朝鮮八道

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八道
各種表記
ハングル 팔도
漢字 八道
平仮名
(日本語読み仮名)
はちどう
片仮名
(現地語読み仮名)
パルド
  

朝鮮八道(ちょうせんはちどう)は、朝鮮王朝朝鮮半島に置いた8つの道 (行政区画)。現在の韓国北朝鮮の行政区画の基礎にもなっている。

転じて「八道」は朝鮮全土のことも指した。鶏林八道(けいりんはちどう)[1]と呼ぶ事もある。

目次

[編集] 概要

朝鮮八道は、京畿道(キョンギド)、忠清道(チュンチョンド)、慶尚道(キョンサンド)、全羅道(チョルラド)、江原道(カンウォンド)、平安道(ピョンアンド)、黄海道(ファンヘド)、咸鏡道(ハムギョンド)の八で構成されており、外官職(地方役人)が置かれた。道の長官は観察使である。

首都漢城(漢陽・ソウル)のほか、開城江華水原広州は直轄市であった。いずれも京畿道に属するが、この四都市の役人は留守職として京官職(中央役人)が置かれた。

「首都近郊」を意味する京畿道を除く7つの道の名は、主要な二つの都市の名を並べたものである。

[編集] 沿革

高麗時代の地方行政の枠組を改編して編成されている。朝鮮王朝の初期に北方辺境地域の攻略が進められると、西北面に平安道(1413年)、東北面に永吉道(1414年)が設置された。永吉道は、咸吉道・咸鏡道・永安道などの改名を経て、1497年以降咸鏡道の名が定着した。

高宗32年(1895年)の勅令第98号により、八道は廃止されて23の府(長官:観察使)が置かれた(二十三府制)。しかし、翌高宗33年(1896年)8月4日の勅令第36号により、二十三府は廃止されて道が復活した。このとき、京畿道・黄海道・江原道を除く5道が南北に分割され、十三道となった(十三道制)。

1910年に日本による韓国併合が行われるが、植民地支配下でも朝鮮全域を13の道に分割する区画はそのまま受け継がれた。

第二次世界大戦後、朝鮮半島に南北2つの政権ができると、道の分割や、特別市・広域市などの分離などが行われている。

[編集] 現在の行政区画との対比

八道と十三道、ならびに現在の行政区画の対比表は以下の通りである。

八道 語源 十三道 現在
京畿道 首都近郊を意味する 京畿道 韓国 ソウル特別市
仁川広域市
京畿道
北朝鮮 黄海北道開城市
忠清道 忠州+清州 忠清北道 韓国 忠清北道
忠清南道 大田広域市
忠清南道
慶尚道 慶州+尚州 慶尚北道 韓国 大邱広域市
慶尚北道蔚珍郡を除く)[2]
慶尚南道 釜山広域市
蔚山広域市
慶尚南道
全羅道 全州+羅州 全羅北道 韓国 全羅北道
全羅南道 光州広域市
全羅南道
済州特別自治道
黄海道 黄州+海州 黄海道 北朝鮮 黄海北道(開城市を除く)[3]
黄海南道
平安道 平壌+安州 平安北道 北朝鮮 平安北道
慈江道
平安南道 平壌直轄市
平安南道
江原道 江陵+原州 江原道 韓国 江原道
慶尚北道蔚珍郡
北朝鮮 江原道元山市周辺を除く)[4]
咸鏡道 咸興+鏡城 咸鏡北道 北朝鮮 羅先直轄市
咸鏡北道
両江道の一部
咸鏡南道 咸鏡南道
江原道元山市周辺
両江道の一部

[編集]

  1. ^ 鶏林は、もともと新羅の発祥地の名。新羅が朝鮮半島を統一した後は、歴代統一政権の美称となる。
  2. ^ 蔚珍郡は元々江原道に属していたが、1963年から慶尚北道に属するようになった。
  3. ^ 開城市は元々京畿道に属していたが、1954年から黄海北道に属するようになった。以後いくつか再編成され、今も黄海北道に属する。
  4. ^ 元山市周辺は元々咸鏡南道に属していたが、1946年から江原道に属するようになった。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年4月8日 (水) 18:02 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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