。
  • 1957年
    • 名称を「有馬記念」に変更。
    • 6歳(現5歳)以上の負担斤量が4歳(現3歳)と同じく牡馬・騸馬54キロ・牝馬52キロに変更。
  • 1959年
    • この年の9月1日から日本競馬の時計表示が変更になったのに伴い、時計が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
    • ガーネツトが牝馬として初の優勝。
  • 1960年 - 芝2600m(外回り)に変更[9]
  • 1960年 - 高松三太が騎手として初の連覇を果たす。
  • 1965年
    • 5歳(現4歳)の負担斤量が牡馬・騸馬56キロ・牝馬54キロに、6歳(現5歳)以上の負担斤量が牡馬・騸馬55キロ・牝馬53キロにそれぞれ変更。
    • シンザンが優勝し五冠達成。
  • 1966年 - 馬場改修に伴い施行コースを芝2500m(内回り)に変更。
  • 1970年 - スピードシンボリが史上初の連覇。
  • 1971年 - 混合競走に指定。
  • 1977年 - テンポイントトウショウボーイのマッチレース、テンポイントが優勝。
  • 1980年 - 4歳(現3歳)の負担斤量が牡馬・騸馬55キロ・牝馬53キロに、5歳(現4歳)の負担斤量が牡馬・騸馬57キロ・牝馬55キロに、6歳(現5歳)以上の負担斤量が牡馬・騸馬56キロ・牝馬54キロにそれぞれ変更。
  • 1984年 - グレード制施行によりGI競走に格付け。
  • 1985年
    • シンボリルドルフが史上2頭目の連覇及び七冠を達成。史上初のJRA・GI競走7勝を達成。
    • 同年に限り当時ジャパンカップのみの採用であった馬名入りゼッケンの試験的な使用を行う(この結果1987年秋競馬より馬名入りゼッケンの他競走への拡大を実施)。
  • 1987年 - メリーナイスがスタート直後に落馬。1番人気サクラスターオーが最後の直線手前で故障発生、競走中止。
  • 1988年
  • 1989年 - 1着賞金総額が1億円台となる。
  • 1990年 - 当競走での引退を表明していたオグリキャップが1988年に次ぐ2度目の優勝を果たし、レース後場内が「オグリ」コールに包まれる。
  • 1993年 - トウカイテイオーが約1年ぶりの出走で優勝、奇跡の復活を果たす。
  • 1995年 - 指定交流競走に指定され、地方所属馬にも門戸が開放される。
  • 1996年 - 単独競走としての勝馬投票券の売上げ世界レコード875億104万2400円を記録。
  • 1999年 - グラスワンダーが史上3頭目の連覇。
  • 2000年 - テイエムオペラオーが優勝、JRA古馬中長距離GI競走[10]完全制覇を達成。
  • 2001年
    • 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
    • 負担重量を「馬齢重量」から「定重量」に変更。
    • 5歳以上の負担斤量が4歳と同じく牡馬・騸馬57キロ・牝馬55キロに変更。
    • 敬宮愛子内親王御誕生慶祝の副称が当年のみにつく。
  • 2003年 - シンボリクリスエスが史上4頭目の連覇。
  • 2004年
  • 2006年 - この競走で引退が決まっていたディープインパクトが優勝、史上3頭目のJRA・GI競走7勝を達成。
  • 2007年 - 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は6頭まで出走可能となる。
  • 2008年

