朝鮮族

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曖昧さ回避 この項目では、中国の朝鮮族について記述しています。民族そのものについては「朝鮮民族」をご覧ください。

朝鮮族(ちょうせんぞく、조선족)は、中国に居住する朝鮮民族のこと。中華人民共和国民族識別工作により定義された少数民族の一つ。在日韓国・朝鮮人のような外国籍集団ではなく、中国の国籍を持つ中国人である。中国国内に住む朝鮮民族であることを明確に示すため、中国朝鮮族又は韓国系中国人/朝鮮系中国人한국계 중국인/조선계 중국인)とも呼ばれる。

目次

[編集] 分布と現状

中国朝鮮族の総数は、約200万人である。これは在米韓国人の数に匹敵し、朝鮮半島以外では最大級の朝鮮民族コミュニティーといえる。中国国内の分布は東北地区(旧満州)に集中し、なかでも吉林省に約120万人が居住し、吉林省南部の延辺朝鮮族自治州(首府延吉市)に約80万人が集中している。延吉市には、中国語朝鮮語で教育する延辺大学も設置されている。

このほか、黒竜江省に約45万人、遼寧省に約25万人、内モンゴル自治区に約2万人が分布し、関内(山海関以内)の北京天津青島上海などの大都市にも進出している。各地の朝鮮族集住地区には、行政的に朝鮮族自治県(吉林省長白朝鮮族自治県)や、多くの朝鮮族郷・鎮が設置されている(リンク参照)。これら東北三省の首府には、朝鮮族の学校や放送局、新聞社、出版社などが設置されて、朝鮮語の普及を行っている。

中国と韓国の国交樹立以来、韓国人との接触が増え、韓国に出稼ぎに行く朝鮮族も多い。韓国では、中国の朝鮮族は在中同胞と呼ばれる。韓国に留学する朝鮮族も多く、勤勉かつ二ヶ国語話せる事を武器にしている[1]。しかし韓国における就職差別[2][3]や朝鮮族への悲惨な待遇や自治州における韓国人の傍若無人かつ傲慢な態度で、朝鮮族との間の軋轢が生まれており、朝鮮族からは韓国人に対する嫌韓感情は強い。不当な扱いを受けた朝鮮族が中国へ旅行に来た韓国人に強盗・殺人を働く事件が見られる[4][5]

朝鮮族は、主に朝鮮に隣接する地域に住んでいるが、北朝鮮の政情不安、間島も韓国の領土とする韓国の激しい民族主義、朝鮮半島の統一問題などのため、中国政府からは、「鮮独」問題として、潜在的な不安定要素とみなされている。

[編集] 韓国人社会との比較

同じ朝鮮民族であるが朝鮮族と韓国人は思想が異なる傾向が見られる。例えば韓国人は単一民族意識と純血主義意識が強いのに対し、朝鮮族は多民族社会で育った影響で、他民族との共存を重視し漢民族との関係は良好である。韓国の地域対立による差別は根強く就職でも影響あるが、中国では地域差別は見られないため[6]、朝鮮族は差別意識を持っていない。また韓国人が『朝鮮』という語が差別用語だと認定するのに対し、朝鮮族は『朝鮮』を差別用語と認定していない。韓国人・韓国系アメリカ人自国の近代化を自力で起したと勘違いし選民意識を持ち、韓国人は海外で経済的優越感で発展途上国を見下す傾向があるのに対し、朝鮮族は発展途上国で育ったためか経済的優越感は持っていない。また朝鮮族は韓国人と違い極端な反日感情は見られない。その思想の違いにより同じ民族であるにも関わらず摩擦が起きる。

[編集] 歴史

代初期に、満州人が中国を征服すると、彼らは大挙して中国本土に移住し、また清朝は満州を祖先の地として漢族の移民を禁止したので、清代を通じて満州は人口希薄地帯となった。一方、この時代の朝鮮では農村が疲弊して逃散する農民が多く、これらの窮乏農民が次第に豆満江(中国では図們江)を越えて満州に入り込み、焼畑などを行うとともに、野生の朝鮮人参の採集などに従事した。その数は時代が下るにつれて増加し、清朝と朝鮮の国境紛争も発生した。朝鮮では、豆満江を越えた朝鮮人居住地を間島(カンド)と呼び、鴨緑江を越えた朝鮮人居住地を西間島(ソカンド)と呼んだ。清領への朝鮮人の流入は、とくに1860年代朝鮮半島北部で起こった大凶作と、1885年の満州への移民禁止の撤廃をきっかけに、爆発的に増加した。

近代になって、朝鮮が日本に併合されると、日本の武力を背景として朝鮮農民がさらに満州に侵入した。1932年に日本の影響下で満州国が成立すると、日本の移民政策もあって新天地を求めて満州国に渡る朝鮮人がまたもや激増した。この時は間島地区だけに限らず、満州全域に様々な職業の朝鮮人が拡散した。満州国の朝鮮人人口は一説に300万人とも言われる。満州国の崩壊と朝鮮の独立によって多くの朝鮮人が帰国したが、約100万人が中国内に残留し、これが今日の朝鮮族の起源となった。多くの朝鮮族は日本統治下から中国へ移住したルーツである。

