末喜
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末喜(ばっき)は、夏の最後の帝桀の妃の一人。妺喜、末嬉、妺嬉とも書かれる(3つ目の表記のように妺と妹=めいを混同した表記もありえる)。また、大概は「ばっき」と読まれるが、まれに「まっき」と読まれることもある。
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[編集] 概要
末喜は山東の有施氏の娘であるとされ、桀が有施氏を討った際に降伏のしるしとして献上された。一説には、当初より桀は末喜を要求したとも言われる。絶世の美女といわれた末喜はすぐに桀に気に入られ、妃とされて愛された。末喜の願いに応えるために桀は傾宮という巨大な宮殿を建て、落成祝いにはかつてない規模の宴会を催した。
祝宴では池に酒を満たして樹々に肉を吊るす「酒池肉林」が行われたとされる。また、末喜が絹を裂く音を好んだため、国中から高価な絹が掻き集められた。この乱行は、のちに「裂帛の響き」と呼ばれた。さらに、桀は諫めた賢臣関竜逢を殺した。
殷(商)の湯王は兵を挙げ、夏を亡ぼした。桀と末喜は捕らえられ、南巣の山に追放され、そこで生涯を終えた。これを夏商革命または殷革命と呼ぶ。また、女に溺れた悪王として桀は知られ、のちに夏桀殷紂と言われるようになった。
[編集] 文献における末喜
後世に書かれた歴史書『国語』では、「昔夏の桀が有施を伐った際、桀は有施人の妺喜を妃とし、妺喜に溺れた。そのため、伊尹に夏は亡ぼされた」と書かれる。
また、『列女伝』でも夏桀末喜は、殷紂妲己、周幽褒姒と並び立てられ、「末喜という者は夏の桀の妃であった。美しいが徳は薄く、道を乱した。心は男丈夫のようで、剣を佩き冠を被った。淫乱で贅沢な女性で、桀に道を失わせた」と批判される。
皇甫謐の『帝王世紀』でも、「妺喜は日夜宮女に酒を飲ませた。桀は妺喜を常に膝の上に置いた。妺喜は絹を裂く音を聞くと笑い、桀は絹を集めては裂くようになった。桀は妺喜の言うことをなんでも聞いた」と書かれる。
[編集] 典型としての末喜
末喜のエピソードは、殷紂王の妃妲己や西周幽王の妃褒姒のエピソードに酷似する。これは、桀の伝説に欠けている部分をそのまま後代のエピソードから流用して埋めたためであると推定されている。
美女に溺れて諫言をする臣を殺し、次代の王を幽閉し、名臣の補佐を受けた英雄によって滅ぼされるという物語構造は、中国史における物語の神話的典型となっている。また、傾国の美女のような、女性という要素が物語のネガティヴな要素の象徴、あるいはその元凶として用いられる点も特徴的である。これは、父権制社会における女性の価値の典型的な歪め方で、ミソジニー(女性嫌悪)のひとつと捉えられる。実際に王朝滅亡の原因が女性にあったかどうかは明らかにならないが、革命の正当付けを先王の非道に求め、その非道の元凶を女性に負わせるという構造は、父権制社会における物語構造の特徴をよく表している。この構図は毛沢東批判を江青批判に置き換えた図式おいても延々と継承されている。