[編集] 歴代優勝馬

回数 施行日 調教国・優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1956年12月23日 メイヂヒカリ 牡4 2:43 1/5 蛯名武五郎 藤本冨良 新田松江
第2回 1957年12月22日 ハクチカラ 牡4 2:49 0/5 保田隆芳 尾形藤吉 西博
第3回 1958年12月21日 オンワードゼア 牡4 2:49 1/5 八木沢勝美 二本柳俊夫 樫山純三
第4回 1959年12月20日 ガーネツト 牝4 2:50.9 伊藤竹男 稗田敏男 畑江五郎
第5回 1960年12月18日 スターロツチ 牝3 2:44.5 高松三太 松山吉三郎 藤井金次郎
第6回 1961年12月24日 ホマレボシ 牡4 2:40.8 高松三太 稗田敏男 川口文子
第7回 1962年12月23日 オンスロート 牡5 2:44.4 山岡忞 中村広 田村喜志
第8回 1963年12月22日 リユウフオーレル 牡4 2:42.5 宮本悳 橋本正晴 三好笑子
第9回 1964年12月27日 ヤマトキヨウダイ 牡4 2:45.1 梶与四松 稲葉幸夫 門井みち
第10回 1965年12月26日 シンザン 牡4 2:47.2 松本善登 武田文吾 橋元幸吉
第11回 1966年12月25日 コレヒデ 牡4 2:37.0 保田隆芳 尾形藤吉 千明康
第12回 1967年12月24日 カブトシロー 牡5 2:39.7 大崎昭一 久保田彦之 (有)志賀
第13回 1968年12月22日 リュウズキ 牡4 2:46.2 森安弘明 矢倉玉男 福井章哉
第14回 1969年12月21日 スピードシンボリ 牡6 2:35.1 野平祐二 野平省三 和田共弘
第15回 1970年12月20日 スピードシンボリ 牡7 2:35.7 野平祐二 野平省三 和田共弘
第16回 1971年12月19日 トウメイ 牝5 2:36.0 清水英次 坂田正行 近藤克夫
第17回 1972年12月17日 イシノヒカル 牡3 2:38.5 増沢末夫 浅野武志 石嶋清仁
第18回 1973年12月16日 ストロングエイト 牡4 2:36.4 中島啓之 奥平真治 ハイランド牧場
第19回 1974年12月15日 タニノチカラ 牡5 2:35.9 田島日出雄 島崎宏 谷水雄三
第20回 1975年12月14日 イシノアラシ 牡3 2:38.1 加賀武見 浅野武志 石嶋清仁
第21回 1976年12月19日 トウショウボーイ 牡3 2:34.0 武邦彦 保田隆芳 トウショウ産業(株)
第22回 1977年12月18日 テンポイント 牡4 2:35.4 鹿戸明 小川佐助 高田久成
第23回 1978年12月17日 カネミノブ 牡4 2:33.4 加賀武見 阿部新生 角替光二
第24回 1979年12月16日 グリーングラス 牡6 2:35.4 大崎昭一 中野隆良 半沢吉四郎
第25回 1980年12月21日 ホウヨウボーイ 牡5 2:33.7 加藤和宏 二本柳俊夫 古川嘉治
第26回 1981年12月20日 アンバーシャダイ 牡4 2:35.5 東信二 二本柳俊夫 吉田善哉
第27回 1982年12月26日 ヒカリデユール 牡5 2:36.7 河内洋 須貝彦三 橋本善吉
第28回 1983年12月25日 リードホーユー 牡3 2:34.0 田原成貴 服部正利 熊本芳雄
第29回 1984年12月23日 シンボリルドルフ 牡3 2:32.8 岡部幸雄 野平祐二 和田農林(有)
第30回 1985年12月22日 シンボリルドルフ 牡4 2:33.1 岡部幸雄 野平祐二 和田農林(有)
第31回 1986年12月21日 ダイナガリバー 牡3 2:34.0 増沢末夫 松山吉三郎 (有)社台レースホース
第32回 1987年12月27日 メジロデュレン 牡4 2:33.9 村本善之 池江泰郎 メジロ商事(株)
第33回 1988年12月25日 オグリキャップ 牡3 2:33.9 岡部幸雄 瀬戸口勉 佐橋五十雄
第34回 1989年12月24日 イナリワン 牡5 2:31.7 柴田政人 鈴木清 保手浜弘規
第35回 1990年12月23日 オグリキャップ 牡5 2:34.2 武豊 瀬戸口勉 近藤俊典
第36回 1991年12月22日 ダイユウサク 牡6 2:30.6 熊沢重文 内藤繁春 橋元幸平
第37回 1992年12月27日 メジロパーマー 牡5 2:33.5 山田泰誠 大久保正陽 (有)メジロ牧場
第38回 1993年12月26日 トウカイテイオー 牡5 2:30.9 田原成貴 松元省一 内村正則
第39回 1994年12月25日 ナリタブライアン 牡3 2:32.2 南井克巳 大久保正陽 山路秀則
第40回 1995年12月24日 マヤノトップガン 牡3 2:33.6 田原成貴 坂口正大 田所祐
第41回 1996年12月22日 サクラローレル 牡5 2:33.8 横山典弘 境勝太郎 (株)さくらコマース
第42回 1997年12月21日 シルクジャスティス 牡3 2:34.8 藤田伸二 大久保正陽 有限会社シルク
第43回 1998年12月27日 グラスワンダー 牡3 2:32.1 的場均 尾形充弘 半沢(有)
第44回 1999年12月26日 グラスワンダー 牡4 2:37.2 的場均 尾形充弘 半沢(有)
第45回 2000年12月24日 テイエムオペラオー 牡4 2:34.1 和田竜二 岩元市三 竹園正繼
第46回 2001年12月23日 マンハッタンカフェ 牡3 2:33.1 蛯名正義 小島太 西川清
第47回 2002年12月22日 シンボリクリスエス 牡3 2:32.6 O.ペリエ 藤沢和雄 シンボリ牧場
第48回 2003年12月28日 シンボリクリスエス 牡4 2:30.5 O.ペリエ 藤沢和雄 シンボリ牧場
第49回 2004年12月26日 ゼンノロブロイ 牡4 2:29.5 O.ペリエ 藤沢和雄 大迫忍
第50回 2005年12月25日 ハーツクライ 牡4 2:31.9 C.ルメール 橋口弘次郎 (有)社台レースホース
第51回 2006年12月24日 ディープインパクト 牡4 2:31.9 武豊 池江泰郎 金子真人ホールディングス(株)
第52回 2007年12月23日 日本の旗マツリダゴッホ 牡4 2:33.6 蛯名正義 国枝栄 高橋文枝
第53回 2008年12月28日 日本の旗ダイワスカーレット 牝4 2:31.5 安藤勝己 松田国英 大城敬三

