木下弘人

木下弘人の最新ニュースをまとめて検索!

木下 弘人(きした ひろと、1911年2月26日 - 2005年4月24日)は日本の牧師教会の指導者。

[編集] 生涯

  • 1911(明治44)年2月26日 大野郡白川村に木下甚右ヱ門、みせを両親として生まれた。父の事業の失敗で5歳のころ高山市に移る。和菓子の配達などで傾く家計を助けた。
  • 1927年3月 高山西小学校高等科第二学年卒業後、一家に学資なく斐太中学校雇員となった。
  • 1928年9月 賀川豊彦河辺貞吉の説教を通して入信を決意、眞嶋慶三郎から高山教会で受洗。本願寺派の熱心な一家のため、迫害が起こり人目を忍び家の玄関からは到底教会に通えない状況であった。入信を母に告げると仏壇の前で「一家の恥、自決しなさい」と短刀を渡される。しかし、その母も後年入信する。やがて独学で尋常小学校准教員となり、1929年11月には正教員資格を取得した。
  • 1930年3月 献身のため辞任。上京後直に神学校入学のため、先ず神田区正則英語学校英語科に入学した。
  • 1931年4月 ミッションの指示により日本神学校に入学した。
  • 1932年12月 結核のため休学し、静養を兼ねて伊豆方面で伝道開始。
  • 1934年 試験を受けて伝道師となり日本同盟基督協会下田教会に赴任。
  • 1937年4月 神学校に復帰した。
  • 1940年10月 神学校在学中に杉本光平の後任として日本同盟基督協会千葉教会(後の日本基督教団千葉通町教会)に赴任。1941年3月に日本神学校卒業。
  • 1941年3月 椎名喜巳子と結婚し、二男一女をもうけた。
  • 1942年11月 正教師試験合格、翌年1月には認可された。
  • 1945年 千葉通町教会は空襲で焼失、敗戦後はその復興に携わった。
  • 1958年11月 千葉通町教会は場所を移転し、西千葉教会として再出発した。
  • 1961年12月 ドイツ・ミッドナイト・ミッション望みの門学園創立に協力。
  • 1962年 松田政一の後任として日本同盟基督教団中野教会へ赴任。後に同盟教団副議長となる。
  • 1965年 MBKの招聘と、ドイツ教会訪問、ハンブルグ大学へ留学のため一年間渡欧。 
  • 1976年 中野教会辞任。千葉県富津市で老人ホームの経営と共に開拓伝道を開始し、富津教会、千葉キリスト教会を興した。
  • 2005年4月24日 召天。

[編集] 著書

「燃えて輝く光」 「栄光神にあれ」

[編集] 出典

「日本同盟基督協会略史」

執筆の途中です この項目「木下弘人」は、キリスト教に関連した書きかけ項目です。加筆・訂正などをして下さる協力者を求めていますP:キリスト教/PJ:キリスト教)。

最終更新 2009年11月3日 (火) 12:45 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【木下弘人】変更履歴

ご利用上の注意

もっと調べる!