本田晴美
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| 獲得メダル | ||
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| 金 | 1987 ウイーン | プロ・ケイリン |
本田晴美(ほんだ はるみ、1963年11月12日 - )は日本の競輪選手。岡山県出身。日本競輪選手会岡山支部所属。日本競輪学校第51期生。初出走は1983年4月21日の名古屋競輪場で、初勝利は4月29日の広島競輪場。
[編集] 戦績
当時の岡山県立福渡高等学校を経て、日本競輪学校を適性試験で受験し合格。競輪学校では下位の成績であったが、デビュー後は一気に素質が開花し、1984年の2月にはデビュー1年足らずで早くもS級優勝を成し遂げ、同年9月にオールスター競輪への出場を果たすと、以降は特別競輪でも決勝に進出するほどの常連選手となった。
しかし当時の三強と称された中野浩一、井上茂徳、滝澤正光の壁は厚く、ことごとく阻まれた。だが滝沢の全盛時代に別線を組んで滝沢に対抗できるのは本田‐片岡克巳の岡山コンビだけといわれ、事実再三に渡って逃げ捲りの自力勝負で滝沢を破っている。中でも1987年の日本選手権競輪決勝(千葉競輪場)では最終バックで逃げる清嶋彰一の番手を奪い取り、ついに悲願の初タイトルが見えたかに思われたが、直線に入って「脚が三角に回る」状態になりズルズルと後退(5着)してしまった。
同年にはオーストリアのウイーンで開催された世界自転車選手権に出場し、プロ・ケイリンでは残りあと2周すぎから誘導を交わして先頭に立ち、マークしていた井上茂徳の好アシストがあったとはいえ堂々とそのまま押し切り、日本人選手として初めて優勝を果たした。2009年現在、オリンピック・世界自転車選手権の両大会を通じて、ケイリンを制覇した日本人選手は本田ただ一人である。
一方で、国内における特別競輪等のタイトルは無冠のままであり、1998年のオールスター競輪(一宮競輪場。優勝は山口幸二)における決勝2着が最高の成績となっている。
[編集] 競走スタイル
1980年代半ばから1990年あたりまでの全盛期は先行主体の戦法で戦っており、徐々に加速していき手のつけられないほどのトップスピードを発揮させる走りはターボエンジンとも称されていた。
その印象が強烈だったこともあり、現在でも自力を放つと往時を知るファンから歓声が上がることもある。
[編集] 関連項目
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最終更新 2009年8月12日 (水) 06:33 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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