[編集] 有馬記念の記録

  • レースレコード - 2:29.5(第49回優勝馬ゼンノロブロイ)
  • 2着との最大着差 - 9馬身(第48回優勝馬シンボリクリスエス)
  • 最多優勝騎手 - 3勝 岡部幸雄(第29、30、33回) 田原成貴(第28、38、40回) オリビエ・ペリエ(第47~49回)
  • 連続優勝騎手 - オリビエ・ペリエ 3連覇(第47~49回)
  • 最多勝調教師 - 3勝 二本柳俊夫(第3、25、26回) 大久保正陽(第37、39、42回) 藤沢和雄(第47~49回 3連覇)

[編集] 史上初あれこれ

  • 牝馬 ガーネツト(第4回)
  • 3歳(旧4歳)馬 スターロツチ(第5回)
  • 3歳(旧4歳)牡馬 イシノヒカル(第17回)
  • 6歳(旧7歳)以上馬 スピードシンボリ(第14回)
  • 青毛馬 リュウズキ(第13回)
  • 芦毛馬 オグリキャップ(第33回)
  • 父内国産馬 メイヂヒカリ(第1回)
  • 父(本邦調教)外国産馬 リュウズキ(第13回)
  • 関西馬 リユウフオーレル(第8回)
  • 公営出身馬 オンスロート(第7回)
  • 持込馬 サクラローレル(第41回)
  • 外国産馬 グラスワンダー(第43回)
  • サラ系馬 ヒカリデユール(第27回)
  • 父子制覇 父:シンボリルドルフ(第29回・第30回)/子:トウカイテイオー(第38回)
  • 連覇 スピードシンボリ(第14回・第15回)
  • 年数を空けて2勝以上 オグリキャップ(第33回・第35回)
  • 重賞初制覇が有馬記念 ストロングエイト (第18回)
  • 父子騎手による制覇 父:武邦彦(第21回 トウショウボーイ)/子:武豊(第35回 オグリキャップ)
  • 外国人騎手による制覇 オリビエ・ペリエ(第47回)
  • 牡馬・牝馬の両方で制覇した騎手 高松三太(第5回 スターロツチ・第6回 ホマレボシ)
  • 牡馬・牝馬の両方で制覇した調教師 稗田敏男(第4回 ガーネツト・第6回 ホマレボシ)
  • 騎手・調教師の両方で制覇 保田隆芳(騎手:第2回 ハクチカラ、調教師:第21回 トウショウボーイ)