中華人民共和国が成立すると、中国共産党は1952年民族区域自治実施要綱を発表し、55の国内少数民族に自治権を付与した。これに伴い、吉林省南部に延辺朝鮮族自治区が誕生し、1955年には延辺朝鮮族自治州と改名され、自治州の州長には朝鮮族が就任している。首府延吉には、朝鮮族のための高等教育機関である延辺大学も設置されている。

[編集] 朝鮮族の出身地

20世紀初頭には満州地区の朝鮮人はほぼ10万人いたと推定される。日本が朝鮮を併合して、満州を勢力下に置いて五族協和を押し進めた20世紀の前半に、朝鮮総督府の政策で、朝鮮半島の北部の朝鮮八道でいう咸鏡道平安道の人たちを現在の中国吉林省へ送り、南東部の慶尚道の人たちを黒龍江省へ、南西部の全羅道の人たちを遼寧省へ送り、それぞれの地域で約20万人、合計で約60万人の朝鮮の人たちが移住したといわれている。[7] 大部分は農業に従事したが、製鉄所・炭坑などで働く人たちもいた。

朝鮮の独立とともに多くは帰国したが、満州に残留した人たちも多く、その子孫が現在の中国東北部の朝鮮族の主体となっている。現在も朝鮮族が多く住む黒竜江省のハルビンチチハルジャムス、吉林省も延辺朝鮮族自治州吉林市、遼寧省の瀋陽鞍山など各地での朝鮮族の朝鮮語方言(中国朝鮮語)や食習慣・日常習慣は上の述べた朝鮮半島の出身地の方言・習慣を色濃く反映している。

[編集] 朝鮮族の教育

朝鮮族は自治州で中国国民として孤立語の中国語、朝鮮民族として膠着語の朝鮮語を学び、バイリンガルである事から漢族よりも高い語学力を持っている。例えば朝鮮族は日本語と同じ語順の朝鮮語が母語であるために漢族よりも日本語力も高く、母語の朝鮮語・中国語が話せる能力が買われ、日本企業に就職する事があり[8]、加えて英語ロシア語などの外国語を駆使する者も多く、さらにIT技術等の技能まで習得した能力の持ち主が世界各国で活躍の場を見せている。

[編集] 著名な朝鮮族

  • 李徳洙(国家民族事務委員会主任)
  • 鄭律成(1918年8月13日-1976年12月7日)軍歌作曲家、韓国光州広域市生まれ、本名は鄭富恩である。
1933年南京に渡り義烈団に入り抗日活動に従事。1937年より延安に赴き魯迅芸術学院等で音楽を学習する。
終戦後朝鮮に帰国、朝鮮人民軍交響楽団団長やピョンヤン音楽大学作曲部部長を歴任。
1950年朝鮮戦争勃発を機に周恩来の要請で中国に定住、音楽活動に精魂を傾ける。
「延安頌」、「延水謡」、「八路軍軍歌」、「八路軍進行曲(中国人民解放軍進行曲)」、「朝鮮人民軍行進曲」などを作曲した。
  • 金正平(1929年- )黄海道信川郡生まれ、国家一級指揮者、作曲家。中国朝鮮族音楽研究会名誉会長。
南京中央大学音楽家卒。中央歌劇舞劇院、中央電影楽団で指揮者として活躍。
  • 崔健(中国最初のロック歌手)
  • 尹東柱(間島出身、日本の植民地時代に日本でも活躍したクリスチャン詩人)
  • 趙南起 将軍、政治家 1927年4月生 吉林省永吉県出身(1927年4月20日韓国忠清北道清源郡で生まれたと言う説もあるが、事実であれば中国で唯一の、移民から将軍になった人である) 
1978-1985年:中共延辺朝鮮族自治州委第一書記→吉林省副省長→中共吉林省委書紀
1987-1992年:解放軍総後勤部部長、中央軍事委員会委員
1988年:上将授与される(中国軍隊階級で将軍は上将、中将、少将といったランク付け)    
1992-1995年:解放軍軍事科学院院長
1998-2003年:全国政治協商会議副主席
  • 南勇 中国サッカー運動管理中心主任 1962年6月生 吉林省延辺自治州出身


[編集] 脚注

  1. ^ [1]
  2. ^ 韓国では地域差別や北朝鮮また中国出身者に対する差別がひどい
  3. ^ [2]
  4. ^ [3]
  5. ^ [4]
  6. ^ 中国本土は近年民間では台湾、香港と交流が活発で、台湾人は本土に就職している。
  7. ^ 高麗大学校『満州事件』(韓国語資料)
  8. ^ [5]

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月17日 (火) 18:12 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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