[編集] 特記事項

  • 概要にも記されている通りファン投票による出走馬の選定を行うことは新しい試みであったが、レースの名称もファン投票によって選定しようとしたことも非常に画期的であった。当初、競馬会は「中山グランプリ」という名称にしようとしていたが当時「グランプリ」という名称は映画に関係する言葉として使われていたくらいで、まだ広く馴染んではいなかった。そこでファン投票用紙に出走させたい競走馬と同時に競走名を募った。その結果、一番多かった「中山大賞典」を始め17もの名称が集まった(競馬会が提唱していた「中山グランプリ(を可とする)」は第2位だった)。しかしどの名称も名提案とまではいかなかったため、第1回はそのまま「中山グランプリ」で行われた。
  • 有馬記念の競走名により有馬温泉のある兵庫県阪神競馬場で開催されていると勘違いされたり、特に関西在住の競馬初心者に「なぜ有馬温泉に近い阪神競馬場で行われないのか」という声が聞かれる[11]。正しい由来は概要に記されている通り有馬頼寧の功績を称えて命名されたものであって、レース名と有馬温泉とに直接の関係はない。ただし、有馬の先祖は室町時代に有馬温泉の周辺を治めていた地頭摂津有馬氏である。
  • 有馬記念開催50周年を記念し、2005年にロゴマークの一般公募を行った。その結果、京都市在住の男性が制作した有馬(Arima)の"A"をモチーフに金色の天馬の羽根と16個(有馬記念の最大出走可能頭数)の星(ファン投票で選ばれたスターホースの意味)をあしらったデザインが採用された。競走当日はグリーンチャンネルや全国の競馬場ウインズで放送されるレースの映像にもこのマークが登場した(通常は中山のマスコットキャラクターである「ナッキー」)。2006年では使用されていなかったが、2007年以降では使用されている。
  • 12月25日に本競走が開催される時には「クリスマスグランプリ」と言われる。2005年で50周年を迎えた本競走で、このクリスマスの日に本競走が開催されたのは過去5度。1966年の第11回が初開催。それ以降は1983年の第28回、1988年の第33回、1994年の第39回、そして2005年の第50回と施行されている。次回は2011年の第56回で施行の予定。
  • 2001年以降、主要なGI競走開催日において行われてきた入場券完全前売制による入場規制は行われなくなったが2005年の第50回有馬記念では無敗の三冠馬として社会的な人気現象を引き起こしたディープインパクトが出走を表明し来場者の殺到が予測されたことから6年ぶりに入場券は完全前売制となり、当日発売は行われなかった。前売り券は約19万枚発売され完売した。その日中山競馬場に訪れたのは約16万人であった。しかしその16万人の注目の的であるディープインパクトは2着に敗れた。なお、これはディープインパクトの国内で唯一の敗北である。
  • 本競走の開催日は混雑などの混乱を避けるため2007年までは全10競走で行われて、本競走は第9競走であった(発走時刻15:25と早い。なお、通常GI&JpnIが行われる競馬場のレースが15時半以後に行われるが、12月開催のメインレース発走時刻は日没時刻の関係でジャパンカップダート(2008年から)及び阪神ジュベナイルフィリーズ阪神競馬場にて開催される日を除き全日15:25で順序も東京or中山→第3場→京都or阪神である。ちなみに、ジャパンカップダート(2007年まで)及びジャパンカップの発走時刻は15時20分である。したがって通常の日程と勘違いして勝馬投票券を購入してしまう者もたびたびみられるので購入の際には注意が必要である。ただし2007年までの有馬記念開催日の中山競馬場では「中山競馬第11競走」は存在せず、誤って第11競走の馬券を購入しようとしても発券機にマークカードを挿入したところでエラーが発生してしまうのでこのことによる購入ミスは起きなかった。1984年から1987年までと2008年からは全11競走中の第10競走で行われる。
  • 中央競馬における「一年終わりの競走」として親しまれる有馬記念であるが、厳密にはその年最後の競馬ではない。中山競馬場の当日最終競走(第11競走)は「ハッピーエンドカップ」という条件競走であり、更にその直後に阪神競馬場で通常行われる第12競走「ファイナルステークス」がJRAの年間最後の競馬である。なお、この日に同時に開催される中京競馬場の最終第12競走は2006年より施行される「尾張(おわり)ステークス」というオープン特別競走である(2005年までは尾張特別だった)。
  • 通常、GI(JpnI)当日のメインレースと最終レースとの間は40分確保されているが(それでも記念写真撮影、表彰式、勝利騎手インタビューなどのセレモニーが長引いて最終レースの発走時刻が遅れることが多い)朝日杯フューチュリティステークスと有馬記念の2つのGI(JpnI)レースだけは35分と短い。そのため、ハッピーエンドカップの発走時刻が毎年のように遅れる。ただし、2008年からはハッピーエンドカップの発走時刻を16:05に設定し、有馬記念との間隔を40分に拡大した。
  • 1988年から1995年までの8年間、有馬記念の前座競走として第7競走にファン投票によって選抜された騎手が出場できるジョッキーズグランプリが施行されていた。ファン投票は、有馬記念の出走馬投票とともに同じ投票用紙(はがき)を使って行われた。
  • 有馬記念を中継するフジテレビはこのレースを競馬中継の中で最高のレースに位置付けており、それにふさわしいアナウンサーが実況するという観点から部長級の管理職のアナウンサーが代々実況を務めており、現在の三宅正治アナで6代目となる。またこのレースを実況するアナはその他のレースは実況しないという慣例があり三宅アナも初めて担当した2005年こそジャパンカップの実況を担当したが、翌2006年からは慣例にならいその他のレースの実況からは退いた。

[編集] 有馬記念フェスティバル

中央競馬のその年の締めくくりを飾るオールスター戦・有馬記念競走の気運を盛り上げようと、1981年から毎年開かれている日本中央競馬会主催の公開イベントである。

毎年有馬記念開催週の月曜日に東京都内の会場で開かれるこのイベントではその年の有馬記念に出走が予定されている有力馬の騎手・関係者をゲストに招いてレースへの意気込みを語るトークイベント、また騎手と競馬愛好家のタレントらを交えたクイズ・ゲーム大会やタレント・競馬マスコミ関係者総出演によるレース展望会が実施されている。2004年は元JRA職員で現在プロ格闘家として活躍する小川直也がゲストとして招かれた。2005年ダービーフェスティバル同様、主催者側の都合で行われなかった。

また各地でも有馬記念ウィークを中心にした関連のイベントが開かれており新潟市において「有馬記念フェスティバル(西暦年数)」が新潟競馬場新潟放送の共催で毎年行われ、その模様は新潟放送(ローカル)とグリーンチャンネルで放送される。2005年は大雪に伴う施設の停電のため開催されず、スタジオでレース展望を収録し放送した。なお、現在イベントの形で残っている有馬記念フェスティバルはこの新潟で行われているものだけである。

[編集] 脚注

  1. ^ 八大競走の中では最も出走条件が緩やかで、クラシックに出走できない騸馬でも出走が可能である。
  2. ^ 日本の公営競技において、初めてファン投票による競走対象の選定を行ったのは競輪オールスター競輪)である。
  3. ^ 日本ダービーも基本的に開催地変更を決して行わないレースだが、最初の2回は目黒競馬場で行われ、競馬場移転に伴い第3回から現在まで東京競馬場で行われるようになった。
  4. ^ 柏木集保はコンサートなどのアンコールに例えている。
  5. ^ ジャングルポケットアドマイヤムーンウオッカディープスカイなど。
  6. ^ 中山競馬場で出走可能頭数が18頭設定可能なコースは芝内回り2000m(A、Bコース指定時)、芝外回り2200m(A、Bコース指定時)のみ。したがって、中山競馬場で施行されるGI/JpnIは皐月賞(と代替開催で行われた天皇賞(秋)・ジャパンカップ)を除いてフルゲート16頭で行われる。
  7. ^ 1984年のグレード制施行後に15頭以上で行われたこのレースにおいて8枠スタートで2着以内に入ったのは、1989年に馬群に包まれるのを嫌った最内枠で1番人気のオグリキャップが先行して他馬がマークするハイペースで進む展開で最後に馬群の中をすり抜けて追い込んだ15番枠のイナリワンただ1頭である。16番枠スタートからの優勝馬・2着馬はまだいない。
  8. ^ ケイバブックは、最初のコーナーまでの距離が長い、2000mか2200mでの施行を提案している。
  9. ^ この距離は現在でも設定されているものの、この距離でのレースは開催されていない。また、現在の中山競馬場の芝外回り2600mとは違うコースであった。
  10. ^ 天皇賞(春・秋)、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念
  11. ^ 週刊競馬ブックの投書欄、および同2008年12月21日号の乗峯栄一のコラム「理想と妄想」他多数。

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最終更新 2009年9月4日 (金) 13:47 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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